015-完封されました


「こちらで今しばらく、お待ちいただけますかな」


 エンツォが先導するなか、教会に到着したセレスティアは聖堂の奥に続いた教会の居住区へと来ている。

 セレスティアが通された部屋は、軽く10名分はコース料理を広げられそうなテーブルが中央を占める一室であった。一歩足を踏み入れた瞬間、セレスティアの眉尻は僅かに上がる。

 セレスティアが目の当たりにした調度は、一体感をもって彼女を出迎える。壁にかかる絵画はエヴァンシュタイン教の教義である豊穣と安寧を体現するような麦畑の繊細な筆致が見事であり、立場上宗教芸術に造詣が深くなってしまったセレスティアをもってしても見惚れてしまうほどだ。案内された椅子も細部まで装飾が施されており、芸術品としての価値が十分に高いことが窺える。部屋に入るや否や完璧な所作で席を下げた若い司祭に声をかけて腰を下ろすと、座面に張られた滑らかな革がふんわりとセレスティアの体を抱きとめる。


「食事を準備させますので一旦席を外します。ご入用のものがあれば、何なりとゲイルにお申し付けくだされ。それでは後ほど」


 この部屋を居場所としてあてがわれているゲイルのみを残し、エンツォと護衛の金級聖騎士は部屋を辞した。


「改めまして、このゲイオムにて司祭を仰せつかっておりますゲイル・フォード・カインズと申します。この度聖女様にご挨拶できますこと、光栄に存じます」

「ゲイルさん、ですね。初めまして、よろしくお願いいたします。セレスティア・フォード・エヴァンシュタインでございます」


 セレスティアは、ゲイルのいで立ちに不信感を募らせる。仮にこの場に喬也がついてきていたとすれば、【俺のアンテナが危険信号を察知した】とでも念話のタネになったことだろう。

 元々セレスティアはその人目を惹いて離さない美しさにより、グレアム王国内に存在する教会の象徴的存在として半ば熱狂的に敬愛されている。そのため、国内で教会が関連する行事についてはほぼもれなくセレスティアが同行する。もちろん国内各地に足を運ぶ必要があるためレーラや彼女の母親のように知己も増えるが、その範囲は地域の住民だけではない。

 前回この支部に顔を出したのはおよそ二か月前だが、その時に見習い司祭を含めゲイルらしき者は見当たらなかったはずだ。儀礼に参加する以上は、護衛する聖騎士も非番を除いてほぼ全員が動員されるが、聖騎士の中にすら見覚えがないほどである。


(と言いますよりも、私の護衛をしてくださっていた皆さまが束になったとて、退けられるかどうかすら五分でしょうね…)


 そして何より、日頃から目立つことが災いして白刃にさらされることの多い身であるからこそ、ゲイルの職業が司祭であると納得するのは難しかった。

 隙のない立ち姿、わずかな異変すら見逃さない視線、戦闘向きに鍛え上げられた肉体、適度に力が抜けていながらそれでいていつでも臨戦態勢に入れる拳。そのどれもが、敬虔な教徒を教え導く宗教家にはあまりにそぐわない。油断ならない戦士のそれなのである。


(ご丁寧に魔力遮断もなさっているようですし、何かを企んでいるものとみて間違いないのでしょう)


 この世界では、【宝飾品に使われるかどうか】で金属の価値が大きく変わる。

 というのも、冒険者ギルドの階級に関する話と結論は同じである。

 大きな境目とされる白金等級プラチナ魔銀等級ミスリルとの差は、まさしく宝飾品に関する境界でもある。

 ただしそれは、金属の美しさによる差ではない。

 魔銀ミスリル魔金アダマンタイト神銀オリハルコン神金ヒヒイロカネはいずれも、一流と呼ばれる鍛治師が何週間と槌を振り続けて漸く形になる金属である。そんな希少価値と加工難易度が高すぎる金属で精緻な宝飾品を作ろうなどと考える好事家は存在せず、結果として宝飾品として並ぶのは白金までになる。そうして、魔銀以上の金属を総称して、高価で加工がしにくいため武具にしか使えない金属【武鋼】という名称がつくこととなったのである。


(武鋼を惜しみなく使えるほどの資金力をどうやって手に入れたのでしょうね?その手腕が才能によるのなら、是非ご教示いただきたいものです)


 セレスティアは、この部屋に入ってから一度も喬也の声を聞いていない。

 もちろん今現在においては物理的な距離が離れているため肉声での意思疎通はできるはずもないのだが、普段から使用している念話すら、彼女らの間では一言たりとも交わされていない。これには、武鋼がもつ、【魔力が伝わりやすく、魔力を通しにくい】という特徴が深く関係している。

 名だたる鍛治師達の常識として、武鋼で武器や防具を作成する際には金属を熱する窯に常に魔力を循環させなければならない、というものがある。武鋼は産出された時点から並外れた硬度と耐衝撃性を兼ね備えているため、熱を加えただけでは槌をいくら振り下ろそうが形を変えることはない。炎で熱すると同時に魔力を流すことで槌を受け入れることができるようになるのだ。

 この性質を利用して生まれた技術の一つが【魔力妨害】なのである。

 魔鋼製の武器は魔力を通すことで斬れ味や威力が増したり折れにくくなったりする。反対に、魔鋼製の盾や鎧は使用するだけでも魔法攻撃に一定以上の耐性を持ち、魔力を流せば流すほど魔法や魔力を込めた武器による攻撃を防ぎやすくなる。つまり、この部屋は魔鋼が四方を囲んでおり、魔力を大量に注いでいるわけではない念話では簡単に阻まれてしまったということになる。


(確かに美しい品ばかりが並んでいますが、この部屋の品々を守りたいという雰囲気ではありませんよね…)


 セレスティアの感覚では、この魔力妨害に使われているのは魔銀または魔金だとみている。そもそも神銀や神金は一国の王ですら一生に一度目にするかどうかという代物のため、いくら商いの街ゲイオムとはいえ簡単に手に入れることは不可能である。流通したとしても一国の一都市の一教会では逆立ちしても賄えない。

 神銀以上ともなれば、綱糸を織り込んだ手巾一枚で魔金等級以下の冒険者の攻撃は軒並み防ぎ切ってしまうとまで言われており、貴人の寝所や国家元首の謁見の間レベルの部屋で使われる程度であるためだ。

 かくいうグレアム王国でも、神金とまではいかずとも国王の寝室と謁見の間でのみ神銀による魔法防御が準備され、各大臣らが集まる会議室などには魔金による魔力妨害が施されている。

 むしろエンツォがそれほどまでに自身の命を心配しているのであれば、大司教や国王に何らかのアクションを起こしていると考えるほうが幾分か自然である。


「ゲイルさん、一つよろしいでしょうか」


 しかしここまで思索を巡らせたところで、ふとセレスティアは我に返った。

 今回最も危険な立場にあるのはセレスティアではない。

 罪人として国を追われることになった【界渡り】の青年。不幸な事故に巻き込まれてしまっただけの迷える民。馬車に乗り込んで以降顔を合わせていない側付きキョーヤは、馬車の扉が再び開いた後にはもうその他に大勢いた聖騎士らとともに姿を消してしまっていた。

 彼を一人にしてしまえば、エンツォは彼女の目を盗んで喬也を間違いなく掠め取る。どのような手段を用いるのか、いつ決行するのか、誰がその役を担うのかなどは全く見当もつかないながら、確実に喬也の身にはかつてない危機が迫っている。短いながらも旅の道中で語ってくれた喬也の故郷は、軍や戦争、魔物といった脅威は全くと言っていいほど存在していなかった。そもそも魔法自体も御伽話だと言われた際には開いた口が塞がらなかったが、それならば尚更喬也に身を守るための知識と経験が不足している裏付けが確立されてしまったと考えなければならない。


「はい、聖女様。何なりとご命じください」

「ありがとうございます。では早速なのですけれど、お手洗いに参りますので司教が戻られたらお伝え願えますでしょうか?」


 明らかに警戒しているであろう目つきを崩さないゲイルだったが、セレスティアは意にも介さず続ける。

 現状セレスティアと喬也を比べれば、動けるのはセレスティアのほうだ。

 喬也についてはそもそもエンツォが『事情を知っている』と口に出したため、罪人でありながら半ば強制的に教会に引き摺り込まれた状態にある。魔力妨害を施した部屋に戦う司祭かんしをつけて象徴たる信徒せいじょを放り込むような者が、そんな不穏当な危険分子を自由にさせておく道理はない。

 一刻も早く合流し、予定を大幅にくり上げてでもこの街を去るほうが後の面倒を回避できると踏んだセレスティアの考えは読まれていたかのように遮られる。


「左様ですか。ならば私も参りましょう、お世話を仰せつかっておりますので」


 ただしここは女であり王都の大司教のお膝元で女流社会の荒波に揉まれ続けていた一日の長たるセレスティアに軍配が上がることとなる。


「なりませんよ、ゲイルさん。淑女の秘め事は時として国をも傾け得るのです」


 しおらしい顔とともにほんの少し頬を赤らめる徹底ぶりであざとく燕返しをお見舞いしたセレスティアは、とどめの一撃を繰り出す。


「ゲイオムには何度も足を運んできましたので勝手も分かっております。ご存知ないかもしれませんけれど、東側の手前から二つ目の個室は扉の閉まりが悪いのでどなたもお使いにならないんですよ?」


 初手に感情を揺さぶり、根拠をかざして理知的に幕を引く。

 目線一つで罵り合い、仕草一つで殺し合う女の世界で生き抜いてきた辣腕には、男を丸め込むことなど造作もないのである。


 *


 どうやら監視としてついているのはゲイル一人のようで、修道女らがセレスティアの動向を探りに来ることはなかった。念のために個室に入ってから数分は周囲の気配を観察し、視線も含めて危険がないと確認できている。ここまでくれば、本格的に喬也の身の危険は現実味を帯びたと考えざるを得ない。


(キョーヤ様、どうかお命だけは…)


 セレスティアの治癒魔法で解決できないのは、確定した死のみである。

 重篤な病も、欠けた四肢も、セレスティアの慈愛を以てすれば等しく救うことができる。老いたことにより身体機能が衰えた場合にはその限りではないものの、喬也にも使用した診察用の魔法と組み合わせたセレスティアの治癒魔法はどのような命をも拾い上げる。

 生きてさえいてくれれば、たとえ全身の肉が消えようとも助けてみせる。そう誓い、そうし続けてきた彼女だからこそ、【救えたのに救えなかった】という言い訳だけはするわけにいかないのである。


(どちらにいらっしゃるのでしょう…。場所だけでも分かれば!)


 喬也の背後には刻一刻と死が近づいてきている。

 セレスティアは普段では考えられないほどの狼狽した面持ちで支部内を駆けずり回る。

 礼拝堂、台所、寝室、庭など、セレスティアが普段から立ち入っている場所を全て周りきったが喬也の姿を見つけることはできなかった。


(このままでは、キョーヤ様の身が!!)


 業を煮やしたセレスティアは、【私の側付きはどこか】と聞いて回るほかないのかもしれないと弱気になったところでふと思いついた。


(そう、キョーヤ様はセルゲイとして…!!)


 今回この教会に連行されたのは、【界渡り】と【聖女】ではない。喬也は【側付き】なのである。

 つまり聖騎士であるということであり、その身は必ず聖騎士隊に所属する。

 半年弱前まで身を粉にして尽くしてくれていた本物のセルゲイも、聖女の近衛の任が終われば聖騎士隊の宿舎に帰り休んでいた。

 聖騎士の行く先は聖騎士宿舎であるという基本を今の今まで思い出せなかった自身の不甲斐なさに臍を噛むが、気づいて悔しがるくらいならばすぐさま駆けつけるほうが何倍も建設的である。そう言い聞かせたセレスティアは脇目もふらず教会内を走り抜けた。


「はぁ、はぁ、…!っあ!!」


 角を数回曲がり、息も絶え絶えにセレスティアがたどり着いたのは宿舎の手前に拵えられた練兵場であった。

 そこでは兜をただ一人被ったままの構えも型も出鱈目な聖騎士と、喬也では身体強化を解いたら抱えることすらままならないであろう無骨な大剣を軽々と片手で構えている聖騎士がいた。


「キ…セルゲ———」

「おや、迷われましたかな?」


 既に戦端が開かれてしまっていたことに焦ったセレスティアの呼びかけは、届くことはなかった。

 突然背後から見え透いた疑問を投げかけた声の主など、ことここに至っては顔を見ずとも分かってしまう。


「エンツォ司教、これは大変お見苦しいところをお見せしてしまいました。ご放念くださいませ」


 セレスティアとしても、横槍が入ることは予想できていた。

 しかしながら、この場でエンツォ自らがセレスティアを止めに来るとは流石に考えていなかったため一瞬のためらいが漏れ出す。


「とんでもない、やはり聖女様とはいえどお元気なお年頃というわけですな。羨ましいですぞ」


 そう言ってどこか渇いた印象を受ける笑い声を上げるエンツォに向けて普段通りの鉄面皮を向けながら、セレスティアは状況の打開に動き出すこととした。


「ところで、あれは私の側付きかと存じます。どうして剣を向け合っているのでしょうか?」

「あれは訓練ですよ、セレスティア様」

「…左様ですか。しかし、訓練をなさっているお相手は歴戦の勇士とお見受けします。側付きは未だ銅級の身ゆえ、些か役者不足でございます」


 実際に刃を向け合ったわけではないが、彼我の実力差は喬也とて感じているはずだ。

 セレスティアとエンツォが短い会話をしている間にも二合、三合と打ち合っており、当たってしまえば無事では済まない剣戟を身体強化の力だけで何とか捌いている喬也の姿は、文字通りに命からがらといった様相である。


「いやはや、ご冗談を。あの大剣の聖騎士も未だ銅級ですぞ?」

「…これはとんだ無礼を申しました、司教。ゲイオム支部は優秀な聖騎士がたくさんいらっしゃるのですね」

「お褒めいただき、感謝しますぞ?セレスティア様」


 火花散る剣と剣の戦いと打って変わって、口で口を潰し合う戦い。

 本来ならばこのような腹の探り合いは御免被りたいセレスティアだが、巧みに隙を潰してくる司教に対して決定打に欠けてしまい喬也と聖騎士の戦いに割り込む余地を作れない。


「それに、ゲイオムが抱えている聖騎士はあの者だけではございませんのでな。是非王都の聖騎士セルゲイの実力を見たいのでしょうな?」

「でしたら、もう少し経てばじき聖騎士団が後を追って到着しますので———」

「何と!いいことを伺いましたぞ、セレスティア様!これは王都の聖騎士団のご到着前に実力を知ってゲイオムの更なる鍛錬になりますな!是非この機会を逃さず、王都からお見えになった側付き聖騎士様の技術を受け継がなくては!」


 埒が開かない。

 セレスティアの感情は沸騰していた。

 事前にこの街に着く際、観光や休息を理由に逗留する決断をした自分と、私欲の赴くままに盤上の駒を着実に進めてくるエンツォから直接の速攻戦を仕掛けられるとまでは予想できていなかった自分に、奥歯を薪割りにしてしまうほどの熱が身体中を駆け回る。

 その熱は、次の一瞬で氷点下まで叩き落とされることになった。


「…そうでした。実はあの大剣を扱う聖騎士は、エドガー・フォード・セルゲイの兄、マルセロ・フォード・セルゲイでございますぞ」


 セレスティアは、好々爺然としたエンツォの微笑の裏に貼りついた底知れぬ狂気を目の当たりにしたことで毒気を抜かれた。

 明確な敵対勢力を作らずに女の世界を渡り歩いてきたセレスティア。彼女といえど、数限りないケーススタディに裏打ちされた年の功に対しては、一片の曇りすらない白旗を掲げざるを得なかったのであった。

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