第4話
ディミトリは育ての親が言い残した通りに、体を鍛えることを日課としている。
忌まわしい悲劇をどうしても思い出させる種族であるダークエルフの血を持つ彼が、よくわからぬ言い分を持つ誰かに攻撃されてしまわないかを心配していたのだろう。
争いを好まずに平和を愛するエルフとは正反対の性質を持つダークエルフは、凶悪で血を好む種族だ。
だけど、本来であれば彼らは、同じひとつの種族だったらしい。
ダークエルフの祖先となる何人かがエルフ族の中から闇堕ちして、誰かを苦しめ陥れることを喜びとする凶悪な種族になってしまった。
天使の中の堕天使のような存在と説明されれば、エルフとダークエルフの設定がわかりやすいかもしれない。
そして、血も涙もない彼らは世界各地で忌まわしい伝説を残しているので、ただダークエルフの血が入っていると言うだけなのに、ディミトリ自身は何もしていないのにひどい迫害を受けてしまっている。
なんて、不憫で悲劇なの……けど、ディミトリの過去にまつわるこういう不幸設定も私の好み過ぎてしまうので、私は彼を好きになってしまう要素しかない。尊い。
「はああ……推しの訓練姿、ほんと最高……」
そんな訳で授業が終わった放課後葉っぱが多い木の影から、せっせと訓練に励むディミトリの姿を見ていた。
ベストな視界を確保出来る特等席を確保するために、私はいろんな角度からどう見えるかを試し研究し、この場所へと辿り着いていた。
ディミトリはランニングを終えた後は、重い長剣を持って素振りを開始する。
毎日何回やってるかわからないけど、夕暮れに輝く汗が美しいので、長時間続けて貰ってもこちらは全然大丈夫です。
この世界では長剣の他に斧だったり槍だったり、色んな武器があるんだけど、ディミトリは長剣派のようだ。
彼は戦闘術なんかを学ぶ授業も取っているようだから、もしかしたら軍属になって将校なんかになることを目指しているのかもしれない。
はああ……ディミトリはラスボスになるから、魔王みたいな服装に最終的には辿り着くんだけど、順調に軍へと進んで軍服を着るのも良いかもしれない。
とてつもなく、似合い過ぎる予感しかしない。
ディミトリは訓練途中に喉が渇いて水でも飲みに行くのか、一旦休憩することにしたようだった。
長剣を壁へと立てかけて、汗を手で拭っていた。あの様子だと、すぐに戻って来るだろう。
そして、ディミトリは本当に何気なく、お腹辺りにある服の生地で額の汗を拭った。
綺麗に割れた腹筋がチラッとだけ見えて、一気に頭に血が上り興奮し過ぎて心臓が止まるかと思った。
ドクドクドクドクという、体に血が巡る音が聞こえる。
推しの生腹筋を見た時の乙女の興奮度たるや、何と例えて良いのかわからない。何かの数値では計り知れないほどの興奮振りになってしまっても仕方ない。
「ふっ……ふはっ……嘘!」
何分か呆然とした後でやっと大きく息をついた私は、ディミトリの腹筋を見れてしまったというとてつもなく衝撃的な出来事から立ち直っていた。
はーっ……なんて、素敵な造形美。まるで、美しい彫像みたいな鍛えられた腹筋だった。
「はーっ……もうっ。ディミトリってば、有罪確定……あんなに美味しそうな腹筋を見たら、尊死しちゃう……」
「本当に……君は物好きだな。俺の肉は、美味くないと思うが」
……は?
私は声が聞こえたことを信じたくない思いで、隣を見た。そこにはさっきまで、体を鍛えるために剣を振っていたはずの……。
「ディミトリ? 何でここに……?」
私はこうして初めて話すディミトリのことを、親しい間柄でないと許されないファーストネームで呼んでいることなんて、お構いなしに彼にそう聞いた。
「……あの、今日も、闘技場で俺の名前を呼んでなかったか? 前々から何故いつも俺のことを見ているのかと、気になっていた。何を企んでいる? 何故、俺にそんなに好意的なんだ? ……俺に流れる血を、知らない訳でもないだろうに」
問いただすような口振りで、なんで自分を好意的に見ているのかと不思議に思っているのが伝わって来た。
「あのっ……そのっ……この学術都市ドミニオニアでは『種族や思想で差別されることなど、あってはならない』という、崇高な創設者の理念がありましてですね……」
近づかないで済ませようと思っていた推しに、完全に不意をつかれてしまった私はあわあわと、ディミトリが納得してくれそうな……それっぽい答えを捻り出した。やばい。嘘が下手すぎる。
実は「私は転生者で、貴方は前世の最推しキャラだったんですぅ!」なんて、まぎれもない真実だけど何も知らない推しには絶対に言わない。絶対に言わない。
これは大事なことだから、二回言っておく。
「学術都市の創設者はそういったご立派な理念を、持っていたかもしれない……けど、そのような美辞麗句の建前、誰も気にしてないだろう。だが、偽善に近い建前だとしても、種族で差別されないとされていて俺は助かった。学問を学ぶとしたら、この場所しか無理だったから」
ディミトリのこういった詳しい事情は、彼の生い立ちが描かれたエピソードで小説の中でも触れられていた。
ディミトリ登場シーンを何度も何度も擦り切れるほど読んだ私だって、もちろんそれは知っている。
……けど、だからこそ、唯一の居場所だったドミニオリアを追われることになった彼は絶望して、悪意ある研究者の口車に乗って利用されることになった。
「えっと……顔が、好きです」
本人を前にしてとても言いにくいけど、これだって別に嘘でもない。
私は小説を読んでからディミトリファンになっている訳だから、小説では文字で想像するしかない。正直に言えば、最初は彼の顔はとてもテンプレなイケメンを想像していた。
作者の先生だって当たり前の話なんだけど、ラスボスディミトリよりは、ヒロインと結ばれる完璧ヒーローのエルヴィン側の描写に力を入れる訳で。
けど、書籍化アニメ化に先立ち神絵師がキャラクターデザインをしたディミトリは、本当に私の理想に近しい造形だったのだ。
すぐ隣に、彼の顔がある。
ああ。なんて、美形で完成され整った顔なのかしら。本当に好き。中身だって好きなんだけど、それはここで言う訳にもいかないし。
「え? 何を、言ってるんだ……俺の顔が? 大丈夫か? 正気なのか?」
「ええ……そうです。リズウィン様に流れている血は、私本人がダークエルフに何か悪いことをされた訳でもないので、特に気にしません。気になる理由は、顔です! 私、顔面至上主義者なので!」
「そ……そうなのか」
生まれてからこのかた、色んな人から遠巻きにされていただろうディミトリは私のキッパリとした顔面至上主義宣言に、どう反応して良いかわからず完全に引いてしまった様子だった。
私もきっと異性にこんなことを言われたら、「何言ってんの。こいつ……どうかしたんじゃないの」と思って、千歩先の距離にまで引いてしまうかもしれない。
けど、だからって、それがどうしたと言うの。
彼とこんな状況になってしまったからには、なんでこうなったのかと理由を見つけどうにか言い逃れしなければならない。
何からどうやって説明すれば良いのかわからない転生者であるという身分を隠す方が、私にとっては何よりも急務なのだ。
「ええ。貴方の顔が好きな私には、リズウィン様に対し害を与えるような気など全くありません。そして、この恋心が報われたいなどと大それたことを思ったりもしません! ですので、かげながら好きでいることをどうかお許しください!」
「……ど……どうぞ」
最愛の推しが間近に居るという非現実感から、やたらと押しを強くした私に、ディミトリはたじろいで複雑な表情になりつつ何度か頷いた。
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