第4話 俺、人間じゃなかった

 朝食を終えて、自分の部屋に行くところだった。


「レイ、ちょっといいかしら」


「はい、母様。何か御用ですか?」


 母はいつものおっとりした表情で微笑んでいる。


 朝食の時に見せた、あの怪しい笑みが嘘のようだ。


「実はあなたに見せたい物があって……一緒に来てくれる?」


「わかりました。もしかして、魔法書ですか?」


「魔法書……ええ、そうね。上辺だけは……」


「どういうことですか?」


「ふふ、行きましょう」


 母は俺の手を握り、どこかに向かって歩き始めた。


 五歳の子供をからかうのも、ある意味よくないぞ。


 特に気分を悪くしたわけではないが、なぜか釈然としない気分だ。


 長い廊下を歩いて、たくさん並ぶ部屋のうち、一番変色している扉があった。


 不気味な雰囲気を漂わせている。


「あの、母様……この部屋は」


「あの人もほとんど来たことが無い場所……そして、私だけが知っている真実がここにある」


「真実……それはアーテル家のことですか?」


「それは見てのお楽しみよ」


 母の穏やかな笑みは、次第に狂気じみているように見えてきた。


 いったい、この先に何が……俺は不安な気持ちを隠せなかった。


 部屋を開けてみると、そこはいつもの書斎より古びていた。


 棚には多くの魔法書が並べられており、テーブルの上には飲み物と軽食が置かれていた。


 書斎と言うより、まるで客間のようだ。


 そして、手前のテーブルにはには年季の入った金属製の箱があった。


 かなり埃を被っている。


 長い間放置されていたのだろう。


 母は俺の手を離すと、テーブルに近づいて箱を手に取った。


「ねえ、レイ。魔法は魔力によって発動できる。これは知っているわよね」


「はい。しかし、何故そのような質問を?」


「そうね……あなたが私に似ているからかしら」


「似ているとは?たしかに、僕だけ母様の髪、目の色を受け継いでいますが……」


「ふふ、そういうことじゃないわ。たしかに容姿が私にそっくりなのは、とても嬉しいことよ。けど、容姿だけじゃない……」


 母はこちらに振り向いた。


 だが、その表情はさっきよりも狂気……違うな。


 狂喜と言った方がいいだろう。


 まるで、自らの野望を果たせる日が来たかのように、激しい喜びを噛み殺していた。


 小さい蝋燭しかないので、この部屋は薄暗い。


 だからだろうか、彼女の赤い瞳はより一層輝いている。


 母はゆっくりとこちらに静かに近づいた。


 けど、なぜか俺は冷静で妙に落ち着いている。


 人斬りだったこともあって、恐怖に慣れているのだろう。


 前世の頃の話だが、一人の麗しい女性が夜道を歩いていたのを覚えている。


 12の年で江戸を去り、飛騨の町に着いた頃は既に夜で、宿を取るのも大変だったな。


 そんな中道を彷徨っていると、美しい髪をなびかせている女性がこちらを振り向いた。


 白い髪に赤い瞳は月明かりによって際立ち、俺を魅了してきたのだ。


 彼女が近づいているのに、ただ呆然としていたのは、まだ、俺が人斬りとして経験が浅かったからだろう。


 だが、俺に触れる直前で殺意を表したのでようやく体が反応し、即座に抜刀して斬った。


 どうやら、あれは妖怪か何かの類だったのか、それとも金目当ての商売人か。


 ただ、今思えば……その女性はどこか人間離れしていたな。


 今、まさに目の前にいる母も、その女性と同じ雰囲気を漂わせている。


 蝋燭の火で照らされた表情は、魔性そのもの。


 今の俺は5歳の子供。


 力もなければ、今ここから逃げる手段もない。


 だから、大人しく立ち尽くしていた。


 母は目の前まで近づき、右手で俺の頬を撫でる。


 その後、静かに囁いた。


「人をどれだけ殺めても、気にしない。無慈悲で冷徹な心を持ち、愛に狂っているところよ」


 まるで全てを見透かしたように。


 どうやら、この人は……ただ者じゃない。


 この家に生まれてから、俺はただ純粋無垢な子供を演じていた。


 父も兄も、姉も……使用人さえ、俺の本性に気づかない。


 だが、この人だけは知っていたのだ。


 おそらく、赤子として抱かれた時には既に。


「母様、何を仰って……」


「あら、とぼけるなんて……可愛い子ね。母親なのだから、子供の考えることぐらい何でもわかるのよ」


「……お見それしました」


 誤魔化しても無駄だと悟った。


 母は頬から手を離し、今度は頭を撫でながら微笑む。


「ふふ、素直なところはあの人そっくりね。けど、世界はそんなに甘くない。むしろ、弱みを握られやすいとも言えるわ」


「たしかに、形がはっきりしている悪と曖昧な悪……後者が善に強い」


「その通りよ。歪で泥々した感情を持つ存在は誰だと思う?」


「人間ですね」


「ええ……私はこれまで色々な種族を目にして来たけど、人間は一番恐ろしい生き物だわ」


 どうやら、何かしらの経験があってのことだろう。


 まあ、なんとなくわかる。


 雪を見た時、俺の心は激しく震えた。


 蕩けるぐらい可愛くて、美しい。


 そんな彼女に見とれて、自分の世界が乱れる瞬間はまるで麻薬のようだった。


 麻薬……媚薬かな。


 雪と話をするだけで、耳は蕩ける。


 手を握ると心が躍り、抱き合うと体に熱を帯びていく。


 雪の全てが欲しい、俺だけの女にしたいという欲望が湧いてくるのだ。


 今まで、そんな気持ちを抱く相手などいなかった。


 だが、雪に出会ってから……俺は変わった。


 彼女の前だと、それまでの自分を見失っていく。


 そういえば、俺が理性をなくして、雪を襲ったことがある。


 けど、彼女は恥ずかしがりながらも優しく受け入れてくれた。


 雪の体は柔らかくて、甘い匂いがして……いつまでも俺の隣にいてほしかった。


「もしかして、父様のことを言っているのですか?」


「あら、よくわかったわね。恥ずかしいけど……あれは私が旅をしていた時、偶然彼に出会ったんだけど……一瞬で惚れてしまったわ。容姿というより、純粋で凛々しいところ」


「そうでしたか。今でも父様のことは好きですか?」


「……もう、飽きたわ」


 この人、さりげなく凄いこと言った。


 しかも、息子の前だぞ。


 結婚して、それなりに経っているから仕方ないが……。


 それにしても、こんな性格だったけ。


「今は、あなたに興味があるわ……レイ」


「似ているから?」


「それだけじゃない。あなたは、長男と次女にないものを持っている。それはね―」


 母は頭から手を離し、下がると、姿を変えた。


 姿を変えたというより若くなったというべきかな。


 20代から10代くらいに……。


 身長とか体つきも、幼く、顔は美人から美少女になった。


「――私の血……吸血鬼としての血があるからよ」


 俺は人間じゃなかったらしい。

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