「感情最大の敵は親である」 1.8
嘘、だろう?
そう言いたいくらいに圧があった。ただ人と話しているだけなのに、なぜか息が上がる。
「母さんッ⁉」
「今すぐに、説明しなさい」
太知に「母さん」と呼ばれた人物は、部屋の中を見渡してから、目の前に立ち竦む俺に氷柱のような視線を向ける。
その鋭い視線に睨まれて、俺は息が詰まって動けなくなった。
肩のあたりまで伸ばした、黒のストレートヘア。そして、キリッと吊り上がった眉尻。スーツに身を包み、冷静さを感じさせる落ち着いた佇まいは、「出来る人」そのものだ。
この人が、太知のお母さん——⁉
そう驚いてしまうくらいには、太知と似ても似つかない。
太知がヤンキーだとするならば、このお母さんは優等生だろう。全くもって正反対の存在じゃないか。
ただ、流石親子と言うべきか、よく見れば似ている部分もある。太知と同じようにお母さんも美人だし、カッコよさを感じるその雰囲気も似ている。
そして、これは似てて欲しくなかったが、相手を警戒している時の恐ろしいくらい鋭く、冷たい視線も——。
そんな視線を高い身長で刺してくるのだから、なおのことこっちは委縮してしまう。このお母さん、太知よりも身長が高い。
太知の身長は俺の顎下——つまり、百六十後半くらい。
それでも十分高いのだが、このお母さんは俺と視線の高さがほとんど一緒なのだ。おそらく、俺と身長差一センチ程度しかない。
高身長、キッチリした身だしなみ、そしてヤンキー顔負けのきつい雰囲気。
それら全てを持った人が、腕を組んで、不快さを顔の前面に出して睨んでくるのだから恐ろしい。正直言って、今すぐにでもこの場から逃げ出したい。
だが、逃げ出そうにも俺の動き全てを監視されているようで、息をすることすら恐る恐るにしか出来ない。
ほんともう、後は帰るだけだったのになんで……。
「な、なんで⁉ 今日は家に帰ってこないって…・!」
「それを貴女が知る必要はないわ、ヒカリ。そんな事より、私の質問に早く答えなさい」
「————ッ‼」
太知のお母さんは、目の前でどうしたらいいのか分からず固まっている俺を無視して、奥のベットに座っていた太知に声を掛ける。
「なぜ、知らない人間が勝手に家へ上がっているのかしら?」
相変わらずドスの効いた、ハスキーボイスで太知を問い詰めるお母さん。
そんなお母さんの言葉を聞いた時、俺は半ば無意識に、弾かれるように自己紹介していた。
「す、すすすみません! 太知と同じ学校に通ってる、三千喜創哉です! 勝手に家に上がってすみませんでした!」
早口にそう名乗り頭まで下げる。
なんというかもう、太知のお母さんから伝わる不機嫌のオーラが半端じゃないのだ。これ以上不機嫌になったら、割と本当に殺されそうな勢いで。
たぶん、その鋭い視線で俺の心臓を「グサッ!」とぶっ刺して殺してくるのだろう。
——なにそれ怖い!
そうならないように、俺はとにかく謝った。……のだが。
「貴方には聞いてないんだけど。部外者は黙っててくれるかしら? ——それと、初対面の相手を呼び捨てにするなんていい度胸ね」
「——え⁉ 呼び捨ててない……」
そう言おうとした時、太知のお母さんの視線がより一層キツく鋭くなり、俺は小さい悲鳴を上げて押し黙った。
いや、だけど待てよ。
俺はお母さんの事を呼び捨てになんかしてないぞ。むしろさっきの自己紹介でお母さんの事を呼んでなんかいない。
——あ。
まさか、俺が太知を差して呼んだ「太知」が、お母さんは自分が呼ばれたと勘違いした、とか? いやそんなまさか……。
そんな、ノリのいい家族がしそうな「私も太知ですが?」なんてギャグを、この堅物のお母さんがするのか? ないと思うんだけど。
「ヒカリ、いつまで黙っているつもり? 貴女に聞いてるのよ」
「……別に、いいでしょ。友達を家に呼ぶくらい」
「私は「友達を勝手に家に上げていい」なんて、一言も言ってないはずよ? それなのに何故、家に上げてるのかしら」
「——ごめんなさい」
お母さんは太知を正座させ、場の空気は完全に説教ムードになってしまった。
そんな空気に、俺も言われたわけじゃないけど正座をする。
「なぜ、貴方まで正座しているの」
「い、いやぁ……なんとなく?」
アンタがめっちゃお怒りだからでしょうが! とは、口が裂けても言えないので。
とりあえず当たり障りの無さそうな言葉でお茶を濁しておく。
しっかし、お母さんが現れてからというもの太知の元気がない。もしかして、太知はこのお母さんの事が嫌いなのだろうか。
まぁ、気持ちはめっちゃ分かるけど。
こんな怖いお母さんが好きなんて言うのは、一部の変態さんくらいしかいないだろう。
「謝れなんて言ってないわ。なぜ、勝手に家に上げたのか聞いてるのよ」
愛想笑いで誤魔化す俺にお母さんはため息をつき、話を再び太知の方へと戻す。
なんかこのお母さん、やたらとその話に拘り過ぎじゃなかろうか。
「そんなの、母さんが返ってこないとか言ってたから——‼」
「なに? なら貴女は、私が家に帰ってこなかったら何も連絡しなくていいと? そういうことかしら」
「そっちだって、アタシに何の連絡もしてないんだから当然でしょ⁉ アタシには連絡しろとか言うくせに、そっちはしませんとかそんなのおかしいじゃん‼」
「私は貴女の親なの。子供が親に連絡するのは当然のことでしょう。その当たり前すら、貴女はまともに出来ないわけ?」
「ふざけんな‼ それを言うならアンタだって当たり前が出来てないじゃん!」
……あーあーあー。やばいよこれ、めっちゃ気まずいよ。
どんどん喧嘩がヒートアップしていって、もはや太知なんてお母さんの事を「アンタ」呼びしちゃってるし。
というか俺は何で、律儀に正座なんかしちゃって他人の家族の喧嘩を聞いているんだろう。この隙にそそくさと帰ればいいじゃないか。
「あー。じゃあ俺は、これで失礼しますねー……」
一応帰ることだけは伝えて、立ち上がろうと足を動かす。
「待ちなさい。帰っていいなんて一言も言ってないわ」
「そーやも言ってやって! このクソばばあに!」
――のだが、結局喧嘩していたはずの二人に呼び止められて帰れなくなった。
いや、なんでだよ。もっと喧嘩に集中しときなさいよ。
というか太知、お母さんの事を「クソばばあ」呼びはいけないって。よりにもよって、こんな怖いお母さんをもっとブチギレさせるような呼び方はマズいって。
「親をクソばばあって呼ぶんだったら、今すぐこの家から出て行きなさい‼」
「はぁ⁉ そっちが出てけよ‼ どうせロクに家にも帰ってこないんだからさぁ‼」
「貴方ねぇ‼ 誰の為に私が毎日仕事してると思ってるのよ‼」
「はッ! そうやってまた仕事を言い訳にしてさ‼ 便利でいいね、仕事って‼ アタシだって学校あんのに!」
ほら、言わんこっちゃない。親をクソ呼ばわりはダメだって。てーか、お前はまともに学校来ておらんでしょーが。
「ろくに学校も行ってないのに学校がある? あまりふざけたことを言わないでちょうだい! 学校に行かないなら働けってずっと言ってるでしょう⁉」
「——‼ 誰のせいで学校に行けなくなったと思ってんの⁉ 何も知らないくせに言うなよ!」
「またそうやって人のせいにするのね。……学校に行けないのは他でもない貴女の弱さのせいでしょう⁉ 人のせいにしてるんじゃないわよ‼」
「————ッ‼」
…………。
なぜだろう、なんか話がどんどん重たい方へと向かって行ってる気がするよ。
これ、最初は「勝手に他人を家にあげるな」ってだけの話だったよな? それが何故、学校に行ける行けないとか、その理由の話になってるんだろうか。
どうやらもう、放っておいたら勝手に鎮火、とはいかないらしい。
とはいえ、どうやって二人の気を静める? 無理なんですけど。
喧嘩なんてまともにしたことないし、その喧嘩を鎮めたことだってない。
そんな俺が二人の喧嘩を止めるとか、無理ゲーにも程があるっていうもんだろう。
……だがしかし、このまま黙っている訳にもいかず。
「……ちょ、ちょっと! 一旦、二人とも落ち着きましょう! ね⁉」
俺は立ち上がって、まだ相手を貶し合おうとしている二人の間に割って入った。
すると当然、二人からの視線が俺に集中する。
邪魔するなと言わんばかりの視線を向けてくる太知と、少しは落ち着きを取り戻したのか狼狽えるお母さん。
どうやら、お母さんの方はそこまで怒りに吞まれてなさそうだ。
「えーと、勝手に家に上がったのは……すみませんでした。今後はもうお邪魔しないので、許してください」
少しはこっちの話を聞いてくれそうなお母さんに、家へ勝手に上がったことの謝罪をする。
元はと言えば、太知がお母さんに連絡しなかったせいだが、それを言えばさらにヒートアップすることは間違いない。不本意ではあるけれど、俺のせいにして丸く収まるならそれに越したことは無いだろう。
「無断で人様の家に上がり込むなんて、常識がなっていないんじゃないかしら」
「……はい。すみませんでした」
ここは何を言われようとも、ただ謝り続ける一択だ。ここで反論したって面倒くさいことにしかならない。
というか、正論過ぎて言い返すにも何も言い返せないけどさ。
がしかし、俺の内心を知らないお母さんは呆れたようにため息をついた。
「早く出て行ってちょうだい、全く……。最近の子はどうなってるのかしら。親のいない家に上がるなんて、私が学生の時なら通報モノよ」
「はは、すみません――」
いや、知らんよ。アンタが学生だった時の常識なんて。
家に上がっただけで通報とかやり過ぎてるだろ。不法侵入じゃなくて一応、太知から許可取ってんだしさ。
そんな言葉が喉まで出かかったが、何とか押し殺し「またな」と太知に言ってドアに手を掛ける――。
「……? ヒカリ、そのパソコンは何なの?」
「————っ⁉」
俺が部屋から半分ほど体を出した時、部屋の変化に気付いたお母さんがパソコンを指摘した。
ただそれだけの事。
「あー——、それは……」
Vチューバーとして、配信活動に使うものです。
出ようとしていた体を戻し、お母さんにそう言おうとした俺の口は、太知の訴えかけてくる視線に止められた。
太知は言葉を一言も発していないが、なぜか伝わってきたのだ。
「言っちゃダメ」と——。
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