第5話

「あれ。いない……」


 師走祭り二日目。あまり寝付くことができず、六時半ごろに目が覚めてしまった。

 仕方なく布団から起き上がり、部屋を出ると来客用の部屋が空いているのが目に映る。中を覗いてみると、おじさんたちの中に栄治の姿はなかった。


 そこで昨日『明朝が楽しみ』と言っていたのを思い出す。一旦部屋に戻って、上着とMRゴーグルを手に取って外へと出た。

MRゴーグルは師走祭りが終わるまで各々が所持することとなっていた。


「多分、あそこだろうな」


 幼い頃からの付き合いからか、栄治の行動パターンは何となく検討がついた。冬のみ訪れる彼がこの町で行きたいところといえば、あそこしか考えられない。


 鼻からゆっくりと呼吸し、朝の透き通った空気を堪能しながら山道を歩いていく。


「やっぱり、ここだ」


 予想通り、栄治は『恋人の丘』にいた。

 恋人の丘は文字通り、恋人が集う観光スポットとして有名な場所だ。ここには南郷地区の街並みを見渡せる六角形の東屋、『百花亭』がある。


 百花亭は、百済最後の都市である泗沘のあった扶餘に建てられたものを再現して作られた。そこにある『絆の鐘』を鳴らすと一緒に鳴らした相手と強い絆で結ばれるらしい。観光客のほとんどが恋人同士で鳴らす。だからここは『恋人の丘』と呼ばれたりするのだ。


 そんな百花亭だが、栄治の目的はそれとは別にあるに違いない。なぜなら、彼の恋愛事情なんてたかが知れているからだ。昨夜、栄治のお母さんが「息子に彼女ができなくて困っている」と相談しているのを聞いた。最終的に私を嫁がせようとしてきたのは嫌な思い出だ。代わりに暦を推薦しておいた。


「お目当てのものは見えたかな?」


 百花亭に繋がる階段を上りながら自然豊かな町並みを眺める栄治へと声をかける。彼は私の声に惹かれるように体をこちらに向けた。目にはもちろんMRゴーグルをかけていた。


「何も見えないじゃん」


 彼と同様にMRゴーグルをかけたものの景色は全く変わらない。レンズが間に入ったことで少しだけはっきり見えるくらいだ。


「はあー、これだから機械音痴は……」


「悪かったわね、機械おんっ!」


 怒気を孕んだ声で喋ろうとすると彼は目の前にMRゴーグルを差し出してきた。不意の行動に呆気にとられて言葉を失う。ゴーグルを受け取ると代わりに自分が嵌めていたゴーグルを彼に渡した。


「いらねえよ」


「持っていてって意味。二つも持ってたらかけれないでしょ」


「そういうことね」


 納得してくれたようで栄治は私のゴーグルを受け取る。片手が自由になったので両手でゴーグルを握り、耳にかけた。


「うわあー、なにこれ。すごっ!」


 緑に彩られた町並みはあれよあれよと消え去り、白い雲に埋め尽くされる。

 恋人の丘は雲海の見える絶景名所として知られている。でもそれは毎年九月から十一月に見える景色であって、一月の今は見えない。なのに視界にはまるで本物のように雲海が浮かび上がっていた。


「『エニタイムビュー』っていうアプリがあるんだけど、ARを使って視界に映る景色に関してオールシーズンの景色を堪能できるんだ。だから十一月に日付を設定さえすればこの場所で雲海を楽しめるってわけ」


「勝手にアプリをダウンロードして良いの?」


「バレなきゃ大丈夫だって」


「犯罪者予備群だ。最低。言いつけてやろ!」


「絶対止めてくれよ!」


「朝から仲がいいですね」


 喧嘩口調で喋っていると後ろから見知らぬ声が聞こえてきた。「誰が仲がいいものか」と言ってやろうと思ったが、百花亭に上がってくる人物を見て自重した。

それは禎嘉王と福智王だった。豪華絢爛な衣装は一日経ってもなお、汚れることなく健在していた。


「ふ、ふくちおう……」


 私はどう身をこなせば良いかわからず、恐れ慄くような声をあげてしまう。私の様子を見て福智王は朗らかな笑みを浮かべた。


「畏まらなくて大丈夫ですよ。自然体でいてください」


「は、はい。でも、どうしてここに?」


「ここには『絆の鐘』があると聞きましたので、父上と鳴らそうかと思いまして」


 栄治と顔を見合わせると、私たちは各々逆方向に逸れ、二人に道を譲った。「感謝します」と軽い会釈をされたので私も会釈で返す。


 このまま帰るのも失礼に当たるかと思い、私は彼らの後ろについて景色を堪能した。栄治も同じ考えだったようで私の隣にやってきた。王の邪魔にならないよう小声で話す。


「まさか王がここにくるとはね」


「まったくだ。でもこれで、何でMRゴーグルが回収されなかったのかに合点がいった。祭り行事以外でも彼らと話せる機会を作れるようになっているんだな」


「なるほどー。でも、流石に話しかけづらいよね。あんなに仲良く話してたら」


 前にいる二人は、『絆の鐘』を鳴らした後、百花亭から見える風景を堪能しながら会話に花を咲かせていた。福智王は興味津々に禎嘉王に尋ね、禎嘉王は真摯に福智王に教える。その姿はまさに親子だった。柔和な笑みを浮かべる二人を見ていると心が温められる。


 本国の内乱の末、日本に逃げてきた禎嘉王と福智王を含めた百済王の家族は、途中で船の状態が悪くなり、二手に別れることを余儀なくされた。二人の王はそれぞれ別の浜に辿り着き、禎嘉王は南郷で、福智王は木城町で、平穏に暮らしていた。しかし、数年後、百済王の存命を知った本国が追手を日本に向かわせ、やってきた彼らに禎嘉王は命を奪われた。戦中、福智王が駆けつけ、二人は再会を果たしたものの、禎嘉王が命を落としたことで今のような平穏な状況での再会は叶わなかった。


 だからこそ、一年に一度だけ会うことを許される師走祭りをとても心待ちにしていたのだろう。私は歴史上の知識ではなく、今話している彼らの表情を見て初めて、そう強く思うことができた。


 十分にここでの会話を楽しんだ二人は階段を降りるため私たちの方へと歩いてきた。


「二人の空間を邪魔してしまい、すみません」


「「いえいえ、私たち恋仲じゃないんで」」


「はっはっは。息がぴったりじゃないか。そういうのを仲がいいと言うのだぞ」


 一字一句違えない台詞に禎嘉王が高笑いする。福智王も持っていた扇子で口を隠して笑っていた。


「そういえば、君は昨日、祭典で神楽を舞っていたね。いい神楽だった」


「ありがとうございます。今日は彼が夜神楽を舞うので、楽しみにしていてください」


 急に褒められたことに、なんて言っていいか分からなかったため栄治にバトンを渡す。まさか振られるとは思っていなかったようで、栄治は驚くとともに冷たい視線を送ってきた。


「そうか。それは楽しみだ」


「よ、よろしくお願いします」


 栄治は照れたような仕草で応答する。王は「また祭事で」と言って階段を降りていった。


「おい、彩乃。急に俺に振るなよ」


「いいじゃない。これでいい緊張感持ってやれるでしょう」


「むしろ緊張しすぎるくらいだよ。それにしても、本当によくできたアバターだよな」


「うん。多分、アバターって言われなかったら分からないと思う。そんなわけないか。あんな衣装で町を歩く人なんていないしね」


 王の姿が見えなくなるまで私たちは彼らをまじまじと見つめながら話を続けた。

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