第74話 ワインと果実酒


 女辺境伯ルチアは中性的な美貌の持ち主だ。

 エルフの麗人であるためか、長身痩躯で女性らしいグラマラスさはないけれど、すらりとしたモデル体型は女性の目から見てもとても美しく、魅力的だった。

 明るい金髪は見事な縦ロールで、リリがプレゼントしたリボンで彩ってくれている。

 本日の服装は乗馬服に似たデザインの男装で、袖口や裾に金糸で刺繍が施された華やかなものだった。

 ルチアはリリが応接間に案内されてくるや否や、笑顔で迎えてくれた。


「やぁ、レディリリィ! 今日の君はまた一段と可憐だね。湖の精が顕現したのかと思ったよ」


 流れるような優美な所作で一礼すると、ルチアはリリの手指の先に唇を寄せた。

 淑女を前にした、紳士としての完璧なお作法だが、ルーファスは気に入らなかったようだ。


「リリィに軽々しく触れるな」

「ルーファス。触れてはいないのですよ」


 リリは慌てて赤毛の護衛をたしなめた。

 手の甲にキスをしているように見えるが、実は唇を当てるのはマナー違反なのだ。

 ルチアはやれやれと肩を竦めながら、リリから身を離した。


「相変わらずだね、君の守護者は」

「ルチアさまが魅力的だから、ルーファスも焦ってしまうのですよ」


 にこりと微笑んで受け流すと、ルチアも笑みを深めた。

 勧められるままソファに腰を下ろす。

 ルーファスはリリのすぐ背後に立って腕を組んでいる。ちょっぴり偉そうだ。

 黒猫のナイトは「当然でしょ?」といった澄ました表情でリリの膝の上で丸まった。

 こちらもまた堂々とした態度だが、ルチアは気にした様子もないので、リリも気にしないことにする。


「本日はお時間を取ってくださり、ありがとうございます」

「私は君の後見人だからね。遠慮はいらないよ。むしろ、もっと頼ってもらいたいくらいだ」

「ふふ。ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」


 室内にはルチアの他に執事の男性が壁際に控えている。

 メイドの女性が淹れてくれたお茶を儀礼的に口にした。見覚えのあるティーセットはリリがルチアにプレゼントしたものだ。

 イギリスの老舗ブランドのティーカップはミニ薔薇が描かれており、華やかながらも愛らしいデザインの逸品。

 魔素がたっぷり含まれたハーブティーは爽やかな風味があり、リリは口元を綻ばせた。


「美味しいです」

「そうかい? 気に入ってくれたなら良かった」


 メイドが下がったところで、リリはナイトに視線を落とした。黒猫は片目を開けてルチアを見ると、面倒そうに尻尾を振った。

 テーブルの上にワインとグラスが現れる。


「ほう。これは、もしや……」


 見たことのないラベル付きのワインの瓶をルチアは興味深そうに手にする。

 歪みひとつない、精緻な作りのガラスの瓶に感嘆のため息をこぼした。


「凄まじい技術だね。ドワーフ共が嫉妬で憤死しそうだ」

「瓶も素晴らしいが、中の酒はもっとすごいぞ」


 ルーファスの言葉にルチアが片眉を上げる。

 リリはここぞとばかりに、笑顔でワイングラスを差し出した。


「テイスティングをお願いしても?」



◆◇◆



「素晴らしいな、異世界のワイン!」

「そうだろう、そうだろう⁉︎ まず、香りが素晴らしい。口に含んだ瞬間の馥郁とした香りときたら!」

「精霊王の蜜酒もかくや、な飲み物だな。甘くてまろやかで、いくらでも飲めそうだ」


 酒豪二人のお酒談義を、リリは少し離れた位置から眺めている。

 近くにいたら、巻き込まれそうだと黒猫ナイトに避難させられたのだ。

 それほどに、ルーファスとルチアは日本産のワインに夢中になっている。


 最初は、一口ずつのテイスティングの予定だったのだ。

 用意したワインはルーファスおすすめのシャインマスカットワインと、同じ産地の白桃ワインの二種類。それとは別に手に入れやすい、比較的安価なワインを赤白ロゼの三種類を持参した。


「飲みやすいお酒を選んだのがいけなかったのでしょうか……」

『いや、リリは悪くない。悪いのは、すっかり酒に飲まれている酔っ払いトカゲとエルフの小娘だよ』


 苛々と尻尾を左右に振る黒猫。

 一口飲むや否や、ルチアは顔を輝かせて「おいしい!」と夢中になった。

 他のワインも次々に口をつけて、どれも美味いとご機嫌になり──気が付けば、なぜかルーファスまで参加しての酒盛りが始まってしまったのだ。

 あまりにも豪快な飲みっぷりに気圧されたリリがつい、お酒に合いそうな肴をそっと差し出してしまったのも悪かった。


「リリィ、このカンヅメに入っている肉料理。料理長の飯には劣るが、なかなか旨いものだな」

「あ、はい。ギフトでいただいた高級な缶つまセットですからね」


 うまいうまい、とこちらもワイン同様にカパカパと食べられたので、すでに一箱が空いてしまっている。

 牛タン、イカ明太、あなごの蒲焼き、オイルサーディン、黒毛和牛ローストに牡蠣のオイル漬け。

 それはもう、ワインだって進むだろう。


「酸味がキツくなく、まろやかで飲みやすい。こんなワインがあるとはな。赤や白は見たことがあるが、この華やかな色のワインは女王陛下も喜ばれそうだ」

「ロゼワインですね。女性はお好きだと思います」


 飲んだことはないけれど、愛らしいピンク色をしたお酒なので、きっと受けはいいはず。


「それに、この華やかな味わいのフルーツワイン! 最高だ!」

「シャインマスカットと白桃のワインですね。ジュースのような味わいで、お酒が苦手な方でも美味しく飲めると聞きました」


 香りだけでは、お酒と分からないくらいに甘い果汁の香りがするワインだ。


「気に入ったぞ、レディリリィ! あるだけの酒を買い取ろう。この私が責任を持って高値で売り捌いてみせるぞ」


 まともな商談に入る前に、高値で買い取ってもらえることが決定してしまった。


『言っただろう? 一口でも飲ませてやれば、すぐに契約はまとまるって』


 はたり、と黒猫の尻尾が大きく揺れる。くわぁ、と大きくあくびをすると、ナイトはふたたびリリの膝の上で丸まった。


『契約を交わす時に起こして』

「ええ……っ? これ、いつ終わるのでしょう……」


 興が乗ったルチアが執事に命じて、ワインに合う料理を次々と運ばせてくる。

 ルーファスはリリが預けていたワインや果実酒を【アイテムボックス】から取り出すと、「売り込みだ!」と言い訳しながら、グラスに注ぎ出した。



◆◇◆



 あれから二時間ほど商談と称した飲み会は続き、ひと眠りから起きた黒猫ナイトに文字通りに雷を落とされて、どうにか落ち着くことができた。

 

『さ、リリ。契約書の内容を確認して、問題がないようならサインして』

「ありがとう、ナイト。問題ないわ。貴方がいてくれて本当に助かった」

『ふふん。まぁ、ボクは大魔女シオンの筆頭使い魔だったからね!』


 万年筆でサインをすると、リリはルチアと握手をした。これで契約は完了だ。

 見事な縦ロールがすっかりソバージュに変化してしまっているが、女辺境伯であるルチアはとても良い笑顔で契約書を眺めている。


「うん、とても良い取引きができて感謝しているよ。この素晴らしいワインがあれば、色々なことに使えそうだ」


 ニヤリ、とワイルドに笑うルチア。

 ナイトに特大の雷魔法を落とされたのに、けろりとしているのはさすがと言うべきか。

 焦げ臭い匂いがするので、ダメージはそれなりに負っていそうだが。


「あの、ルチアさま。ポーション使います……?」

「大丈夫だよ。私は水魔法の使い手。治癒魔法が使えるからね!」

「治癒魔法……羨ましいです」


 魔力量はそれなりに増えたリリだが、あいにく【生活魔法】以外はまだ使えないのだ。

 体力に自信がないので、ぜひとも治癒魔法は覚えたい。


「相性のいい魔法のスクロールが見つかるといいね。私の方でも探しておこうか?」

「いえ。せっかくなので、ダンジョンで探してみたいです」

「そうか。そうだね。自力で見つけたスクロールの方が、きっと相性がいい」


 ワインの納品は三日後に決まった。

 お手軽な三千円クラスのワイン一本に、ルチアは金貨一枚の値を付けてくれた。


(三千円が十万円になりました……ぼったくり再びです)


 やはり、リリは表に出ずに、辺境伯家を間に挟んで販売する方がいいとの助言をもらって、ルチアが買い取ってくれることになったのだ。


「これほどのワインだ。出所を探られると、レディに危険が及ぶかもしれない。私がエルフの伝手で手に入れたことにして、少量ずつ売ることにしよう」


 売る相手もきちんと吟味するとのことだが、ルチアに益があるのかが心配だ。


「このワインを仲介できるだけでも、かなりの利益をもたらしてくれるよ。礼を言うのはこちらの方だ」


 貴族らしい、食えない笑みを閃かすルチアを目の当たりにして、リリは安心した。


 雑貨店『紫苑シオン』からの仕入れだとバレないよう、ワインの受け渡しは使い魔の誰かに頼むことにしよう。

 エルフの麗人であるルチアにも【アイテムボックス】スキルはあるようなので、それなりの量を託すことができる。


 高額で利益率の高いワインを取り扱うことにより、『紫苑シオン』はかなりの儲けを得ることができた。


 おかげで従業員である皆には臨時ボーナスが手渡された。



◆◆◆


ギフトありがとうございます!


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