「感情最大の敵は親である」 1.9

 

   ◇


「——それは? いったい何なのよ」

「えっと……」

 なんて言えばいいのか分からず、言葉を濁しながら視線を逸らす。

 

 太知の視線に気付いて途中で止めたのはいいが、こっからどうすればいいのか考えてない。というか、太知がなぜ俺を止めたかの理由すら知らない。

「や、やっぱり太知本人から聞いてください——!」

「え、そーや……⁉」


 俺から突然話を振られた太知が、裏切りにあった子犬のような悲鳴を上げる。

 いや、知るか。

 自分で何とかしろって。


「ヒカリ? 貴女、また私に隠し事をしてるわけ?」

「う…………」

 何故か頑なに、「配信で使う」と言わない太知に違和感を覚える。

 

 ……待てよ? まさか——。

 

 そんな二人のやり取りを傍から見て、俺はあることに気が付いた。

 おそらく太知は、お母さんに「Vチューバーになりたい」と思ってることを言っていないのだろう。

 だから言えないのだ。そのパソコンが、配信活動で必要なものであると。


 まぁ、太知のお母さんの性格からして、それを言ったら間違いなく「やめなさい」と言われるだろう。「Vチューバーなんて得体の知れないものになるなんて、認めるわけがないでしょう」と。

 

 どうしてもVチューバーになりたい太知からしてみれば、それは困るわけで。だから、親に言わないという選択をした太知の考えはあながち間違いじゃない。

 

 ただ、それは全て「隠し通す」ことが出来ていればの話。無かったはずのパソコンがある理由を問い詰められている以上、「Vチューバーになりたい」と思ってることを言わないといけない。

 ただ、それを言ってしまえば太知は、Vチューバーになることを諦めなきゃいけなくなるだろう。


 それは、なんとなく嫌だ。


 俺は別に、太知の「Vチューバーになりたい」という夢を否定したいわけじゃない。むしろ、なりたいと思っているなら頑張ってほしいと思った。

 ただ、そのために必要なイラストは描けないというだけで。

 もし太知が有名になったら……なんていう下心はゼロではないけど、それを抜きにしてただ純粋に応援しようと思った。

 学校の屋上で、「Vチューバーになりたい」と言った太知からは、本気で目指しているのだろうと思えるほど意気込みを感じたし。

 

 なにより、「何者かになる」ことの大変さは、俺自身もよく知っているから。

 俺と同じように、「何者か」になろうとしてる太知に親近感がわいて、頑張ってほしいと思った。

 それを、「親に認められなかったから」という理由で諦めて欲しくはない。かつて、同じ理由で親と別れた身としては——。

「太知……」

 ただ、だからと言ってこの状況を誤魔化せる言葉がすぐに浮かんでくることも無く。不安げに瞳を揺らす太知に、ただ声を掛けることしか出来ない。

 

 しかし、俺の方を向いた太知は一瞬俯いて何かを呟いた後、正面切ってお母さんに告白した。


「……アタシ、Vチューバーになりたいの。そのパソコンは、Vチューバーになる為に必要なやつ」

 ヤンキーだから、という訳ではなく太知の元々の性格なのだろう。

 どんな時でも、相手と真正面に向き合うその真っ直ぐな性格は。


 適当に誤魔化せばいいと思っていた俺とは違って、素直に「Vチューバーになりたい」と思ってることを告げた。

 そんな太知に、お母さんは呆気に取られて少し固まる。

「Vチューバー……って、これのことかしら」

 だが、お母さんが呆気に取られていたのは一瞬だった。

 そう言いながら、ポケットからスマホを取り出したお母さんが、軽く操作しその画面を見せる。


 その画面を見た太知が、おずおずと首を縦に頷いた。

「——そう。……認めないわよ」

 短く、だけどはっきりと太知の夢を否定したお母さんは、「つまらないものを見た」とでも言わんばかりにため息をつき、スマホをポケットへとしまう。

「あんな、何が面白いのか理解できない動画を作るくらいなら、大手企業に就職するための勉強をしたほうがマシだわ」

「は——なに? 母さんはアタシが大手企業に就職できると思ってるわけ? 出来るわけないでしょ」

 お母さんの挑発的な発言に、太知の怒りのボルテージが急激に上がる。いや、今回ばかりは太知だけじゃない。俺もかなり不快に思った。

 Vチューバーのモデルを描いたことがある身としても、それを抜きにしたとしても。自分の好きなものを否定されるのは、誰だって嫌な気分になるはずだ。

「えぇ、もちろん。出来るわけないわ。もし仮にあなたが大手に就職できたとするなら、相当なブラック以外ありえないでしょうね」

 太知のお母さんはそう言うと、再びスマホを取り出して、今度は動画を流しながら太知に言い放った。

「Vチューバーになる——なんて、冗談じゃないわ。大手に就職するために勉強すれば、どうせ受からないあなたでも少しは知識が付くけれど、コレになって一体なにが身につくわけ? 何もないじゃない。こんなくだらないことで人生を無駄にしたいのかしら?」

「————ッ‼」

 そう言われた太知は当然のようにキレた。

 クリームパンを粗末にしていたヤンキーを相手にした時とは比にならないほどに。

 

 そんな太知が、お母さんに掴みかかる———その直前。


「その言い方は、無いんじゃないですか?」

 自分でも無意識のうちに、俺の口は自然とそう言っていた。

「——何かしら」

 そんな俺に、太知に胸座を掴まれていながら、高慢ともいえる態度を崩さないお母さんが反応する。

「……なんでお母さんは頑なに、太知のやりたいことを否定するんですか。やりたいって言ってんだから、やらせてあげればいいでしょうに」

 親という生き物はいつもそうだ。

 かつては自分だって、何かになりたいと思っていたはずなのに。いつからか現実しか見なくなって、夢や希望を「くだらない」の一言で片づける。

 それが俺は凄く嫌いなんだ。「経験してきたから」という理由だけで、下らないと否定してしまえるその精神が。

 しかし、そんな俺の物言いにお母さんはムカついたのか、眉尻をわずかに上げた。

「やらせてあげればいい……ですって? 見ればわかるでしょう、ヒカリの好きにやらせた結果がこれじゃない。校則違反は当たり前、そもそも学校にすらまともにいかない。そうやって好き勝手やってるんだから、厳しくされるのは当たり前でしょう?」


「……その通りですわ。たしかに」


 迂闊だった。その通りじゃないか。


 俺が親と揉めた時は、学校にはとりあえず行ってたし、素行だって悪くない普通の中学生をやってたから気づかなかったけど。

 今の太知のことを考えれば、このお母さんの言ってることは正しい。いや、正しすぎる。

「は——⁉ おま、味方してくれるんじゃないのかよ⁉」

「いや……だって、実際その通りじゃん?」

 お母さんの言い分に納得した俺に、太知が「味方だと思ってたのに」と恨めしそうな目で見てくる。

 だが、これに関しては太知の日頃の行いが悪い。言うなれば自業自得だ。

 もう少し普段の生活がまともなら……具体的には、校則を守ってちゃんと学校に来ていれば、こう言われることも無かったのに。

 

 ……そう、全部自業自得——ではあるのだが。


「それでも、太知のなりたいものを「くだらない」って決めつけるのはやめてください」

 自分が「なりたい」と思ったものを否定されると、とても苦しくなる。

 Vチューバーのような、自分一人で「なりたい」ものになる努力をしないといけないやつは特に。

 しかも、それを親から言われたら余計に傷つく。


 なにしろ、俺もそうだったから。


 それを伝えたくて、俺は太知のお母さんを真っ直ぐに見つめた。

「少なくとも、太知は冗談で「Vチューバーになりたい」って言ってるわけじゃないと思います。……ほとんど話したこともない俺のことを調べて、「アタシの好きなイラストを描くお前に、Vチューバーのモデルを描いて欲しい」ってお願いしてくるくらいには」

 ――そのお願いは、授業を無理矢理抜け出してされたものだけど。

「だから、応援はしなくても見守ってあげて欲しいんです」

 そう言って、俺は太知のお母さんに「お願いします」と頭を下げた。

「随分……大人びたことを言うのね。高校生にしては」

「まぁ、一度同じようなことを経験したんで」

「……そう」

 

 ――俺も中学生の時、イラストレーターになろうとして親と揉めた。

 その時は太知みたいに、自分の言いたいことだけを言い合う喧嘩みたいなことはしなかったけど。

 いや、むしろ俺の方が酷かったかもしれない。

 話し合おうとする母さんの事を、「どうせ理解なんかしちゃくれない」と決めつけて、勝手に家出をしてイラストレーターになったんだから。

 母さんの事を無視して家を飛び出して、爺ちゃんに甘えて今のアパートで独り暮らしを始めた。そうやって今日まで生きてきたのが今の俺だ。

 もし爺ちゃんがいなかったら、俺は今頃死んでてもおかしくないだろう。

 

 だから太知には、ちゃんとお母さんと話し合って欲しいとは思う。話し合うこともせずに家を飛び出して、後悔してるのが今の俺だから。

 俺の勝手なエゴになるけど、そんな嫌な思いを太知にはして欲しくない。

「……あなた、名前は?」

 少しの沈黙の後、太知のお母さんがそう言ったことで俺は頭を上げた。

「三千喜創哉です」

 

 一度自己紹介してんだけどな、俺。聞いてなかったのかなぁ……。

「そう——三千喜君は私にお願いしたけど、あなたはどうなの? ヒカリ」

「……お願い、します。母さん」

 どこかまだ素直になりきれていないのか、少し詰まりながら太知もお母さんにお願いする。それを聞き届けた太知のお母さんは、自分の髪を搔き乱しながら、大きなため息とともに俺に言葉を発した。

「——はぁ。もしこれで、ヒカリがロクでなしになったら君のせいよ。三千喜君」

「え……⁉ いや、それはちょっと話が違う……」

「何も、文句ないわよね?」

 今まさに文句を言っている最中だというのに、それを無言の圧で無理矢理中断させて、目の笑っていない笑顔と共にお母さんが念を押してくる。

「——はい。文句ないです」

 そんな太知のお母さんに、俺はそう答えることしか出来なかった。

 

 だけど心なしか、ため息をつくお母さんの表情が少しだけ嬉しそうに見えたのは……多分きっと、俺の気のせいというやつなのだろう。


   ◇


 ——と、ここで終わっていれば良かったのだが。


「喜んでいるところ悪いけど、Vチューバーを目指すことを許してもらいたいなら、条件があるわ」

 そんなお母さんの一言で、すっかり祝勝会ムードになっていた俺の気分は一気に冷えた。

 そして、どうやらそれは太知も同じだったらしく、

「そ、そんなの聞いてない! あとから条件出すとか、ありえないでしょ!」

「ありえなくないわ。あなたの今までの行動を見ていれば、条件を出されるのは当然でしょう」

 その一言でお母さんは、太知と俺の反論を封殺した。

 ——このお母さん、レスバが強すぎるんだが?

「安心しなさい。ヒカリが頑張れば満たせる程度の「条件」よ」

 続けてお母さんの言った言葉を聞いて、太知は安堵したようにホッと息をつく。

 

 とはいえ、俺は最初から何も心配していなかったのだけど。おそらく、お母さんの出す条件は「毎日学校へ行く」とか、そんな感じのものだろう。

 ついさっき、太知には「まともになってもらいたい」的なことを言っていたし。

 だから俺は、深く考えることなく、太知のお母さんの言葉を待つ。

「——それで、条件ってなに? 母さん」

「そうね、「一カ月でVチューバーに」なりなさい。それが出来ないなら諦めるのよ」

 そんな風にさりげなく、事も無げに言われた言葉を俺は一度聞き流した。

 太知とお母さんの約束に、口を出すつもりも無かったし。

「一カ月でVチューバーになれ……? それだけなの?」

「そうよ。どうせあなたにこれ以上条件を増やしても、一つも満たせないことは分かってるもの」

「あっそ……ま、分かった。一カ月以内にVチューバーになればいいんでしょ? そんなの簡単だし」

「——そう、じゃあ成立ね。なら一カ月の間、好きにするといいわ」

 太知のお母さんが「成立」と口にした時、俺は初めて違和感に気が付いた。

 

 一カ月でVチューバーになるなんて、そんなこと出来るわけないだろ。

 そもそも、Vチューバーのモデルを作るのに、最低でも三カ月はかかるってのに。


 そんな無理難題な条件、太知が吞むはずない——、

 

 ——いや、ちょっと待て。今さっき太知が「分かった」て言ってた気が……。


 いや、嘘だろ⁉ まさかその条件を呑んだんじゃないよなぁ⁉

 嘘だと言ってくれ‼ そんな気持ちで太知の方を見る。

 

 が、太知は達成感からか満足げな表情をしているだけで、お母さんも部屋から出て行ってしまった。

「え……? うそ、だろ……?」

 だいたい太知お前、俺まだ色が見えるようにすらなってねーんだけど?

 ていうか教えたよな? モデルを作るには最低でも三カ月かかるって。

 そもそも、お前の当初の予定じゃ八月だったろ。あと三カ月も先なのに、なんで一カ月っていう条件を了承できちゃうんだよ!

「————まじ……?」

 終わった。無理ですこんなの。

 

 そんな俺の魂の抜けたような声が、太知の部屋に虚しく響いた。

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