017-解消されました
「念話は相変わらず通じま———」
喬也を取り巻く環境は身動きひとつない。
自身に起きた不思議現象その二に一頻り感動したところで、喬也は立ち上がる。
「———せぇえん!!!!」
そう言うと、喬也は兜を上空に放り投げた。
喬也がやってきた大陸の気候は暑くもなく寒くもなく、いたって過ごしやすい。しかしながらその感想は、四六時中鎧や兜を身につけている喬也には該当しないものであった。
昼夜を問わず装備し就寝時以外に取り外せないこの
ゲイオムが
こんな
「…っつってもねぇ」
とはいえ、起こってしまった転移は今更対処できるものではない。もしかすると異世界の危機を救うことができた場合に
「ま、親父もお袋もまだピンピンしてるしな」
喬也には、潔くその事実を精一杯楽観的に捉えるだけの心の余裕がまだ残っていた。
この強引かつファンタジックな異世界は人の不幸を動力源にしていると言っても差し支えない。
「何はともあれ、まずはこの人生最大の超絶大逆転イベントをしぶとくしつこく生き残ってやりましょーかね」
そうしてため息と舌打ちのアンハッピーコンボで無為な行動に終止符を打った喬也は、思考のベクトルを本題へと切り替える。
エドガー・フォード・セルゲイについてである。
喬也がセルゲイについて知っていることといえば、その名前と階級のみ。
「十中八九、俺が男だからってことでこの人が選ばれたんだろーけどさ」
冷静に考えてみればセルゲイの身分を喬也にあてがっている時点でセルゲイが女性である可能性は著しく低い。落ち着いているように見えて突如彼を襲った逆境と奇跡のせいで気分が高揚している喬也だったが、その視座に思い至ることができた。
とはいったものの、本質的な問題はやはり【教会関係者にセルゲイと名乗った場合の不安】である。
「知り合いいたらアウトだろ」
セレスティアはこれまで何度もゲイオムを訪れている。
街を歩いていてもセルゲイの名を知るものに出会うことがない点から考えれば、セルゲイの訪問回数はかなり低いのかもしれない。
「セレスティアさん有名だし、ついてきたことくらいはありそうだよな…」
正直な話をしていいのであれば、この機に乗じてこの場を離れてしまうのが最も楽である。
よくしてくれているセレスティアに面倒を押し付けることにはなるが、彼女はエンツォとの付き合い方をよくわかっているようで、このまま喬也が教会に居続けることで余計な火種を生む前にさっさと退散して街の外ででも落ち合うのがいい感じの落とし所だと思える。
「念話さえ繋がってくれりゃ悩まないんだけどな?」
思考が堂々巡りしていることに嫌気がさした喬也は、またしても現実逃避のために上空を見上げた。
一通り呆けたあと、ものはついでだと考えた喬也は先程の奇跡をもとに魔法の考察と練習をしてみることにした。常にセレスティアや物騒な連中の視線が集まる喬也には、何かを打ち出したり飛び出させたり壊したりする魔法を練習する隙がない。常々練習環境について一人孤独に嘆いていた喬也としては、願ってもない状況である。
そのうえ現状は敵地のど真ん中であり、決戦を前に練習の時間を取ることができたのは非常に大きい価値を持つ。
とはいえ、喬也には最も腑に落ちない疑問があった。
「俺、魔法の適性ないんじゃなかったっけか?」
記憶は冒険者ギルドに戻る。
地下室の祭壇で冒険者登録に必須の魔法適性確認を行った際、受付のファナも含めた三人で喬也の恩寵魔法が無色を示す場面を確認しているのは間違いない。
「【恩寵よ、我が根源を顕せ】」
試しに再度ヴィルフリートの仕草を真似るが、やはり喬也の掌の上には無色で透明ながら僅かに向こう側の景色を不規則に歪める球体が浮かんでいる。まるで砂糖水を金魚鉢に詰めたような見た目である。【界渡り】の【
「じゃ何で魔法が使えるんだよ…」
喬也の身に起こった不思議現象はこれが二度目である。
初回はあの
記憶はさらに遡り、出発直前のグレアム王国の王城にある外務卿執務室に飛ぶ。
あの日、喬也は初めての魔法詠唱とともに恩寵魔法を見せてもらい、セレスティアから治癒魔法をかけてもらった。
その時に目にした色は赤、青、緑、白である。恐らく魔法のモチーフカラーとしてこの四色の魔法は存在する。それぞれが火、水、木、光だ。
「つーわけで、多分白と黒はある」
白があって黒がない、というのは違和感でしかないため、黒も魔法のモチーフカラーだと考えていいだろうと結論づける。
ここから推測すると、他に色があるとすれば、二つまたは四つである。
理由は単純ながら、同じくあの日の説明にあった【七系統九属性】という単語である。
系統ごと、または属性ごとに派生して色がわかるとなれば今後の防御に役立てられる。今後喬也の命を脅かすであろう【九段の聖女】とやらがどんな魔法を使ってくるのかわからないが、少なくとも聖女というからには光魔法の適性があるとみていいはずだ。
「光と闇が互いに弱点になるのはゲームの常識だからな」
喬也があの日放った黒い球が闇属性魔法であることを願いながら考察を続ける。
「最悪腹が減ってもシチューあるしな、美味いといいけど」
喬也は
「でも、時間が止まるってのはどれでもねーよな」
残念なことに、喬也はまだ七系統九属性について詳しく聞くこともまたできていない。該当する系統や属性の特色なども知らないため、現状の知識としては火、水、木属性が存在することと、光属性に治癒魔法が属すること、Gを消した魔法と時間を止めた魔法がこれ以外の系統に属すること、恩寵魔法や念話魔法など、属性に依存しない基本魔法があることくらいだ。
「…やめだ、
腕を組み地面に座り込んで十分は経ったかというところで考察を諦めた喬也は、四肢を投げ出して色を失っている空を見上げた。天体に詳しいというわけでもない喬也には夜空の違いは分からないが、少なくとも日中や夕方の空だけは故郷と何一つ変わらなかった。
これまで幾度となく郷愁に囚われることはあったが、その度に気を紛らわせてくれたのはこの大空である。
「…?」
吸い込まれそうな雄大な空に見入っていた喬也は、そんな折ふと、停止した景色の中で一つの黒点がだんだんと大きくなりながら移動しているのを見つけた。どうやら空から落下してきているようで、このままの軌道だと五十メートルほど前方のグラウンドのような広い土地に突き刺さる。
「何だありゃ」
気になった喬也は向かってみることにした。
幸いにして速度はそう高くなく、野球で言うところの外野フライより少々遅いくらいに見える。
駆け足で近づいていくと、やがて正体が判明した。
「おいアレ、俺の?!」
そう、目の前に飛来するであろうそれは、喬也が力任せに理不尽を嘆いたときにぶん投げた兜である。
視認してようやく思い出したのだが、手放してから先落下してくる音を確認していなかった。
音が聞こえないことに慣れてしまっていたのはあるが、身体強化をかけているとはいえども一般的な物理法則からすると納得しきれない。大学では文系を専攻していたので喬也は物理学に対して門外漢であるが、それでもおかしいはずだ。
「アレいつまで飛んでんだよ!!」
時間を止めてしまって以降、どう見積もっても一時間以上は経過している。
人間の膂力だけで射出したこれだけの体積をもつ金属の塊が、少なくとも三十分以上もの間空中にいたことになるのである。
いくら地球とは異なる理論や法則がある世界であろうと、喬也は日頃の生活や身のこなしに違和感を感じていない。となれば、身近に感じられる範囲に限っては物理法則に大きな差はないということに他ならない。
この静止した空間の中では物質の質量が異様に低くなるのか、または喬也に対して筋力バフがかかるのか、その真相は定かではないが、間違いなく大惨事になる予感がする喬也は脇目も振らず走り出す。
「そういえば…」
喬也は、昔【エネルギー保存の法則】とやらを聞いたことがあったと思い出す。中学校だったか高校だったかはもう定かではないものの、簡単に言えば質量を持った物体に与えられる運動エネルギーと位置エネルギーの合計は常に一定である、というようなものだったはずだ。
つまり、三十分以上かけて落ちてきた金属の塊は、とてつもない破壊力を秘めているということになる。
そう思い至った喬也はこれまで制限して使用してきた身体強化を自身の限界まで発揮することを決意する。
本来ならば衝撃を吸収できるような魔法が使えればいいのだが、機転が効くほど熟達していない以上は生身で受け止める他ない。
少しずつ地面に近づいてくる兜を視認しながら、自身に魔力を纏わせつつ身体強化を七割程の力で発揮する。インパクトのタイミングに合わせて瞬間的に全力を発揮することで、少しでも生存の可能性を上げることが重要だと考えて、喬也はできるだけギリギリでリミッターを解除した。
「…?」
その直後のことである。
喬也は何事もなくその場に立っていた。
兜に破損はなく、喬也も怪我はない。
それどころか、予期した衝撃もゼロだ。
喬也はひどくふんわり両手に着地した兜に対してとてつもない嫌な予感を感じたが、ひとまずは被害がないことを喜んでおくことにした。
「んだよびっくりさせやがって」
その場にへたり込む喬也は、周囲を見渡した。
そこはまさしくグラウンドと呼んで差し支えないが、ところどころに弓道の的のような円形の標的や、FPSゲームで登場するようなデフォルメされた人型の標的が複数並んでいる。
ここは聖騎士たちの訓練施設のようなものであるらしい。
その向こうには学校の寮のようなものがある。つまりはこれが宿舎なのだろう。標的に向かって手をかざして魔法を放っていたり、空いたスペースで剣を振っていたり、様々な訓練が行われていたらしいが、喬也のせいで全員の動きが止まってしまっている。
「…すげー罪悪感」
良心の呵責が人一倍強い性格をしている喬也は、訓練内容によって酷く無理な体勢のまま動きを停止させられてしまっている聖騎士に申し訳なさを感じざるを得ない。
「いやコレ、止まったままにしとくの忍びねーな」
後になって、喬也はこの発言をひどく後悔することになった。
「ん??」
疑問符の正体は、突如喬也に吹き下ろし始めた微風だ。
その勢いは少しずつ増していき、風の音まで戻ってくる。
ふと気づくと色を失っていたはずの空や建物などが彩りを取り戻し始めており、ここまできてようやく喬也はこの空間の時間が再開し始めたことを知る。
「え、ウっソ」
図らずもこの世界で二度目になる発言をリバイバルしてしまう。セルゲイという名を名乗るかどうかの結論が出ていない喬也は、懸案が解決していないことへの焦りで再び狼狽することとなった。
「えっと、えっとぉ?!!!」
空の向こう側では僅かに残っていた燃えるような陽光すら戻っており、事態が既に可逆性を失ったことを告げてくる。
思わず本日三度目となる
「…また何か落ちてくる?!!!」
それは、先程受け止めた兜とは比べ物にならない大きさの何かであった。
星の光が一部分だけその物体によって遮られてはいるが、それが何なのかは全く分からない。ただし、非常に大きいことと、喬也とフリオのちょうど中間地点あたりに落下するであろうことは確実だ。
「しばらく空はうんざりだ畜生!!!!」
エネルギー保存の法則によるものかどうかはもう知ったことではない。こればかりは起きてみないともう対処のしようがないと諦め、正常に戻りつつある空間に気づいて兜を被り直す。
こうなってしまっては知らぬ存ぜぬで通すほかないと覚悟を決め、喬也はその時を待った。
(ズシャアァァアアッ)
何かが地面に叩きつけられる音と水風船が破裂するような音が耳障りなユニゾンを奏でたのが、世界が正常に戻った合図であった。
「うおぉぉぉお?!!!」
「ぬあぁぁぁあ?!!!」
周囲は突風と衝撃に襲われた。
落下地点は宿舎に併設された訓練施設の入り口付近。落下地点から離れた場所で訓練を行っていた聖騎士らは振り抜いた腕や剣を戻すのも忘れてこちらを向いており、少し後方でくっついてきていた
「おーい!大丈夫かー!!」
ハプニングにも冷静に対処し事態の沈静化を図った訓練中のとある聖騎士が、喬也に駆け寄ってくる。
「は、はい。私は大丈夫です」
「巻き込まれた者はいないだろうか?」
「それも大丈夫だと思います」
一応、喬也は落下の瞬間を確認できていた。
事前に予期した通り、落下したのはちょうど喬也とフリオの中間地点あたりであり、衝撃などで吹き飛ばされていたとしてもあの手練れそうなフリオが命の危機に陥るほどの怪我はしていないだろう。
「おお、アンタ!無事だったか!」
「はい、問題ないです」
そうこうしているうちに訓練施設からこちらに集まってくる聖騎士たち。背後を固められたことによって逃げ場をさらに失ってしまった喬也は、前方からやってきたフリオと言葉を交わす。
どうかこの騒動で自分の名前に関する質問を忘れてくれますように、と願っていると、止まった空間の中で感じていたとてつもない嫌な予感が鎌首をもたげる。
「急に消えたと思ったらこんなところにいやがって、びっくりしたぜ」
「あー、いやすみません」
「おいフリオ、消えたってどういうこったよ?」
どうやら本当にフリオは喬也の身を心配してくれていたようで、余計な気を遣わせてしまったことに少しの罪悪感を感じる。
「いやな?この方は聖女様の護衛として王都からお越しになったんだが、案内してたら突然姿が見えなくなってよう」
これは、マズい。
喬也は直感で察知した。
「そしたらコレが落ちてくるし護衛さんはこんな離れちまってるしでビックリよ」
確かに空間が停止する前にはフリオの後方にいた。
喬也の場所に顔を向けながら会話しようとしていたのだから、当然その場に戻ってから解除していないと瞬間移動を疑われてしまうのも無理はない。
「まさか、レッドドラゴンじゃねぇか!!!!」
喬也が抱える内心の不安を他所に、集まってきていた聖騎士の一人が大声をあげる。
「おい、レッドドラゴンって金級でも無理だろ!!」
「本物か?お前ホラ上手いからよ」
「でもこの鱗の輝きは間違いねぇだろ、昔見たぜ」
「ああ、冒険者ギルドのマスターが持ってる盾と同じだ」
「いきなりそんなモン落ちてくるわけねーだろ!!」
その一言を皮切りに、聖騎士たちは興奮と戦慄のアンサンブルを奏でる。
そのまま彼らのリサイタルが終わってくれれば喬也としては非常に助かったのだが、そうは問屋が下さなかった。
「もしかして、これ…アンタがやったのか?」
フリオは、喬也にとって最悪のアンコールを始めた。
(はいぃい?!!!)
数秒の沈黙。
(あ、これは諦めるやつだ)
喬也は悟る。
こうなってしまえば、群集心理にはもう抗えない。
日本人は良くも悪くも、こういう光景を目にしすぎているのである。
「…確かに」
「聖女様の側付きだろ?だったら納得だ」
「金級十人でやっとだってのに、凄えな」
「こりゃ団長に連絡しねぇと!!」
「聖女様の側付きってやっぱ強えんだな」
「俺ももっと頑張らねぇと。側付き様に追いつけ追い越せだ」
このままでは胴上げでもされかねない勢いであると判断した喬也は、どうにかしてこの場から立ち去る方法を探し始める。
(これ、もう一回時間止まってくれないっすか…?)
今日という一日があまりに濃密すぎたからか、肉体的及び精神的疲労が溜まりすぎたからか。
喬也のささやかな願いが叶ったのは、二度目までだった。
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