Ⅱ ゲイオム

013-思い知らされました


「デっケー…」


 喬也とセレスティアはグレアム王国の王都ガルエムを出た後、王国を支える三大辺縁都市の一つに滞在していた。

 【商いの街】ゲイオム。他国からの商人が多数集まる、活気溢れる西方の街である。他にも【戦いの街】ギバウム、【育みの街】ゴゼイムがそれぞれ南方と東方にあるが、今回の旅路では立ち寄ることができないのであった。


(まさか二人旅だとは思わなかったけど、喜ぶ暇なんぞなかったな…)


 こんな可憐な少女が国に泥を塗った罪人を引き連れるのであればそれなりの体裁というものがあると当然のように踏んでいた喬也は、ヴィルフリートからガルエム市街に二人きりで放り出されることになった。喬也が外務卿執務室ゴリラのへやで抱いた感想に間違いはなかったらしく、セレスティアがひと度街に出てしまえばどこもかしこも聖女様コールで埋め尽くされる。

 出会い頭に骨の髄まで絆された身の上ではムフフな展開の一つや二つを望まなかったわけではない。しかしながら、どう見ても年端の行かない純粋な乙女との逢瀬には到底似つかわしくない信仰の塊のような市民や神を敬うことを知らなそうな胡乱な輩が見え隠れすることもあって、喬也の期待イベントスチルは埋まらなかった。

 そもそも【国内では襲わない】というヴィルフリートの説明も、王国の外務卿としての立場で言わざるを得ないだけという場合も考えられる。王国の、ひいてはあのいけすかない内務卿ハゲの内心ではどんなえげつない策が巡っていようと何ら不思議ではないのだ。

 それを考えれば悠長にデートなどと考えていられるわけもなく、結果として気を張り続けることになってしまった。

 こうなってしまえば自ずと二人の足は早まる。一刻も早く物騒な視線を真っ直ぐ受け続ける状態を打破すべく進み続けた結果、予定より3日近くも前倒しの到着となってしまったのであった。

 追手を警戒しながらの逃避行とも呼べる旅路であるとはいえど急を要するわけでもない。単に気が急いただけのバッファは休養に回そうと決まり、神官服を着た少女と付き従う護衛の青年は商店と屋台が立ち並ぶ通りにやってきていた。


『キョーヤ様、改めて…』

『分かってますよ、俺はセルゲイっすよね』


 念話というものは非常に便利で、もはや二人の間では日常的に繋がれている。セレスティアとの魔力合わせでより効率的な魔力の使い方を身につけた喬也はすっかりマスターしており、魔力を使う練習にもなるため基本的には喬也が維持を担当することになっている。


『ええ、よろしくお願いいたします。この街にも【勇者召喚】の報は届いていると思われますから』


 セレスティアによれば、年に何度かは他の街へ出向いて教会の支部で活動の手伝いをしているのだという。


(どこの世界もお付き合いは大変ってこったな)


 その縁で交流を持った先に対しては顔を見せておき、今後の円滑な関係をできるだけ保っておく必要があると説明された喬也にしてみれば、こんな気持ちになるのも無理はない。


「せーじょさま、こんにちは!」

「あらレーラ、こんにちは。元気そうでよかったです」


 【またか】と喬也は内心でのみ肩をすくめつつ、少女の目線に合わせるように屈むセレスティアを眺める。

 喬也改めエドガー・フォード・セルゲイと名乗る護衛官としては気が休まる暇がなく、ゲイオム到着早々に精神的疲労を自覚することになったが、セレスティアの手前下手な真似はできない。


「あのねあのね、きのうね!」

「これレーラ、落ち着きなってのに!全く…そそっかしいったらありゃしないね!」


 今もレーラと呼ばれた女児とその母親から声をかけられ、観光のお供にと自家製のパンを手渡されている。何でもレーラの家族は食堂を経営しているとのことで、この街では旅の商人から労働者まで根強い人気があるそうである。部屋数は少ないものの宿屋としても営業しており、数年前に宿泊客が起こした刃傷沙汰に母親が巻き込まれた時から贔屓にしているのだそうだ。


「騎士様と是非召し上がってください。ウチの旦那の胃袋を鷲掴みにした味ですから、お隣の騎士様もコロっといっちまうかもしれませんねえ!」

「まあ、大変!エヴァンシュタイン教の教義に『惚れてもいいのはパンにまで』と付け加えておきませんと」


 喬也は旅が始まってここ数日の間に、セレスティアへ向ける尊敬の念が更に強くなっていた。

 もちろん初対面のあの日ですら好感度はストップ高だったのだが、それ以降もとどまるところを知らない。


(可愛くてノリが良くて、何より癒される…こんな人間いるんだな)


 誰もが認める美しさ。

 所作に現れる気品。

 浮かべる笑顔に纏う慈しみ。

 軽妙かつ洒脱なユーモアを織り交ぜるセンス。

 人々は、権威としてまがいものの聖女という冠に踊らされるほど暇ではないし蒙昧でもない。

 セレスティア・フォード・エヴァンシュタインがこれまでに見せてきた全ての言動を的確にまとめるに相応しい概念こそが、彼女を聖女たらしめているのだった。


「セルゲイ。主に感謝し、共にいただきましょう」

「かしこまりました」


 旅の間は教会の騎士として振る舞うことが絶対の決定事項である。喬也は【敬虔な教会の信徒とはこんなものだろう】というイメージだけで強引にその役を演じているが、ここ数日でなかなか様になる所作が身についた。


「セレスティア様への提供、感謝する」

「…では、私たちはこれで。また夕刻には戻ります」


 本職の騎士らしい雰囲気を纏う喬也に鷹揚に頷くと、その足で向かうのは街の中心部である。


「ええ、待ってますよ!今日は聖女様お気に入りのシチューですからお早くね!」


 千切れんばかりに手を振りながら見送ってくれるレーラを微笑ましく感じながら、二人は一際高い塔を目指して歩き出すのであった。


 *


『ここ、ですか』


 喬也が最初に抱いた感想は、【汚い】であった。

 木造の二階建てで外壁に碌な塗装は残っていない。人の出入りのたびにスイングドアが激しく軋み、中から漏れ聞こえてくる騒音は怒号と野次ばかり。

 しかし、雑然としているが不思議と嫌な印象はない。

 長年に亘り建物正面に掲げられ続けた靴を模る意匠はくすんでいるが、その鈍い風合いは歴史を物語る重厚さと共に人々を出迎える。


「おいテメエ、ガキじゃあるめえしそう膨れんなっての!」

「黙ってろクソ野郎!俺にだって春の一つや二つ、あってもいいだろうがよぉ!!」

「だーっはっはっは!!まーた始まったぜ男泣きだ!」

「アンタもいい加減に自分に見合った女見つけなよ全く…」

「毎回付き合わされるアタシらの身にもなってよね!」


 性別も体格も様々な者たちは、いずれも剣や槍、大斧や弓矢などを背負い行き交っている。中には皿をつつきながら杯を酌み交わす者、掲示板を熱心に眺める者、カウンター越しにああでもないこうでもないと話している者など、統一感のかけらもない者たちがこれでもかと詰め込まれている。


『何か、イメージ通りって感じっすね』

『私たちはエヴァンシュタイン教の者ではありますが、教会の権威だけで旅をするわけには参りません。長旅にあたっては何かと便利がいいんです』


 ここは【冒険者ギルド】。

 【異世界モノ】ではお馴染みのシステムである。

 この世界にも当然のように魔物という存在が多数生息し、それを狩ることで生活している者たちを管理するのがギルドである。

 現代日本で多種多様な作品を目にしてきた喬也はもちろんその仕組みを理解しているため、セレスティアから大抵の事情は聞き及んでいた。

 冒険者は完全実力主義の世界であり、ギルド支部のマスターが実力を認めれば階級が上がっていくルールも、自身の階級の一つ上の階級までしか依頼が受けられないルールも、他の作品と全く変わらないため順応は容易い。喬也のやってきたこの世界では素材や金属の名前が階級に用いられているらしく、白磁等級ホワイト鋼鉄等級アイアン赤銅等級ブロンズ白銀等級シルバー黄金等級ゴールド白金等級プラチナ魔銀等級ミスリル魔金等級アダマンタイト神銀等級オリハルコン神金等級ヒヒイロカネと十段階に分かれているのだという。

 錚々たる伝説の金属が名を連ねることに興奮を覚えつつ更に聞いた話によれば、白金等級と魔銀等級の間には隔絶した実力差が存在しており、努力だけでたどり着けるのは白金等級までというのが冒険者の常識なのだそうだ。

 ものの見事に英語が登場している件にだけはそっと目を瞑り、喬也はセレスティアの後に控えて冒険者ギルドの受付へと向かう。


「セレスティア様、ようこそゲイオムギルドへ」

「ご無沙汰しています、ファナさん」


 ファナと呼ばれた妙齢の女性は澱みなく頭を下げた。しかし被った帽子の正面に見える冒険者ギルドのエンブレムを床に向けたまま、微動だにしない。

 数秒ののち、ぷるぷるという擬音すら聞こえてきそうな面持ちで顔を上げたファナからは、か細い声が漏れた。


「…覚えて、いただけて」

「ふふふ、当然ですよ?私を初めて対応してくださったのが貴女ですので」


 どこに行ってもアイドルなのは本当に変わらないらしい、と諦めたことに気づき、喬也は新鮮な驚きを取り戻したいと切に願うほかなかった。

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