第3話

 生まれ変わる前の、前世。


 つまり、心臓が悪くてほぼ病院で育ち、アニメや小説が好きだった女の子だった頃。


 その前世の記憶を私が取り戻したのは、学術都市ドミニオリアに入学試験を受けに来た時だった。


 敷地のど真ん中に生えている、青い空にも届かんとする巨木。


 通称『世界樹』を見た瞬間に、足元からぶわっと突風が巻き起こったかのような錯覚がして、私は何もかもを思い出した。


 私の転生した世界は小説「君に捧げる愛の歌」という、アニメ化までされた大人気小説の舞台だった。


 聖女ヒロインドジっ子アドラシアンとちょっとくさい台詞を吐く完璧ヒーローエルヴィンの二人は、学術都市ドミニオリアで学生時代に知り合い、そこから壮大な世界救済の旅へと旅立つことになる。


 けど、一読者であった私は、主人公二人の性格があんまり好きになれなかった。


 ヒロインのアドラシアンは自分勝手だし、ヒーローエルヴィンは彼女を甘やかし過ぎ。


 病気で友人も居ない寂しい喪女の心を魅了したのは、聖女ヒロインアドラシアンを健気に愛していたのに、どうしようもない不遇や度重なる不運原因で、何もかも報われずに闇堕ちして、結果的に悲劇のラスボスになってしまうディミトリだった。


 ディミトリはダークエルフの血を引いているという理由だけで、幼い時から迫害を受けていた。


 ダークエルフの血が入っていたのは妻と子を守るために亡くなったお父さんで、彼のお母さんは普通の人間だったんだけど、幼い彼をかばってかくまっていると近所の人に密告されたせいで殺されてしまった。


 まだ何も出来ない子どもだった彼は、通りがかりの聖職者に公開処刑されてしまうところをギリギリで助けて貰って、育ての親から人を愛する心を学ぶのだ。


 そして、ディミトリは育ての親の聖職者のようにいつか自分も世の中の役に立てる人間になりたいと学術都市ドミニオリアへと入学し、聖女ヒロインアドラシアンに出会って彼女に恋に落ちる。


 生まれた時から宣告を受け、大神殿で大事に育てられた聖女アドラシアンはヒロインっぽいヒロインだ。容姿も可愛くて性格も良くて、特殊な聖魔力だって持っている。


 そんなアドラシアンは、周囲から遠巻きにされているディミトリにだって平等に優しく接した。


 だって、正しく美しい聖女ヒロインだもの。


 ディミトリは自分にも常に優しい態度を見せる彼女に恋心を募らせるが、アドラシアンはヒーローエルヴィンと出会い、すぐに彼と想いを通い合わせることになる。


 アドラシアンの想いを知り諦めようとしたディミトリなんだけど、何度も不幸な偶然に見舞われて絶望し、学術都市の象徴であり世界の生命の源とも言える世界樹を汚し、平和を脅かす悪役へと闇堕ちすることとなる。


 主人公二人は序盤でダークエルフの力が暴走してしまったディミトリを倒し、そして、新たな舞台へと物語は進んでいく。


 けど、実はディミトリの出番は、これで終わらない。


 この時ディミトリは、とある研究者に秘密裏に保護されていた。世界樹の力を思うがままに使いたいという邪悪な研究をしている「彼」に利用され、より凶悪なラスボスへと、ディミトリは変貌を遂げるのだ。


 アドラシアンとエルヴィンが長い長い救世の旅をした末に辿り着くのは、初期に二人が倒したはずのディミトリでラスボスだったというオチ。


 けど、私は初めてこの小説を読んだ時から、強く思ってた。


 ディミトリ、何も悪くなくない?


 聖女アドラシアンは厳しい同性目線で見て、言わせてもらうと、恋仲のエルヴィンが既に居ると言うのに、やたらと八方美人で愛想が良いという、いわゆる思わせ振りな罪な女だった。


 これからも長い長いストーリーが進んでいく過程で、彼女目当ての男性キャラが増え、何回も恋愛トラブルや厄介ごとを引き起こす。


 モテモテで容姿の良いヒロインには、私だってなりたいと思う。


 出会うイケメンキャラに、ことごとく好かれてしまう、罪な女アドラシアンの立場になりたいと願う子は、きっと多いかもしれない。


 けど、私の大好きな悲劇のラスボスディミトリの心をボロボロに傷つけた挙げ句に、自分は何も悪くないです好きになられて本当に迷惑でしたみたいな顔をするアドラシアンは、絶対に好きになれない。


 ディミトリの不遇を思えば、彼女のような可愛い子に優しくされて特別扱いのようにされたら、好きになってしまうのはもう仕方ない。


 それなのに、その後の心のケアなんて私は関係ないし、何も知りませんはおかしいと思う。


 好きにさせるなら、アフターケアまで、ちゃんとして欲しい。


 少し優しくしたら好きになられちゃったけど、こっちは好きじゃないし迷惑だから何度か断ったのに、逆恨みされて本当に迷惑でしたなんて。


 エルヴィンと恋に落ちたアドラシアンにディミトリが、どんな思いを抱いたか……幼い頃から神殿で大事に大事に育てられ、会う人会う人愛される聖女には、絶対に理解出来ないだろう。


 もし、私が駄目なのなら、別の女の子を好きになれば良いじゃないは通らない。だって、ディミトリに優しくした女の子は、アドラシアン一人しか居なかったんだから。


 時間だけはあって、一通り人気作品を履修して二次元にはうるさい私の最推しだったディミトリは、なんてったって顔が良い。


 長い長い物語の大トリとなるラスボスとなる存在だからか、やたらと外見が良いという描写が多い。


 さらさらとした漆黒の髪と目に、端正で美しい顔立ちに鍛えられた体。やばい。その情報だけで、もう好き。


 アニメ化された際も神絵師が担当したキャラデザが神でしかなかったので、少数派だった悲劇のラスボスのディミトリファンは揃って嬉しい悲鳴をあげたものだった。


 そして、私はいま転生し尊い生身の推しを目にしているという、誰かに羨まれて背中をナイフで刺されてもおかしくないくらいに、素晴らしい体験をしている。


 容姿が良いことで有名なエルフの血を受け継いでいるせいか、彼のご両親が素敵な人だったのかわからないけど、リアルで見ても本当に美形な男性なのである。


 ラスボスのディミトリは、物語冒頭の一巻と最後の戦いが描かれる十巻しか出てこない。


 彼のファンな私は彼のエピソードを擦り切れるほど読んだし、アニメは円盤のディミトリの出てくるシーンを全て繋ぎ合わせて、エンドレスリピートしていたくらいに、彼のことが好きだった。


 ……あ。そうそう。


 モブの私がなぜ、この小説の中で自分が死んでしまうかを知っているかなんだけど、数え切れないくらいに読み返した一巻の中盤にあるエピソード「シンシア・ラザルスのお葬式」は結構な重要なシーンで、その名前は良く覚えていた。


 ヒロインアドラシアンがディミトリと会う、重要エピソードだったから。


 モブキャラの私がなぜ死んでしまうかについては、物語上必要なかったのか、詳しい記述はなかった。


 だけど、ドミニオリアにある高等部へ入学してからというもの、胸がたまにぎゅうっとしぼられるように痛くなることがあるから、もしかしたら私はまた前世と同じように心疾患でも抱えているのかもしれない。


 かもしれないという理由は、私の家はそこそこ裕福な貴族なんだけど、胸の痛みを訴えて高名な医者にかかっても、特に異常はないと言われるばかりだったからだ。


 胸の痛みの理由は、原因不明で治療法もわからないまま。


 ディミトリが大好きだし闇堕ちするなんてことから助けたいけど、冴えないモブの私の姿が彼の視界に入るようなことにはなりたくない。


 推しの彼と恋仲になりたいなんて本当におこがましいし、そんなことは望んでないけど、出来るだけディミトリには辛い思いをして欲しくない。


 ヒロインのアドラシアンは珍しい中途入学生として現れるはずで、まだ学術都市ドニミオリアには居ない。


 彼を陰ながら助けるにも、まだ物語は何も始まっていないのである。


 ヒロインの登場前にも何度か不幸な事故が待ち受けているディミトリを、幸せにしたい辛い運命から助けてあげたい。


 けど、ディミトリの視界に入らずにそれをどうにかするという不可能任務(ミッションインポッシブル)を、これから私はやり遂げなければならない。


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