016-取り残されました


「エンツォ司教の市街護衛はこれにて完了とする!各員は引き続き哨戒に当たれ!」


 【異世界モノ】のお約束たる冒険者登録イベントを終えて宿に戻ったと思ったら、また街の中心部まで逆戻りさせられた喬也。

 セレスティアの側付き護衛として帯同している手前突っぱねるわけにもいかず、歴戦の聖騎士らとともに馬車の隣を歩いて教会にやってきていた。

 下手に話しかけて【界渡り】だとバレてしまうような迂闊な真似はできない。仮の身分たるセルゲイについても多くを知らない喬也としては無言を貫くほかなかったため、仕方なしに馬車に乗り込んだセレスティアに念話で何度か話しかけてみていたのだが、返答はなかった。

 念話というのは意外と厄介で、実際に口頭でやり取りをしている途中に返事をすることができないのである。この世界に先進的脳科学が存在するわけがないため具体的な原理までは知られていないものの、魔法学者の中では【頭の中と外で同時に言葉を交わすなどできない】というとんちにも似た結論が出ていた。


(うーわ、こんなん教会っつーより城門か王様の屋敷だろ)


 【商いの街】ゲイオムはこのグレアム王国の三大辺境都市としてそれなりに栄えている街である。自由に使える土地は限られており、売りに出された途端に新たな買い手と事業が後釜に収まるのが通例となっているにもかかわらず、街の中心部にあるエヴァンシュタイン教ゲイオム支部教会は先程訪れた冒険者ギルドを優に上回る広大な敷地を抱えていた。

 門扉と敷地を囲む塀の一辺の幅だけで近隣の商店十数軒分となり、十数メートル先には現代でも時折見かけたようなテンプレートすぎる白磁の教会が建っていた。

 これまで目にしてきた王都やゲイオムの街並みから推測すれば建築技術も中近世レベルのはずなのだが、目の前に居座る荘厳な佇まいの全容を視界に収めるためには鎧と兜の間に拳大の隙間が空くほどに見上げる必要があるほどだ。


実家ウチより高けーぞこりゃ)


 塀と隣接する建物との幅が大人一人分もないほどギリギリな土地活用は、建築法という概念が全く存在しないであろうこの世界だからこそ可能な配置であると言わざるを得ない。

 現代日本に於いてこれほどまでに密集して家屋が林立している地区でありながら大きく見上げなければ天辺が見えないくらいの教会を建設したとなれば、日照権と耐震基準の問題でローカルニュースになってしまうこと請け合いだ、などとぼんやり考えつつ教会を見上げていた喬也だったが、聖騎士おなかまから声がかけられた。


「遠路の護衛、疲れただろう。俺たちの宿舎がある、ついてきな」

「あ、はい。ありがとうございます」


 喬也を気遣ってくれたのは、歳の頃が凡そ三十代といった精悍かつ野生みを感じる髭面の先輩であった。某海賊王を目指すゴム人間氏が登場する有名漫画で三刀流を披露する剣士に髪と髭を生やして目の傷を消してやれば出来上がり、という雰囲気であったため、【とある街を統べる斧手の為政者に磔にされた際に泥まみれのおにぎりを食べた経験があったら最高だ】などと考えてしまうのはもはや喬也の悪癖である。

 どうやら教会の中では兜を取るのが通例のようで、先輩も兜を取っている。対する喬也は諸般の事情がそれを許さないため被ったままであり表情や外見的特徴は未だ明かしていないが、そろそろ陽が落ちる時間帯ということもあり西の空がほんのり赤いだけの星明かりの下では先輩の緑色の髪も色を失っていた。

 先に立って歩き出した先輩について歩き出したところで、改めてこの教会の責任者のことを思い出す。


(何つーか、意地悪いジイさんって感じだった…多分、あーゆー人のことを『タヌキ』っつーんだろーな?)


 喬也はこれまで独自に進めてきた地道な魔法研究の結果、魔法の本質は【意思や感情の具現化】であると仮説を立てており、セレスティアから教わった魔法知識によりその仮説に確証を得た状態にある。

 ほぼ正しいとみて間違いないであろうこの仮説に立って考えれば、エンツォはあの時平常心のままだったということになる。

 確認できているサンプルは多くないものの、既に感情の揺らぎによって人の体にオーラが現れる瞬間は何度も見てきている。何なら馬車を護衛している最中にも路上で殴り合いの喧嘩を起こしている男らを赤いオーラが取り巻いていたり、練り歩く聖騎士らを横目に確認したむくつけき筋骨隆々たる偉丈夫が色とりどりに塗りたくった顔を赤く染めながらショッキングピンクに波打つオーラをぶちまけていたりと、実に様々であった。


(酷ぇモン見せつけてくれやがって!!)


 まさしく十人十色というに相応しい、視界を埋め尽くす多種多様な色と揺らめきの数々を冷静に思い出せたことであの男色家に対しては文句の一つも言いたくなってしまったが、またしても諸般の事情がそれを許さない。

 それはそれとして、と喬也は思考を切り上げて改めてエンツォについて考え始める。


(最初に比べればだいぶ見えるようになってきたけど…)


 喬也が旅を始めた当初は、オーラとして可視化されるのは非常に激しい感情の起伏や欲望を強く刺激された者に限られていた。しかしゲイオムに到着した頃には、商人が誤って取り落とした商品を拾ってやっただけでオーラを見ることができるほどにまで使いこなせている。


(悪いのは意地っていうよりありゃ、気味だな…)


 日々成長を実感している喬也の魔神眼でもオーラを観測できないということはすなわち、それほどまでにエンツォの感情は凪いでいることにほかならない。

 まだ相対した時間は数分であり、人となりを把握できるほどの時間も余裕もない状態だったことは自他ともに認めるところである。しかしながら、それなりに表情の動きがあったエンツォから何色をも確認できていないという事象がそもそも、これまでとは一線を画すまごうことなきイレギュラーなのだ。


(本格的にあのジイさん、厄介なこと持ち込んできやがんのは間違いなさそーだ…)


 これから近いうちに何らかのトラブルに巻き込まれることとセレスティアの助けが得られる確証がないことを再認識した結果、喬也が目線だけで天を仰ぎ見るという現実逃避を選択したところで先輩が声をかけてきた。


「そういや、お前さんまだ名を聞いてなかったな。俺はフリオだ、よろしくな。フリオ・フォード・レーホフ、銀級だ」


 喬也は刹那に凍りついた。正確に言えば、気分が落胆する速度が数倍に増した。


(そ、そそそ…そーだったぁああああ!!!!)


 ふと考えてみれば、ただでさえこの一日は悪い意味で充実していた。

 強いて言えばこの日のピークは冒険者ギルドの喧騒を体感できたこと。それ以降は魔法の適性がないと判明し初依頼も本格的鍛錬もかなぐり捨ててヤケ酒に溺れたかったところをセレスティアともども街中にUターン、恐らく宿は残っていないため出発前に聞いていた絶品シチューもお預け。

 そのうえトラブルのフラグが追加されれば否応なくテンションとモチベーションが急降下である。


「すみません、名乗ってなくて」

「いいってことよ」


 緊張を悟られまいと喬也が口にした時間稼ぎの一言に対して、先輩聖騎士もといフリオは鷹揚に手を振ってくれる。それをよそに喬也の内心では早速脳内会議が始まっていた。議題は【セルゲイと名乗る以外にこのイベントを乗り切れる選択肢があるかどうか】である。


(やべー!!教会関係者に通用するのかが分かんねーぞ!!)


 喬也が間借りしている、エドガー・フォード・セルゲイという人物。

 王国外務卿を務めているヴィルフリートと教会の象徴たる立場にあるセレスティアの執務室での反応を見る限り、その名には何らかの後ろめたさが見受けられた。


(セルゲイさんが何者なのか、聞いときゃよかった!!)


 まばたき一回程度の僅かな時間で喬也が思い出してみただけでも、セルゲイなる人物が存命なのか否か、そしてこのセルゲイという人物が何をしたのか、そもそもセルゲイが実在するのかしないのかなど、彼の素性や生い立ちなどを確認する機会はいくらでもあった。魔法への興味に釣られて些細な疑問を後回しにした結果がこれである。


(ホンっト昔っから変わってねーな俺ェ!!)


 このタイミングで喬也が名乗ったことで、この後に控えるであろうイベントが激化するかもしれない。このタイミングで喬也が口を噤んだことで、待ち受ける災難が数段レベルアップするかもしれない。このタイミングで喬也が適当な名を名乗ったことで、さらに多くのトラブルを抱える羽目になるかもしれない。

 あらゆる可能性を検討しようにも、既に時間稼ぎの効果は切れてしまっている。次の発言があるだろうと待っているフリオは、喬也の反応の歯切れの悪さから首を傾げてしまっている。


(待って待って待ってください、ちょっと時間くれよフリオさん!!)


 既に喬也の心中では、この返答が遅れてしまったがために事態が急展開して予期せぬ危機が訪れるのではないかと冷や汗でエンジェルフォールが出来上がっている。

 このままでは滝壺の存在しない神秘的な景観の中を自由落下した喬也による鮮血の薔薇が咲き誇る結末になってしまうのは確実だ。


(どーすんの、これどーしたらいーんだよセレスティアさーん!!)


 喬也は、セレスティアの言葉を思い出していた。

 【万一の場合は自身の命を優先してほしい】と告げた彼女の声音は、冷静ながらも揺れていた。その不安定な印象がセレスティアの懸念を示していたことだけは、この世界のことをまだほとんど理解できていない喬也ですらうっすらと感じ取ることができるものであった。

 これは、エンツォが対峙すると面倒な人物であるということの証左であると同時に、その企みに喬也が巻き込まれた場合に無事切り抜けることができる保証がないことをも示唆するものであった。

 今の喬也と同じ環境に立たされた者がいたとして、【未だ今後の展開が見通せていない状況であれば焦ることはない】と考える者もいるかもしれない。時と場合によっては、焦らず流れに身を任せる考え方が正解になることもある。

 しかし、今回はその限りではない。

 絶対に見逃してはいけない、重要な要件がある。

 それは、喬也の【タイミングと運の悪さ】が召喚直後以降仕事をしていないことに気づいている人間が、当人を含め誰もいないという点である。


(一旦冷静に考える時間をくれってんだよ!!!!)


 喬也の心の中で極限まで高まった焦燥感と後悔の念。

 それは誰も聞き届けることのできない孤独なる絶叫へと姿を変えた。

 魂を震わせながら放たれた慟哭と喬也の身体中から絞り出された紫色のオーラを糧に、その意思と感情は王城の地下牢で永年の宿敵を葬ったときよろしく結実した。


(えっと、えー…と?)


 日が翳っていくにつれて少しずつ涼やかになっていた風は全く感じられなくなっており、木の葉が擦れる音や鳥の鳴く音、周囲の足音までが完全に消え去っていた。

 極めつけはフリオの表情である。


(お、オウ…!)


 ある意味ではタイミングと運の悪さが発揮されたと言ってもいいのかもしれないが、フリオの目は半開きのまま黒い瞳の下端がうっすらと見て取れる程度になってしまっている。

 フリオは何か話し始める直前だったようだ。唇が開いているのだが、ここ数年はすっかり見かけることの少なくなっていた平行四辺形を作っている。

 この見た目をデフォルメしてやれば、やる気の抜けたラクダの絵が簡単に描けてしまうくらいである。


(確かに、冷静にはなれたわ…)


 そう、喬也はまたしても、自分が招いた窮地にあってその秘められた才能を開花させたのである。

 止まった時間の中で、喬也だけが周りを見渡していた。


(儲けモン、ってこったな!)


 なお、この場で行使されたのは習得できる者が限りなく少ないとされる時空魔法であり、この魔法によって喬也を待ち受ける困難の危険度が数段上がってしまったことは、この世界の誰一人として知る由もないことである。

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