014-厳命されました
「では、こちらの紙にお名前などを書いてください。冒険者登録との紐付けをいたしますので」
そう言うと冒険者ギルド受付のチーフを務めるファナ・ベネボレンスは一枚の紙を取り出した。目に入っただけの掲示板を見るにこの世界の技術水準はやはり地球で発展した文明でいうところの中近世あたりまでしか進んでいないらしく、日本国内のビジネスシーンでよく見かける上質なコピー用紙に比べれば手触りと柔らかさがかなり劣るものである。
『キョーヤ様、ご注意ください。【界渡り】であることを気づかれないよう、この世界の文字で記入なさってくださるようお願いいたします』
『うえ、あっぶね…』
深く考えることなく手渡された羽根ペンで【相馬喬也】と記載しようとしていた喬也はすんでのところで筆先を止めた。
案の定というべきか、お決まりというべきか。先日から気づいてはいたのだが、どうやら【界渡り】には言語の自動通訳機能が標準搭載されているようだ。
自分の見える範囲で話をしている市民の口元の動きが聞こえてくる音と明らかに異なると分かったのをきっかけに、声を出す瞬間に確認してみたところ、まるで海外ドラマの吹き替え版を見ているかのような状況に陥ったのである。
喬也としてはこの便利機能のおかげでこの世界の十人とのコミュニケーションが円滑に行えるため文句は一つもないのだが、そんな中でも懸念があった。
(俺、書けんのか?)
それが、【文字】である。
言語によるコミュニケーションであれば、発するのも受けるのも聴覚のみで事足りる。口元の動きに関する補正がないことが何よりの証拠である。
しかし手紙や書面など、文字によるコミュニケーションを図る際には、文字情報を認識するための視覚と筆記用具を握り文字を書く触覚の補正が必要になる。常日頃から市街に溢れる文字は自動的に喬也の認識できる日本語や英語に翻訳されているため、リーディングに困ったことはない。引き換えにこれまでこの世界の文字を目にしたことはないため、現地の文字を学ぶ暇すらなかったというわけだ。つまりこの世界の補正力が【五感のうち一つまで】に収まってしまう場合、喬也は【文字が書けない教会の聖騎士】という残念な称号を受け入れなければならなくなるわけだ。
ここに辿り着くまでに脳内で散々シミュレーションした結果、【マズった時は暗号文字だとでも言えばいいさ!】と強引に結論づけていた喬也は意を決してカタカナで氏名を記入する。
というのも、どうやらセレスティアの発音やイントネーションから感じられる喬也の呼び名は【キョウヤ】ではなく長音でつなぐ【キョーヤ】に近く、恐らく母音で長音を表現する文化が根付いていないのではないかと考えられたからだ。
(こればかりは親父とお袋に感謝だな、異世界に行った時に無用な注目を集めない名前に産んでくれてよかったよ)
セレスティアからの事前の説明で【氏名だけは真名と異なる記載で冒険者登録をしたことが発覚すれば厳しい処罰がある】と聞き及んでいたこともあり、ギリギリ嘘にならない範囲で【キョーヤ・ソーマ】と書き込んだ。
(へぇ、文字はこうなるのか)
喬也はそこで早速、新鮮な驚きに出会うこととなった。
自分が書いた文字は、そっくりそのまま見たこともない点と線の集合体へと変じていた。文字数すらも変わっていることを見ると、英語などのように文字に明確な意味がなく組み合わせで読みが変わるパターンのようだ。
その後、同様に年齢や装備、既にパーティを組んでいるかどうかなど、十個弱の質問項目を埋めていく。書き終わった用紙を受け取ったファナは、二人を先導するように歩き出した。
「これからこの内容を元に冒険者登録を行います」
案内されたのは地下室である。
広さは十二畳ほど。その奥三分の一ほどのスペースは鍵盤のないパイプオルガンのような祭壇が占めている。
「中央に進んで目の前の球に両手で触れてください。その状態で恩寵魔法を起動していただければ、登録が完了します」
喬也は説明を受けた通りに、眼前に鎮座する人の頭ほどの球状の石を両手で挟むように握る。
これまでの旅程では常に人の目があったため、恩寵魔法は初挑戦である。魔力の使い方を改めてセレスティアから学んだとはいえ、まだ念話魔法しか使いこなせていない喬也としては、ついに心躍る瞬間が来たと言える。
「登録の際に拝見した恩寵魔法は、ギルドが責任をもって管理いたします。口外などはいたしませんので、ご安心を」
この瞬間、喬也は改めて高揚していた。
以前に魔法を放ったときは、あまりにも咄嗟のことで明確な達成感は得られなかった。それ以降もまともに練習をすることができず、現在に至るまで活用しているのは身体強化と念話のみ。燃え盛る業炎も、全てを切り裂く突風も、それを身につけることができるかどうかはこの一瞬にかかっているとなれば、否が応でも期待が高まってくる。
(アレを倒したときの魔法は属性が絡んでるやつなのか分からんしな…)
一応、誰がどこで聞いているかも分からない状況で自分の手札を無条件に明かすことはできないと考え、あの日放った黒い球についてはまだ二人に伏せたままである。
「【恩寵よ、我が根源を顕せ】」
*
『…界渡りって、最強じゃないんですか』
『…お気を落とさないでくださいませ。聖騎士の中には魔法が不得手な者もおりますが、研鑽を積み剣で身を立てた者もおりますから』
冒険者登録を済ませ、冒険者としての身分証明になる掌サイズのカードを受け取った喬也。本来の予定は初依頼をこなしたり鍛錬に打ち込んだりと計画されていたのだが、二人はその予定を全てキャンセルして足取り重く宿へと向かっていた。
喬也の発動した恩寵魔法は何色をも示すことはなく、純然たる無色であったのだ。
『結果がコレってことは、俺ってば魔法の才能ナシってことですよね…』
一般的には、どんなに適正の少ない者でも二色が表示されると言われている。今回の結果は、誰もが考えうる最悪の想定を大幅に飛び越えたものであった。ギルドの受付嬢を束ねる立場にあるファナですら、目を見開いていた。これほどまでに魔法適性がない人間を見るのは初めてだったようで、見送る際には最上級の哀れみを纏った視線が背中に刺さって仕方なかった。
『私の推測でしかないのですが、恐らくキョーヤ様の魔神眼が影響している可能性も捨て切れないのではないでしょうか』
セレスティアの気づきはまるで女神からの福音のようだった。
『過去の言い伝えによれば、魔神眼は他者の魔力に対して作用する力です。キョーヤ様自身の魔力については色がつかないのもある種納得できる結果だと言えませんか?』
『…セレスティアさんも見ましたよね?無色』
せっかく念話を用いているにもかかわらずセレスティアがバツの悪い顔を見せてしまったのは、当然の帰結である。
「おや、浮かない顔をしていらっしゃいますな」
希望溢れる異世界ライフの到来を悉く邪魔され続け意気消沈する喬也を慮るセレスティアの顔は、声の主へと向く。
身に纏う装束はセレスティアと同じ純白。肩から下がる紫色は鮮やかかつ荘厳な雰囲気を一層引き立てる。決して豪奢ではないものの、ロマンスグレーもとい某世界一有名な魔法学校の校長先生ヘアーを際立たせるその装飾は見る者が見れば一目で一級品だとわかる。
「…エンツォ司教、ご無沙汰しております」
「セレスティア様がご健勝で何よりでございます。再びこうしてお目にかかれましたこと、光栄に存じますぞ」
エンツォと呼ばれた司教は、胸にかけられたロザリオを両手で握り頭を垂れる。市街に現れることがあまり多くないのか、司教の周りには人だかりができていた。
「お早いご到着だったそうで。ご連絡いただけていればすぐにでも遣いをよこしたところでしたが」
「お心遣い痛み入ります、司教。しかし今回の旅路は些か勝手が違いまして…支部の皆さまに要らぬ手間はかけられない、と余計な気を回したにすぎないのです」
長年エヴァンシュタイン教の司教としてゲイオムの人々を癒してきた功績なのか、付き従う聖騎士の雰囲気に一切の隙はない。なんちゃって聖騎士である喬也は内心で負けを悟った。
「とんでもない。王都からわざわざセレスティア様がお越しになるのです。数日に満たないご滞在でも、信徒は皆喜んで出迎えいたしますぞ」
「恐縮です、司教」
街の教会を管理する物腰の柔らかい司教と教会の威光を支える美しい聖女の語らいは、街を行き交う人々の目には至極穏やかに映ることだろう。
しかし、二週間強とはいえ日夜寝食を共にしている喬也はセレスティアに纏わりつく微かな違和感を感じ取っていた。
いつもはどこで誰とどのような会話をしていたとしても崩れることのないセレスティアの気品ある態度。だが今回はほんの少しだけ、その立ち居振る舞いがどんよりとしたものに感じられるのである。
言葉の端々にささくれがあるというのか、身のこなしに僅かな倦厭があるというのか。あくまでも印象でしかないため特に口に出すことはないが、それは本当に微かな違和感であった。
「そこでご提案なのですけれど、食事どきでもありますのでご一緒にいかがですか?」
セレスティアがそう口にしたことで、喬也はレーラの母親が好物を作って待っていると言ってくれていたことを思い出した。
「市井の往来で話し込んでしまうと、皆さまの視線を集めてしまいますから」
セレスティアのお気に入りだと聞いている味への期待が高まりすぎて、食欲の象徴たる液体が口から溢れてしまいそうになる。喬也は危ういところで無事踏みとどまることができたのだが、身動きしてしまったことで聖騎士たちの剣呑な視線を浴びることとなってしまった。
「ありがとうございます、ですが宿へお戻りになる必要はございませんぞ」
一人勝手にいたたまれなさを感じる喬也だったが、エンツォがそう告げると夕陽を浴びて一層輝く白い鎧を着た聖騎士が馬車と共に近づいてくる。
「セレスティア様がこの街へお越しになったと耳にしましたので修道女らにはシチューを作らせております。ご事情についても、ある程度は王都より聞き及んでおりますのでな。まずはお乗りくだされ」
喬也はようやくナーバスな精神状態から脱し、先程から感じていたセレスティアの微妙な違和感と胡乱な空気が発生した最大の理由が
ご一緒にいかがですか、と誘ったセレスティアに対して宿ではなく教会で食事にしようと返すエンツォ。
喬也の予想では、既に断る選択肢は残されていない。
夕食のメニューまで合わせてきているということは、この宿にこだわる理由すらご丁寧に潰しているということと同義であると考えていい。
そうまでしてセレスティアへ接触してきた目的や真意などは分からない。だがそれでも、下町の食堂ではできない何かが待ち受けていることだけは想像に難くない。
「…左様ですか」
短く返すセレスティアは、ふと喬也を気にする素振りを見せた。事情を知っているならば、セレスティアが連れているのが王国の大罪人であると理解しているはず。そのうえで教会の敷居を跨がせると宣言したのだ。
つまるところ、セレスティアが教会に向かうことを了承してしまえば最後、確実に喬也へ危害が及ぶことは火を見るより明らかである。
『俺は大丈夫っすよ、いざとなれば逃げますって』
一足遅れて共通認識を得た喬也は、まだ繋げたままでいる念話で語りかける。
元々、セレスティアとはフォード聖国までの付き合いになる。そこから先は自らで生き抜いていかねばならない以上、ここで道が別れることになったとしても割り切れる。
そもそも【九段の聖女】とやらの詳細も分かっていない状態は変わっておらず、謂わば喬也はダメで元々という状況なのである。
『ちょっと早めにさよならするだけ、って思ってください』
地下牢に繋がれていたころの喬也であれば、何か裏があると分かっていながらも危険に飛び込むなどという真似をする気になどなれるはずもなかった。
しかし、セレスティアと他愛もない会話をし、聖職者と罪人という関係性を無視した好感を抱いてしまっている今となってはどうしても、彼女を一人で針のむしろに放り込むことなど到底看過できるものではなくなっている。
『何があるかはわかりませんけれど、少なくとも私を傷つける意図はないと思います』
喬也の優しさを受け取ったセレスティアは、せっかくの決意を刺激してしまわないように冷静な声色で声をかけた。
『有事の際は、キョーヤ様ご自身の安全を優先なさるようお願いいたします』
二人は所詮エンツォからすれば外様でしかない。セレスティアがエンツォの提案を呑んでしまえば、どう足掻いたとしても教会内で単独行動はできなくなるのは明白である。
自由に立ち回ることができず、対外的な聖騎士としての身分すら利用できない中に於いては、ことが起こったとしても即座に助けに入れないタイミングが増える。
そんなもどかしさをひた隠すセレスティアだったが、この時の喬也を誤魔化すことはできなかった。
『安心してくださいよ!』
精一杯の強がりが始まった。
喬也は、可愛い女の子の前で見栄を張り、失敗してきたことなどいくら数えてもキリがない男である。
無駄かどうかは気にせずに、虚勢の履歴を更新する。
『【九段の聖女】でもない限り、死んでやるつもりなんてないんでね!!』
喬也の言葉は期せずして、セレスティアの言い知れぬ不安を跡形もなく消し去ってしまうのだった。
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