人の数だけあるトラウマ 1.3
「はぁ…………」
お気に入りのぬいぐるみの「なめろー」を抱きしめながらため息をついた。
だけど、ため息をついたところで鬱屈とした気分がまぎれることはなくて。
むしろ、さらに沈んでいく気分に目を瞑りたくなってくる。
「姉御ー、そんなにため息つかないでくださいよー」
「あー、うん。……ごめん」
だけど、目を瞑ろうにも、今のアタシの部屋には茜がいる。
何かとやかましい茜がいたんじゃ、目を瞑っても落ち着けないし落ち着かせてくれない。
「いや、謝らなくてもいーんですけどね? ただ、今の姉御を見てるとウチも恋したくなってくるってゆーか? とにかく、惚気るのは程々にして欲しいです」
「……はぁ?」
なぜ、落ち込んでいる人間を見ると恋がしたくなってくるのだろうか。
そもそも、アタシは惚気てなんかいないのだけども。
アタシの友達は今、ふざけているのだろうか?
そう思わずにはいられなくて、それにアタシの気分が沈んでいることも合わさって、少し嫌な感じに聞き返してしまった。
「なんでウチがそんな嫌そうな顔されなきゃいけないんですか⁉ むしろウチがそんな顔したいくらいですよぉ! さっきから惚気てばっかで!」
「いや、アタシは惚気てなんか無いけど」
「いーえ、惚気てますね! というか、惚気てる本人は自分が惚気てるかどうかなんて自覚できませんから! つまり、ウチが惚気てるっていったら惚気てるんです!」
「……は、意味分からないんだけど」
惚気ているっていうことはつまり、恋人の自慢話をしているということなんだろう。
恋人のいないアタシが、どうやって恋人の自慢をするのだろうか?
「はぁぁぁ、もう! どーせ企業から返信来るまでは暇なんですから、三千喜君の所に行ったらどうですか! ウチのことなんて気にせず! さぁ!」
「——⁉ 行けるわけないじゃん!」
「なんですか! 恥ずかしいって言うんですか! 随分乙女な事言うんですね、ヤンキーのくせに! 堂々と会いに行けばいいでしょうに! 向こうだって会いたいと思ってんだから!」
そーやがアタシに会いたいと思っている……? そんなことがあるわけない。
だというのに、茜はアタシをベッドから起こすと部屋の外へと押し出そうとする。
「は……ちょっ、そーやがアタシに会いたいと思ってるわけないじゃん!」
「どーしてですか! 彼女に会いたくない彼氏なんているわけないでしょが!」
「————は?」
「え?」
彼氏? 彼女? いったい茜はなんの話をしてるんだろうか?
話の内容がさっぱり分からなくなって、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
しかし、そんなアタシの様子を見た茜は何かに気付いたようで、顔が青ざめていく。
「え、いや、そんなまさか。え? 嘘ですよね?」
「そう言われても、何がなんだかさっぱり分かってないんだけど? アタシ」
「え、姉御って、三千喜君と付き合ってるんですよ、ね……?」
「………………」
————え?
「な、ななな——バカじゃねぇの⁉ なんでそんな事になるんだよ⁉」
意味が分からな過ぎて、驚きすぎて。
思わず素の言葉遣いが出てくるほどに衝撃だった。
今までのアタシの様子をどんなふうに見たら、アタシとそーやが付き合っているという結論になるのだろうか。
「だ、だだだって! 姉御すごく悩まし気にため息ついてたじゃないですか!」
「それがどうして付き合ってることになんの⁉ バカなんじゃないの⁉」
「そりゃアレですよ! 恋の悩みですよ! ぬいぐるみなんて抱えちゃってたら、もうそれにしか見えなくても仕方ないじゃないですか!」
「そ、そんなことないでしょうが! 別にぬいぐるみ抱えてたって恋の悩みになるわけじゃないから! 何でもかんでも恋愛に結びつけんな! バカ!」
そうは言いつつも、茜がぬいぐるみを抱えて悩んでいたらたぶんアタシも「あー、恋で悩んでんだなー」と思っていただろう。
そう思ってたかもしれないだけに、それを指摘されてすごく恥ずかしい。
「え、てゆーかどうするんですか⁉ ウチてっきり二人が付き合い始めたんだと思って、三千喜君に「おめでとう!」って送っちゃったんですけど⁉」
「——はい⁉」
アタシが信じられないとばかりに聞き返すと、茜はこれが証拠だと言わんばかりに「ほら!」とメッセージアプリの画面を見せてくる。
「な、何やってんだよ⁉ バカあぁ‼」
既に茜が送ったメッセージには既読が付いていて、今から取り消しを押しても意味がない。
それに、そーやとは言い合いになったばっかりで気まずい状況だったのに。
茜がそれを余計に気まずくしてくれてしまった。もう、どんな顔をしてそーやに会えばいいのか分からない。
どんどん悪くなっていく状況にアタシが絶望していると、部屋の外から怒っているのが伝わってくる足音が聞こえてくる。
「——ちょっと‼ いい加減にしなさいよ、あなたたち。多少うるさくしてもいいとは言ったけどねぇ、下で流してる音楽が聞こえないくらいの声で騒ぐんじゃ……」
部屋のドアを開けると同時に、小言を言いながら入ってきた母さんの姿を見て。
アタシと茜は、無意識のうちに母さんに縋るような視線を送っていた。
「な、なによ……。なんでそんな泣きそうな目で私を見てくるわけ?」
そんな困惑している母さんに、アタシたち二人は泣きついた。
◇
「……えーと、つまり。姉御は昨日の夜に三千喜君と喧嘩したってことですか?」
「うん、そう。……多分、ものすごい嫌われた」
お母さんを交えた三人で、昨日の出来事を振り返る。だけど、アタシたちの事情なんて全く知らない母さんは、腕を組んで小難しい顔をしていた。
「——ちょっと待ってちょうだい。その「三千喜君」って誰のことよ?」
「なんで覚えてないの。この間、勝手に人の家に入るなって怒ってたのにさぁ」
「あぁ、あの子だったのね。……それで?」
「そ、それで、姉御は昨日の夜、その子の家に行ったんですけど、そこで言い争いの喧嘩をした——って事みたいです」
そーやが家に来てから母さんはだいぶ変わった。
以前よりアタシに話しかけてくることが多くなったし、少し優しくなった気がする。ため息をついてはいるけど、最後には許してくれることが多くなった。
だけど、茜は母さんがまだ怖いのか、おっかなびっくり母さんに説明していた。
「そう。悪いけど、私にはその子と喧嘩したことがそんなに不味いことには思えないのだけど? あなたたちは一体、何をそんなに危惧しているわけ?」
「え? えっと、それは……だって姉御が……」
「アタシがそーやに絵を描いて欲しいからだけど。母さん」
「なら描いて貰えばいいだけじゃない」
「「…………」」
一も二もなく正論を母さんに言われ、アタシと茜は押し黙った。最近は少し優しくなった——とか思ってたけど、やっぱりそんなことはなかったらしい。
こっちはお願いする立場なのに、喧嘩して気まずい関係になってしまったらお願いしにくくなるということが分からないんじゃないか。
まぁ、母さんくらい図太すぎる神経を持ってれば、そんなことは気にならないんだろうけど。
「だいたいヒカリ、あなた分かってるの? 一カ月以内にVチューバーになれないなら、その夢は諦めなさいと言ったはずよ。どういう風に考えてもあなたの勝手だけど、創哉君に描いて貰うことに拘ってて、あなた本当に約束を守れるのかしら?」
「——っ! それは……」
多分、守れないと思う。
今のそーやは、まだ描ける状態にすらなっていないのだから。
「ヒカリ。あなたがなりたいのはVチューバーなんでしょう? だったら、今どうするべきかは明確に見えているはずよ。創哉君に描いて貰うことに拘っていないで、Vチューバーになる為に必要なことをするべきなんじゃないかしら」
分かってる。
……そんなことは、母さんに言われなくても分かってる。
だから茜に企業Vチューバーのオーディションを受けるって伝えたんだし、その為に自己紹介動画を撮って書類を送ったんだから。
母さんに言われるまでもなく、Vチューバーになる為に必要なことをしてる。
……だけど。
だけどなんか違う。
上手く言葉にできないけど、なんとなく「これじゃない」と思ってしまう。
アタシがなりたいと思ったVチューバーは、こんなものじゃないと。
「姉御――」
黙って俯いたまま動かないアタシを見て、茜が心配してくれたのか声を掛けてくれる。だけど、茜だって本当は母さんと同じことを言いたいのかもしれない。
「……はぁ。ヒカリ、私だってあなたの気持ちが分からないわけじゃないのよ」
「————え?」
いつもの母さんなら、アタシの気持ちなんて知ったことじゃないと言わんばかりに「こうしなさい」としか言わないのに。
「気持ちが分からないわけじゃない」という母さんの言葉が意外で、アタシは思わず頭を上げた。
「今、私が働いている会社も、最初は私のしたい仕事だから入社したの。自分の思ったようにWEBページのデザインをするのが好きだったから。……でも、楽しく仕事が出来てたのは最初の内だけよ」
昔を懐かしむように目を細めた母さんは、柄にもなく優しい声で話し続けた。
「仕事に慣れ始めてくるとね、途端に嫌なことばかり目につくのよ。仕事をしないくせに、私の作ったものに文句をたれる上司。自分の思ってたものと少し違うからって、キレ散らかすクライアント。頼んでおいたことを、悪びれもせずに「忘れました」って言ってくる部下……。今まで楽しかったWEBページを作ることも、ただの苦行でしかなくなったわ」
「そう、なんだ……」
今まで、母さんの仕事の話なんて聞いたことがなかったアタシにとって、その話は新鮮だった。ただの口うるさい親程度にしか思っていなかったのに、母さんも苦労してるんだってことを聞かされると急に親近感がわいてくる。
「でもね、それでもやらなきゃいけないのがプロなのよ。楽しくなかろうが、苦しかろうが、やり続けなきゃいけないの。——あなたのなりたいVチューバーだって、動画配信のプロなんでしょう?」
「……うん」
「だったら、あなたの望んだ形でなかったとしても我慢するべきよ。きっと、Vチューバーになったとして、今後も我慢しないといけないことはたくさん出てくるもの」
「…………」
母さんの言う通り、Vチューバーになった後も我慢しなきゃいけないことが出てくるのは分かってる。
だけど、Vチューバーになりたいと言ったのはアタシ。母さんが何を言おうと、アタシがやりたいようにやる。
——そう思っているのに、自分のやりたいことが分からなくなってしまった。
Vチューバーになりたいのか、それともそーやにイラストを描いて欲しいだけなのか。
「今、私が言えるのはこれだけよ。あとはあなたが決めなさい」
黙り込んだアタシに母さんはそう言って、部屋から出て行った。
そうして茜とアタシの二人だけに戻った部屋の中で、アタシは膝を抱えて蹲る。
アタシはこれからどうすればいいのだろう。そもそも、なんでアタシはVチューバーになりたいと思ったんだっけ……。
それは、まともに人と会話できない自分を変えたかったからで。自分の好きなものの話を他の人ともしたかったからで——。
「——姉御。今ならまだ、オーディションを辞退することは出来ますよ……?」
そうだった。
アタシがVチューバーになりたいと思った理由なんて、最初から決まってる。
いまさら悩むことなんて何もない。
——のに。
「……もう決めたから、オーディションは受ける。そーやにイラストを描いて貰うことは、諦めた」
それを聞いた茜はホッと息をついて顔を綻ばせた。
だけどアタシは、自分で口にしたはずなのに「もやもや」とした何かが消えなくて。
少し触れただけで崩れてしまいそうな心をそっと抱えるみたいに、その迷いに結論を出すことが出来なかった。
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