「感情最大の敵は親である」 1.7


   ◇


「……お、お邪魔します」

「うん、どーぞ」

 

 人生初の女子部屋。

 そんな初体験に俺の心は緊張しっぱなしで、落ち着きがなかった。


「少し散らかってるけど、てきとーなところ座っといて。アタシお茶取ってくるからさ」

「お、おう。いや、お構いなくー……」


 女子の部屋――いやしかし、その女子は太知なのだ。

 ヤンキーなんだから、そこまで俺の家と変わるようなもんでもないはず!


「……ん? どうした?」

「いや、なんでも」

 

 そう言いながら、俺はさっきの自分の考えが甘すぎたことに気付き頭を抱えた。

 

 太知がドアを押して、内装がちらりと見えた瞬間。まず、芳香剤のいい匂いが鼻をくすぐって俺を出迎えた。

 そして、ドアが完全に開かれ惜しげも無く内装が俺の視界いっぱいに広がる。その内装は、「ヤンキーだから」という俺の予想をはるかに裏切り「女の子」していた。


 五畳一間くらいの、一般家屋として大きくも小さくもない広さ。

 その空間は、俺が想像していた以上に「女子の部屋」で。そのことを意識してしまうと、自分は一体どこを見ていればいいのか分からなくなる。

 薄い水色で統一された壁紙、それとは対極的に濃いピンクのカーテン。今、俺が座っている場所にはカーペットがひかれているが、その色も白。

 驚くべきことに、一つとして黒色の家具が見当たらない。どこを見てもパステルカラーが目に入ってくる部屋。


 しかし、俺は「女子の部屋」にも、「ヤンキーの部屋」にも入ったことはない。だから、この部屋の「異色さ」がどれ程なのかは分からない。

 だけど、この部屋が女子の部屋というよりは、太知の部屋であることに間違いはない。

 なにしろ――

「……凄いぬいぐるみの数、だな」

 窓の桟、ベットの枕元、勉強机の上、クローゼットの隅、などなど。

 見渡せば、視界の中にぬいぐるみが映らないことはない。そう言っていいほど、部屋のあちこちにぬいぐるみが置かれている。

「何個ぐらいあるんだ? このぬいぐるみ」

「ぬいぐるみの数? この部屋にあるのは全部で二十五匹だけど」

「な……ッ⁉」

 

 多いな⁉ いや、ていうか、正確な数覚えてんのかよ⁉


 流石、「Vチューバーになってぬいぐるみの話がしたい」と言い出すだけのことはある。まさかこんなにぬいぐるみガチ勢だとは思わなかった。

「この猫のぬいぐるみは「なめろー」でしょ? で、そこの机の上にいるホワイトタイガーのぬいぐるみは「ぽんち」でー……」

「いや……! ちょちょちょ!」

 突然、ぬいぐるみに付けた名前を教え始める太知に、俺は待ったをかけた。

「ん? なに?」

「まさか、ここにあるぬいぐるみに全部名前つけてんの——?」

「いや、流石に全部は名前つけてないよ。お気に入りの子だけ。あ、こっちは「じょー」で、こっちは「らんた」ね?」

 そう言って太知は、俺の目にはどう見ても同じにしか見えないクマのぬいぐるみを二つ持ち、俺にそう紹介する。

「……どうやって見分けてんの?」

「え、簡単だよ? じょーの方は太ってんの! 中の綿がいっぱい詰まってるから、一番モチモチしてるんだよー」

「へ、へぇ……」

 俺がぬいぐるみに興味を持ったことが嬉しかったのか、太知はにこやかな笑みを浮かべて楽しそうに語る。


 まぁ、まさかここまで凄いとは思ってなくて、俺は圧倒されてんだけど。


 とはいえ、ぬいぐるみと言われたら俺の頭に浮かぶのは「埃」だ。いや、ぬいぐるみに限らずフィギュアとかも埃をかぶるけど。

 しかし、フィギュアの場合は埃が被らないよう、ケースに入れることが多い。あの透明な、プラスチックの四角いやつ。

 もしくは、フィギュアなんてそもそも滅多に触るものでもないし、埃をかぶってもあんまし気にならない。

 ……が、ぬいぐるみは違う。

 今、太知が顔を埋めているように、ぬいぐるみは飾っておくだけじゃない。手に触ったりしても楽しめる。

 しかし、そんなぬいぐるみが埃をかぶっていたらどうだろうか? 答えは簡単、「触りたくない」だ。

 だけど太知は、そんなことを気にすることも無く触っている。それに、他のぬいぐるみを見ても埃をかぶっているようには見えない。

 この部屋に入る前、太知は「少し散らかってるけど」なんて言ってたが、全く散らかっていない。メチャクチャ綺麗な部屋だ。

 そんな部屋に、もしかしたら太知は、ものすごく綺麗好きなのかもしれないな、なんて思った。

「あ、そうそう。そーやにはこれも見て欲しかったんだよ!」

「あぁ、それね……」

 太知は持っていたぬいぐるみを元の場所に戻し、今度は勉強机の前に貼られた大きいポスターを指さす。そんな太知に俺は苦笑いで返した。

「本当に好きなんだなー。そのイラストが……」

「そりゃもちろん! アタシの宝物だから!」

 そう。

 そのポスターに描かれているのは、太知が「好き」と言ったあのイラストだ。


 相変わらず線画でしか見えないが、大きさのせいでかなりの存在感を放っている。

 まさか、拡大してポスターにしているとは思わなかった。


 太知はどうやら本当に、俺が最後に描いたイラストのことが好きなのだろう。このポスターを見せられたら、それが嘘じゃないことくらい分かる。

 だからこそ、気付いてもあえて反応しないようにしていたというのに……。

「ぬいぐるみとどっちが大事なんだ?」

「それはー……ぬいぐるみ?」

「おい」

 そんなやり取りをして、お互いに少し笑い合う。どうやら、あえて反応しなかった俺の対応は間違いだったらしい。

 俺にとっての「嫌な物」でも、太知にとってはそれが「好きな物」で。

 好きなものについて嬉しそうに話す太知を見ていたら、不思議とそんなに嫌じゃなくなってくる。

「しっかし、どうすっか。こんなにぬいぐるみがあったんじゃパソコン置く場所なくないか?」

「あ……たしかに。どうしたらいい?」

「よし、ぬいぐるみを何体か片すか」

「え⁉ ちょ、それは嫌だ!」

 冗談めかしてそう言ったのだが、どうやら太知は本気と捉えたらしく嫌がる。

「……冗談だよ。パソコン一つ置くくらいでそんなに場所取らねーし。それに、どうせお前、机の上で勉強なんてしないんだろ?」

「い、いや? するときはするからな……?」


 ——なるほど、これは絶対にしないやつだな。


「おーけー、そしたら机の上に設置しよう。それ以外に置けそうな場所も無いし」

「ふふ。そうだな!」

 そうして俺は、嬉しそうな太知と一緒に上機嫌でパソコンの設置を始めた。


   ◇


「——よし。まぁ、こんなとこか。どうだ?」

「おぉー! めっちゃいい感じじゃん! ありがとう!」

 パソコンの設営を終えて、太知に確認する。一応俺なりに、部屋の雰囲気を壊さないよう気を使ったつもりなのだが、どうやら太知のお気にも召したらしい。


 しかしそのせいで、パソコンが机の上のぬいぐるみたちに囲まれている、というシュールな絵ずらになってしまっているが。


 まぁそこはご愛嬌ということで、許して欲しい。


「これでもう、いつでも使えるようになる?」

「そうだな。WiFiの設定もしたし、問題なく使えると思う」

 俺がそう伝えると、太知は目を輝かせてパソコンを起動する。その様子を少し見守ったが、パソコンがエラーを吐く様子もない。どうやら問題なしのようだ。

「そしたらやることも終わったし、俺は帰るわ。お邪魔しましたー」

「ん、分かった。設置手伝ってくれてありがとう! あ、駅まで送ってこーか?」

「いや、近くだし大丈夫だよ。それじゃ、また明日学校で」

 そう言ってパソコンを入れてきた鞄を背負い、ドアへと向かう。そんな俺に、太知が「また明日―」と小さく手を振って見送ってくれた。


 そんな何気ないやり取りにちょっと嬉しくなりながら、ドアノブに手を伸ばそうとしたところで——、


「——ヒカリ。これは一体、どういうことかしら」



 突然ドアが開け放たれ、思わず身震いしてしまうほど冷たい声が、太知の名前を呼んだ。

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