君の目に映る輝きに 1.3


 

   ◇


「どうして……ここに——」

 壁に手をつき、肩を上下させながら息を整える太知に向かって俺はそう言った。

 この間の大雨の日とは違って、しっかりと整えられた服装。おそらく、ここに来る前に誰かに会っていたのだろう。

 

 というか、太知の方から俺の所に来てくれることはもう二度とないと思ってた。


 そう思っていたから、息を切らすほど急いで走ってきたのだろう太知に困惑する。

「……全部、聞いた。あの絵のこと。だから、そーやに謝りたくて」

「————え?」

 息も絶え絶えになりながらそう話す、太知の言いたいことがイマイチ分からなくて。俺は思わず聞き返した。

「アタシ、何も分かってなかった。アタシの好きな絵が、そーやにとって嫌な絵だったなんて考えもしなかった。……だから多分、そーやのことをたくさん傷つけたと思う。——ごめん」

「いや…………」

 謝ってほしい訳じゃない。むしろ、太知がそう言ってくれたのは嬉しかった。

 というか、俺の方こそ太知に謝るべきなのに。「期待に応えられなくてごめん」と。

 それなのに、その気持ちをいざ言葉にしようとすると言葉にならなくて。

 俺は黙って太知の話す言葉を聞くことしか出来なかった。

「そーやは最初「もう絵を描くつもりはないから」って言ってたのに。アタシの我儘で無理矢理お願いして……苦しませて、ほんとにごめん」

 身を切るように話す太知の姿に、なぜか俺まで心が苦しくなってくる。柄にもなく落ち込んでいる太知に、何か言葉をかけてあげたいのに何も出てこなかった。

 頭の中で言葉を紡いでは、「これじゃない」と自分自身で否定する。

 そんなことを繰り返した。

 そうこうしているうちに太知も黙り込んでしまって、重たい沈黙が部屋に流れる。

 

 しかし、そんな気まずい空気を破ったのは、またしても太知だった。

 液タブに向かって座る俺に、ゆっくりと太知は歩み寄る。


 ついに俺の真横まで歩いて来た太知は、机の上にある液タブの画面を覗き込んだ。

「赤――」

 そして、不意に色を口にする。

 そんな太知の行動が理解出来なくて、俺はまたしても固まった。

 だけど、俺のその沈黙は長くは続かない。

「そーやが今選んでる色は赤だよ」

 太知の言葉を聞いた瞬間、俺は弾かれるように液タブの画面を見た。

 けれどそこに色は見えやしない。

 太知の言った「赤」という色が俺の目には映らない。――なのに。

「なん、で……」

 どういうつもりなんだろう。

 なんで、太知は俺に見えていない「色」を口にしたんだろう。


 その答えは、すぐに太知の口から返ってきた。

「アタシが、そーやの代わりに色を見るから。い、イラストなんて描いたことないしろーとで頼りないと思うけど、ちゃんと見てるから」

 いつぞや聞いた、天使のような優しい声で話す太知の言葉に、俺の中で何かが崩れた気がした。

 じんわりと熱い何かが、俺の感情をめちゃくちゃにかき乱す。

「……無駄だろ、そんなことしたって。太知が色を見てくれたって、結局俺が見えるようにならなきゃ意味なんてなにも――」

 だというのに、捻くれてねじ曲ってしまった口は自己嫌悪の言葉を吐く。

 そうじゃない、俺が感じたのはそんなことじゃない。なのになんで、俺の口からはそんな言葉しか出ないんだ。

 太知は俺に手を差し伸べてくれてるのに。俺は素直にその手を掴めない。

 その事実が、さらに自己嫌悪を悪化させていく。

 言われていないのに、記憶の奥に住まう悪魔が「あの言葉」を囁いてくる。


 なのに……。いや、それでも。

 それでも太知は、ただ優しく言うだけだった。

「無駄なんかじゃない。そうやが今まで苦しんできたことも、悩んできたことも、きっと全部に意味があるはずだよ」

 そう言って太知は、俺が力なく投げ出していた左手をそっと掴み、自分の手と一緒に液タブへと添える。

「——アタシはそうやの絵が好きなんだ。誰がなんて言っても」

「それは…………」

 知っている――と、そう言おうとして俺は口を閉じた。言おうとして分からなくなったから。

 めちゃくちゃにかき乱された感情が、俺に問いかけてくるんだ。

「お前は本当に、太知がどれくらい自分の描いた絵が好きか知ってるのか」と。「知った気でいるだけだろう」と。

 

 いや、知ってる。分かってる。太知がどれだけ俺の描いた絵が好きかを。

 だから俺は描かないといけないんだろうが。

 自分の絵を貶されて腐っていただけの俺に声を掛けて。笑顔で俺の描いた絵を「好きだ」という太知に感謝してるからこそ。

 そんな太知の期待に応えられるような、そんな絵を――。


「そうやはさ、自分の描いた絵が好きじゃないの……?」

 ふと、太知の言葉が、暗い感情に沈む俺の耳に届いた。

「好きに、決まってるだろ……っ」

 嫌いなわけがない。嫌いになれるはずもない。

 


 あの日、あいつに「気持ち悪い」と言われた日。俺がどれだけ荒れ狂ったことか。

 スマホを地面に投げつけてぶっ壊すわ、あいつへの罵詈雑言を大声で叫びまくるわ。高ぶる怒りを抑えられずに、四六時中ずっと、暴れまくってたんだ。


 SNSに公開した後だってずっとキレてたんだよ。

 評論家気取りの見当外れなコメントも、売れてないという事実を突きつけてくるコメントにも。


 俺が描いた絵なんだぞ? 自分が一番好きに決まってるじゃないか。

 それなのに。それでも認めて貰えないから苦しいんだよ。

 どんなに自分が好きだろうと、周りが「好き」じゃなかったら意味が無いんだよ。


 俺の「好き」には、なんの価値も意味も――――。



 気付けば俺は、うっすらと涙ぐんでた。

 涙目になるなんて何年ぶりだろうか。小学生の時にはもう、変なプライドが邪魔して泣けなくなってた気がする。

 そんな感慨に浸りながら暫く呆然として、俺の手を握る太知の手に力が籠るのを感じた。

 普段は痛みを感じるほどアホみたいに力が強いのに、今は少しも痛みを感じない。

 優しく、それでいて強く。大切なものを抱きかかえるかのような抱擁感だった。


 それが気になって太知のことを見上げれば、太知も頬に一筋の雫を伝わせていた。

「好きなら、ちゃんと見てあげなきゃダメじゃんか。ちゃんと、自分の目で――」

 泣き笑顔の太知に言われるがまま、俺は液タブへと目を落とした。


 そこに見えるのは、さっきまで見えていたではなく。

 間違えた文字を消すかの如く乱雑に塗りつぶされた、様々な色だった。


「……ふっ。なんだこれ、ひっどい色使いだなぁ」


 下書きで引いた線のことごとくを上から塗りつぶしている七色。

 今まで、色が見えないからといって、無理矢理に描いていたものがそんなに酷いものだとは思わなかった。思わず笑みがこぼれるくらいには。

 だけど不思議と、絵と呼んでいいのか怪しいその絵を捨てる気にもなれず。なんとなく保存してから画面を白紙へと戻した。


 そして、その白紙に赤色で線を描く。

 今度はしっかりと、鮮やかな赤色で描かれた曲線が、はっきりと俺の目に映った。 


 ――大丈夫。色がちゃんと見えている。


 そのことを確認した俺は、さっきの俺の言葉のせいか戸惑い顔をする太知に向き直って。

「……お待たせ、ヒカリ。だいぶ遅くなっちゃったけど、今からでも間に合うかな」

「――っ! うん‼」


 感謝の意を込めて言った俺の言葉に、ヒカリは大きく頷いてくれたんだ。

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お前にVTuberは無理だと思うよ? 豆木 新 @zukkiney

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