第8話

「こんなの……見てて、楽しい?」


「ええ。とても!」


 放課後のディミトリに訓練姿を間近で見たいと言った私に彼は「こんなもので良ければ、別に良いけど……」と、あっさり許可を出してくれた。


 闇堕ちして邪悪なラスボスになっても、なんだかんだで世界を手に入れようと企む悪の集団でも多くの手下に慕われていた。


 自分に厳しく周囲には寛大で簡潔に言うと、とても素敵な人なのである。


 あ。これ私の推しのことなんですけどね!


 というか……彼を拾って、結果的にラスボスにした黒幕の『研究者』が、結局のところ、私に言わせると一番悪なんだよね。


 ただ、彼は可哀想な立場にあったディミトリを洗脳して利用して、目的は何かというと、世界樹の力を手に入れたかっただけだから。


「ねえ。ディミトリ。エドケリ先生の魔法薬の授業って、近日中にある?」


「……? いや、俺は彼には授業を受け持って貰ってないが。確か彼は、一年と二年の魔法薬の担当じゃないか?」


「えっ? そうだっけ? 勘違いしちゃった! えへへ。気にしないでね」


 そういえば、魔法薬って最終学年だけ先生違ったっけ……? あ。外部の教授を特別に呼んでいるって聞いたことあるような……?


 ……あれ? なんだか、おかしい。


 もしかして、記憶違い?


 けど、私はディミトリの前日譚は、エピソードを詳細に覚えてしまうくらい、何度も何度も読んでるから記憶には間違いないはず。


 エドケリ先生の魔法薬の授業にある事故で、何も悪くないディミトリが犯人にされてしまうはず。


 いつものように爽やかな汗を流しつつ訓練をしていたディミトリは、休憩に入ることにしたのか、近くに置いてあった自分の鞄の中へと手を入れた。


「あ。そうだった。シンシア。こっちおいで」


 おいでおいでと手招きをしたので、いきなり過ぎて私の心の許容量を軽く超えてしまった。


「むっ……無理ですっ! そんな! 私のような者がっ」


 唐突な推しの「こっちおいで」に私は、すごく動揺して断った。


 いや! 無理、無理無理。一体、何事!?


 そんな私の反応が彼の予想していた反応と全然違っていたのか、ディミトリは驚いた顔をしていた。


「……えっ、なんで。私のような者って何なの。俺はそんな、大した身分でも何もないよ」


 ……もしかして、私が近付くのを嫌がったと思った? 誤解です! むしろそれなら、ここに居ないです!


「違うんです! 嫌がっているという訳ではなく、存在が恐れ多くて!」


「えっ……なんで。シンシアの言葉の意味が良くわからないけど、俺のことを嫌がってる訳でもないなら。良いか。はい。これ。どうぞ」


 ディミトリは私へ向けて、小さな包みを投げた。


「あっ……ありがとうございます! 一生大事にします!」


 私が包みを抱きかかえてそう言うと、ディミトリはまた驚いたようだった。


「……えっ。いや……すぐに、食べてよ……焼き菓子だけど、そんなには日持ちしないと思うし」


 え。でも、せっかくディミトリに貰ったのに、もったいない……。


「街に行って、魔術師に保存魔法を掛けて貰えば……」


「……うん。それだと、食べられなくなるよね。そうすると、美味しそうなお菓子をあげた意味がないから俺に返して貰おうか」


 ディミトリは急に真顔になって、私の手からそれを取り上げようとした。


「えー! それは嫌! うーん。じゃあ……食べます」


 せっかくお菓子を買ってきてくれたのに……ディミトリにそのまま返してしまうのは絶対嫌だった私は、渋々甘いお菓子を食べ始めた。


「これ、おいしい! もう本当に、最高」


 しっとしていて、なんだか口でとろける。


 幸せを感じつつ甘い焼き菓子をもぐもぐと食べている私に、ディミトリは微笑んだ。


「それ、最近人気の店の焼き菓子なんだって。シンシアに喜んでもらえて、俺も嬉しい」


 私が美味しいと言ったから、嬉しそうににこにこして笑う、ディミトリ尊い。


 ……え。人気のお店にわざわざ買いに行ってくれたってこと? 何これ、もう可愛い。


「男子って……プレゼントされると、何が嬉しい?」


「人によると思うけど……誰にあげるの?」


 ディミトリは鞄から出した布で額の汗を拭いながら、不思議そうに言った。


 私はえへへと笑いつつ、彼の疑問に答える。


「ディミトリ」


「……え。俺?」


「そうそう! お礼に!」


 自分を指差し驚いている彼は、この後に私には信じ難いことを言った。


「俺はこれまでに、一度もプレゼントをされたことないから……何が嬉しいのかな。もらった事ないから、わからないんだ」


 ……はー!? プレゼント、貰ったことないの!?



◇◆◇



「……それで、ちょうど良く午後は自習だったから、僕と街で買い物する事になったの?」


「うん!」


「リズウィンなら、筆記用具とかが喜ぶんじゃない。あいつは勉強家で良く職員室に来てわからない問題なんかを、教師に質問しているから」


「えっ……そうなんだ。ディミトリ、真面目なところも素敵……優しいし、真面目だし……もう、美点の供給過多で心が壊れそう」


「恋は盲目と良く言ったものだけど……あのリズウィンと付き合うことで、自分に不利益があることは認識しているよね?」


「や、何言ってんの。ヒュー!」


 私はとんでもないことを当たり前のように話し出したヒューに驚いて、立ち止まった。隣を歩いていた彼も、きょとんとした顔で立ち止まり私を見ている。


「何? リズウィンの傍に居る事については、これまでに何回も警告しているけど……もしかして、僕の話をまったく聞いてなかったの?」


「違うの違うの。ヒュー。私がディミトリと付き合うなんて、そんなのある訳ないじゃない!」


「……え?」


 ヒューはわかりやすく「何言ってるんだ。こいつ」みたいな顔をしている。


「ディミトリには、いつも幸せで何不自由なく暮らして欲しいけど……それは別に私が彼の恋人になりたいって訳でもないの。だから、私。彼の恋愛対象になりたいなんて、全然思わない。見返りなんて、求めてないの」


 ディミトリと付き合うなんて有り得ないと、きっぱりと言い切った私に、ヒューはますます訳がわからないという顔になった。


「……ふーん。シンシアはリズウィンを恋愛対象ではなく、神のような信仰の対象としているということ?」


「それも、少し違うかも……素晴らしい人だと思うけど。万能な存在だと、神格化している訳ではないわ。彼だって人間だし、間違うこともあると思うもの。けど、もしお金が困っていると言うなら助けてあげたい。そう言う意味では、お金を払うお布施として抵抗はないかな」


「貢ぐのには、抵抗はないのか。けど、もし彼に恋人が出来たら? リズウィンが優秀な学生であることは間違いないし、あれだけの容姿持っているから、シンシアのような物好きな女の子がまた現れるかもしれない。そうしたら、君はどうするつもりなの?」


「え! 応援する! だって、ディミトリには、ずっと幸せでいて欲しいから」


 再び足を動かして歩き出した私に、ヒューはなんとも言えない表情になっていた。


「……そうなんだ、まあ、僕はそういう無償の愛について理解は出来ないけど、止めないよ。人は自分の思想について、常に自由であるべきだ。でなければ、自分ではない誰かの奴隷としての生を終える事になると思う」


「もう。ヒューって……いっつも、そんな小難しい事考えてるの? 頭疲れない?」


 頭の良いヒューはついつい色々考え過ぎて、こういう話をしてしまうから自分は周囲から嫌われるって言ってた。


 前世を生きていた私は多様性についてはこの世界の人よりおおらかだし、だからこそ彼と話が合うのかもしれない。


「別に……疲れないよ。自分では当たり前のことだし。それより、シンシア。リズウィンに何を買うのか、まだ思いつかないの?」


「うーん……どうしよっかなー? あ。そういえば、ディミトリが良く職員室に通ってるって、さっき言ってたでしょ? ヒューも、職員室に質問に行ってるの?」


 私なんて職員室は呼び出されて怒られる時と日直の時しか近づかないのに、皆偉すぎる。どっちが若い学生としてのスタンダードなのかわからないけど、偉すぎる。


「いや? エドケリ先生とか……サマンサ先生とか。今年入ったばかりの新人の先生に、たまに質問されることがあるんだ。担当の、授業の感想とか」


「へーっ!! すごいすごい。先生からそんな立場に任命されてるなんて、ヒューって、本当に頭が良いんだね。すごい」


「……うーん。学問を人より早く理解出来ることを頭が良いとシンシアが思うなら、僕はそうなのかもしれない。けど、僕はシンシアみたいになりたかったよ。明るくて、友達も多いし、悩みだって引き摺らない。同い年に馴染めない僕や生まれた種族で迫害されているリズウィンにも、臆することなく声を掛ける。シンシアは自分の凄さを、わかっていないと思う」


「えへへ。そんなに褒められると、照れちゃう。ヒューにも、何か買ってあげようか? あ。この前に、体操服も借りてたお礼もあるし!」


「良いよ。そんなの」


「もう。何々。遠慮しないでよー!」


「別にしてないって……そう言えば、この前にシンシアはエドケリ先生のことを気にしていたよね?」


「え? う、うん」


 そうだ。ディミトリを次に襲う悲劇には、エドケリ先生が深く関わっている。


 いくらディミトリがダークエルフの血を引いていようが、罪をなすりつけるのしたら、それなりの力が必要な訳で。


「あの人。うちの学年の担当なんだけど、今日は最上級学年の魔法薬の授業を任されたらしくて動揺してたよ。大丈夫かな。担当が急遽の休みで自習にしても良いんだけど、最上級生は卒業試験も近いから……あの人が担当する事になったんだ」


 新任のエドケリ先生は、学長の甥。慣れない授業。え。これって……嫌な予感しか、しない。


「嘘っ……それって、いつのことなの? ヒュー」


「? 今日午後からって、聞いたけど……え。シンシア! どうしたの?!」


 私はヒューが話終わるのを待たずに、ドミニオリアの高等学校の校舎への今来た道を走り始めた。


 どんくさい私にしては、割とスピードを出して走れたと思う。


 早く早く。足。早く動いてよ。ディミトリに、克服出来ないトラウマがまたひとつ増えてしまう!


 走ったことで心臓に強い負担がかかったのか胸がぎゅうっと痛み出した私は、走りながら慌てて胸を押さえた。

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