お見合いと一緒ですからね 1.3
◇
「――もしもし。ご無沙汰してます、三千喜です。……工藤さんの携帯で合ってますか?」
いつもより早く解散して、一人になった自室で。俺は中学時代にお世話になった、師匠とも呼べる存在のイラストレーターに電話を掛けた。
『おぉ! 創哉くん! 久しぶりだねぇ! 元気にしてたかい?』
「はい、まぁ……。イラストレーターを辞めた後も、工藤さんが面倒を見てくれたおかげで何とか元気にやれてます」
『そうかそうか! それは良かったよ! にしては声に元気がない気がするけどね!』
敢えてなのか元からそういうものを気にしない性格だからなのか、俺の声が暗いことを指摘はしても深くは聞かず「はっはっは!」と笑っている工藤さん。
イラストレーター時代に幾度となく助けられたその声が、今はなぜか少しウザったく感じる。
『しっかし、創哉くんから電話をかけてくるなんて久々じゃないか? 高一の夏休みくらいからめっきり連絡してこなくなったのに』
「すみません。工藤さんには何度もお世話になったのに……」
『いや、いいんだよ! 元気にやってるならそれで!』
工藤さんはいつもの明るい調子でそう言った。
それを聞いて、そろそろ本題に入ろうと俺が覚悟を決めた時、
『それで、今回電話してきたのは僕に頼みでもあるのかい?』
さっきまでとは違って数段落ち着いた声のトーンで、そう聞いてきた。
「……そうです。今回はお願いがあって電話しました」
『だと思ったよ。まぁそんな強張らずにお願いしてくれ。なんなら戻ってきてくれても構わないよ? きみの席はまだ取っておいてあるからさ』
「それは…………」
『はは、冗談だよ。待っているというのは事実だけどね。それで、お願いって?』
「——実は、工藤さんに……カラーリングをお願いしたいんです」
と、俺がそのお願いを口にした途端、電話越しの工藤さんの雰囲気が変わったように感じた。
『……カラーリング、ねぇ? いつ頃を期限にするのさ』
「今、こっちで線画を準備してるんで三日後くらいには線画を送れると思います。それから大体二週間くらいで仕上げて貰えれば——」
『二週間……種類は? 普通のイラストの話じゃないでしょ、それ』
……どうやら、すべて見透かされているみたいだ。
「——Vチューバーのモデルです」
『てことはモーションデザインもかな? それはどっか別の所に頼むの?』
「いや、出来れば工藤さんの所でお願いしたいです」
『——ふぅん。なるほど、ね』
ひとしきり情報のやり取りをして、工藤さんは意味深に呟いた。そして、深いため息がマイク越しに聞こえてくる。
その後——、
『悪いけど、その依頼は受けないよ』
やけに冷たく感じる、機械のような冷徹な声でそう言った。
「そう――ですか。あの、理由を聞いても……?」
『今準備してるって言ってた線画。それ、創哉くんが描いてるやつでしょ』
「え——……」
まさかそこまで見透かされているとは思わず、驚きの声が出る。
『分からないと思ったかい? こちとら、キミがデビューした時から引退する時まで全部知ってるってのに? ——分からないわけがない』
「それは…………」
『Vチューバーのモデルを依頼してきて、それを何に使うつもりなのかは知らないけどさ。モデルを描いてから「色」が見えなくなったキミが、そのモデルの線画を描いてカラーリングを依頼してくるなんて、いったいどういう風の吹き回しかな?』
「————っ」
何も、言えない。
たしかに、工藤さんからしてみれば訳が分からないだろう。
Vチューバーのモデルを描いたことでトラウマを負った俺が、そのVチューバーに関わる依頼をしてくるなんて。
『まぁ、ともかく。この依頼に関して僕んところは引き受けないから。そんじゃね』
その工藤さんの言葉を最後に、電話は一方的に切られた。
——薄々分かってはいたんだ。多分引き受けてくれないだろうって。
ただ、それでも。太知との約束を果たすためには、俺は工藤さんに縋るしかない。
◇
「いいんですか? 工藤さん。さっきの依頼、三千喜君からのだったんでしょ?」
電話を切って、椅子の背もたれにだらしなく寄り掛かったところで、社員の一人が僕に向かってそう言った。
「いーんだよ、これで。……僕はどうやら、創哉くんを甘やかしすぎたみたいだからね」
「そんな事言ったって、あの子まだ高校生ですよ? 私たちみたいに成人してるわけじゃないんだし……」
過保護になるくらいがちょうどいいと、おそらくこの社員はそう言いたいんだろう。
だけど、そういう訳にもいかない。
「いいかい、キミ。僕たちはイラストレーターなんだよ? 自分の才能で飯を食っていく生き物だ。そんな生き方をする人間に、甘えが許されると思うかい?」
「それは確かにそうですけど、でも——」
「この業界に入った時点で、学生だろうが社会人だろうが関係ない。一人の「絵描き」としてしか見られない。そして、創哉くんはその世界から逃げ出したってわけさ。つまり、死んだも同然ってこと。分かる?」
「——じゃあなんで、ここを辞めたあとも三千喜君のことを気にかけてるんですか。工藤さんは。言ってることと行動が合ってないですよ」
「なに言っちゃってんの。そら僕が優しいからに決まってるでしょ」
「はぁ……そんな事言って、どーせ期待してるからとかじゃないんですか? あの子の才能に」
思ったより鋭い社員に、僕は少し驚いた。
まさか、自分の想いを言い当てられるとは思いもしなくて。
「——さぁ? どうだろうね」
口では違う風を装っていても、僕の頭は彼の才能のことでいっぱいだった。
初めて彼の絵を見た時の、あの衝撃。一生忘れることは無いだろう。
あまりにも現実離れし過ぎた色使いをしておきながら、一切「ありえない」と思わせない彼の才能。
あの少年にかかれば、黒い月だろうが紫の木だろうが、全てが現実に存在するものになる。
「ま、もう少し待ってみても遅くはないさ」
少なくとも、その才能を自分で殺しているうちは手を貸すつもりはない。
◇
「今日も見えない、か……」
力なくそう呟き、俺はペンを持ったままのその手から力を抜いてぶら下げた。そしてそのまま、上を向いて倒れ込むように椅子の背もたれへと体を預ける。
——目に入ってくる天上の色は白い。
「はぁ…………」
元から白い壁紙の天井だというのに、白く見えることに嫌気が差しため息をつく。そして窓の外に目を向けるが、今日はあいにくの空模様だった。
「すげー雨——……」
どうやら台風が近づいてきているらしく、窓を撃つ水音が煩く感じる。今はまだ風の強さはそこまででもないが、今夜から明日の明朝にかけて強くなるらしい。
「……今日はもう寝るか」
現在時刻はまだ午後の六時を少し回った程度。つまり、寝るには早すぎるのだが、俺はもう寝てしまいたい気分だった。
とにかくやる気が全く起きない。工藤さんに連絡をした日から三日が経過したのだが、その三日間はずっとこんな調子。
その三日間は柊木と太知も家に来ていないし、学校でもロクに喋ってない。だから未だに、工藤さんに断られたことを伝えられないでいる。
そしてさらに、断られてしまった以上自分一人で描き上げるしかないが、全くやる気になれない現状。俺の心はほとんど諦めモードだ。
色が見えなくても描ける線画ですら、今は描く気が全く起きない。
「さすがに、マズいだろ……」
口ではそう言うものの、本心ではどうでもよくなっていた。
このままベットに入って、何もかもをさっぱり忘れて寝てしまいたい。
色が見えないことも、工藤さんに断られたことも、太知との約束も——。
「……太知」
なんとなくその名前を声に出すと、少しはやる気が蘇る。
だけど、雀の涙ほどのそのやる気は、真っ白のキャンパスを見た瞬間に儚く消えていく。
「あぁぁぁぁぁ――……」
もう何度目かも分からないその現象に、今度こそ体の力が全て抜け、ベットに潜り込もうとした時。
軽快な通知音と共に、スマホのメッセージアプリから通知が画面に表示される、
そんなスマホを反射的に手に取り、これまた反射的に通知の内容を確認して……。
「————はい?」
間の抜けた声を上げ、ベットに向かっていた足を止めた。
「今から家に来るって……この大雨の中?」
スマホの画面に無機質に映し出された、太知からのメッセージに。
窓の外とスマホとを交互に見比べて困惑した。
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