011-指導されました


「このくらいしかできず、申し訳ないのですが…」


 喬也にそう言うとセレスティアは魔法をかけてくれた。またも視界が完全に白く染まるが、彼女の魔法に人を傷つけるような要素は感じられず、素直に受け取る。


「ありがとうございます、ちょっと疲れが取れた気がします」

「それは何よりです。この魔法は光系統の中でも特殊な部類なのですが、神聖属性と治癒属性の二つが混ざったようなものでして。気持ちを楽にしたり緊張をほぐしたりするために用いるものなのです」


 喬也の消耗は凄まじく、その姿を見たセレスティアにはむしろ痛々しさすら覚えるものだった。驚きの連続で失念こそしてしまったものの、このように憔悴した者が兵士や神官であるならば休養を取らせ、数日は療養に専念させるほどだ。


「…お待たせしてしまって、申し訳ございませんでした」

「えっ?!」


 王城から教会への通達と準備の遅れにより放置してしまったこと、部屋に入ってすぐ魔法を使わなかったこと、ここから先に待ち受ける困難へ巻き込んでしまうこと。全てをあげつらうのはあまりにも品がないと考えて、セレスティアは一言のみ告げて頭を下げる。


「いやいやいや、気にしないでください!マジで楽になったんですから助かってるくらいですよ!!」


 喬也としては謝られる理由がサッパリ思いつかないため、単純な狼狽を見せる。セレスティアは喬也の慌てふためく様子に思わず吹き出し、【面白い人だ】と印象を追加するのだった。このままでは空気も悪くなってしまうと、話題を切り替えるべくセレスティアが口を開く。


「そういえば、キョーヤ様はこちらへお越しになってから魔法のことは何一つ習っていらっしゃらないだろう、とヴィルフリート様より伺っております。お間違いないでしょうか?」

「はい、全くです」


 喬也は【習っていない】という点に間違いはないと頷くが、魔法が使えないわけではない。思い出したくはないが、【ヤツ】のおかげで魔法に関するブレイクスルーを得られたことは確かだ。城の修繕を要求されてもたまらないと考えて、聞かれたことにだけ答えるスタンスを決めて返答する。


「恩寵魔法は城の中で使うには人の目が多すぎますからどの属性が使えるかは把握できませんが…魔力の扱い方だけでも練習いたしましょうか。ヴィルフリート様はもう少しお戻りが遅いと思いますし」


 喬也の目からは【界渡り】の実力を見たがっているようにしか見えないが、関心を寄せられて悪い気はしない。


(何をしにどこへ行ったのか言わなかったおっさんが悪い!)


 【美少女による個人レッスン】という些か真面目さに欠ける概念と【先達による修行】という尊大な大義名分を得た喬也は教えを乞うことを決めた。


「まずは魔力を感じてみるところから始めてまいりましょう…といっても、もう基礎的なところは習得なさっているようですけれど」


 現に喬也は今も魔力を使って身体強化を行い、鎧の重さに抗っている。


「首筋に触れさせていただきます、ご容赦くださいませ」


 先程の回復魔法とやら改め治癒魔法で診察した際に魔力の流れを確認していたセレスティアは、断りを入れてから喬也の兜と鎧に僅かに開く隙間へ白磁のような滑らかさと透明感を誇る手を差し入れ、うなじに掌を押し当てる。


「キョーヤ様は現在でも魔力を扱うことは難なくできていらっしゃいます。しかしながら、独学で進めた場合の殆どはどうしても無駄が出てしまうものですから…」


 魔法を行使するうえで欠かせない【魔力操作の効率】について講義していくセレスティアだが、これまで教鞭をとったことはなく、弟子を取ったことなどもない。よって、訥々と説明を続けてはいるが、【生徒が理解できているかどうか】を把握するすべは持ち合わせていなかった。

 その証拠に、喬也の理解度は一点の曇りもないゼロであった。理由は明白である。


(え、ちょっと何これ!!スベスベなんですが?!これが女の子の肌なんですかそうですか天国ですね了解です!!!!)


 首筋に手が押し付けられているという状況は特異すぎるものの、うら若き乙女の清潔で繊細な肌に完全に魅了ノックアウトされている喬也の耳には何の音も入り込む余地はない。この手の持ち主が、これまで出会ってきた数々の女性の中で【並び立つ者がいないほど最も可愛らしい】と冗談抜きに褒めちぎることができるセレスティアであれば尚のことである。

 掌を通して魔力の流れを把握しているセレスティアは、喬也の制御している魔力が安定性を欠いていることを即座に見抜く。不安定どころか大時化と言わんばかりの状況が続いているのをみかねて、もっと直接的に干渉することにした。


「今のままですと私からの補助がしづらいので、少し方法を変えてみましょう」


 そう言ってうなじから手を離すと、喬也の目の前に立つ。


「手をつないでくださいませんか?」


 喬也とすれば、天にも昇る気持ちである。

 首筋にほんのりと残る感触と温もりに現をぬかしていたところに美少女が現れたうえ、手繋ぎイベントが発生したとなれば舞い上がるのも無理はない。

 喬也とセレスティアの身長差は凡そ二十センチ強である。一八一センチの視点では、【狙っていないあざとさを存分に振り撒くちんまりとした美少女から上目遣いでおててを要求される】という邪な絵面が広がっており、喬也はまたも理性をゴミ箱に投げ入れる。日本のラブコメに於いて俗に【恋人繋ぎ】と呼ばれる、双方の指を交互に重ね合うスタイルで感触を確かめるように手を握ると、右手側から違和感のある魔力が流れ込んできた。

 さすがの喬也もこれには面食らってしまい、思わず怪訝な顔をする。


「初めてですと凄く違和感を感じられると思います。気分は悪くありませんか?」

「気分は大丈夫ですけど…何かしっくりこないですね」


 喬也が思わず【最高です】と答えようとする本能を叩き伏せると、送り出す魔力を増やしながらセレスティアが講義を再開する。


「この世界に於いて魔力の種類は一つのみであるとされています」


 何でもセレスティアによれば【系統と属性は魂に宿り、魔力は体に宿り、魔法は心で生み出される】というのがこの世界の魔法理論の根底を為しているのだという。

 つまるところ喬也が立てた【意思と感情の具現化】という魔法理論に対する仮説と近しい結論へと至るのだが、仮説が実証されたことに安堵を抱きつつ、セレスティアの制御する流れに逆らわないよう調整していく。


(何だかスムーズになってきたかもしれない)


 未知の概念である魔法に対しいつの間にか何となく扱ってきた内在する魔力が漏れなく淀みなく流れゆく感覚に暫くの間意識を集中していると、セレスティアの手に込められた力がかなり強くなっていることに気づいた喬也は目を開ける。その顔は苦悶に染まっていた。聖女然とした慈しみ溢れる表情から微笑みが消えており、額に汗を滲ませながら頬を紅潮させ固く目を閉じている彼女に違和感を抱き、喬也は咄嗟に手を離した。


「大丈夫ですか?!」

「…ええ、申し、訳…ありません。…ご心配、を…おかけ、してしまい…ました」


 セレスティアも喬也に負けず劣らず集中していたようで、息も絶え絶えになっていた。

 すっかり冷えてしまっている紅茶をコクコクと飲み干して息をついたセレスティアが笑みを返してくる。


「どうやら、私も久しぶりの【魔力合わせ】でしたので勝手が掴めていなかったようです」


 そう言ってお茶目な顔をしてみせるセレスティアだが、頬の赤みが未だに消えない。


「でも、まだほっぺたが赤いままですよ…?」

「このくらいは大したことではありませんから。ご心配いただいて、ありがとうございます」


 発した彼女の言葉通り、まだ完全に赤みが引いていないとはいえ既に表情は凜然としたものであった。


「おぅおぅ、若ぇのはお熱いもんだ」


 この数十分でいくつもの表情を見せてくれたセレスティアに見惚れていた喬也の油断をつくように豪快な扉の音を立てながら戻ってきたヴィルフリートは、一言の後に小さなカードを投げ渡してきた。


「坊主、餞別だ。有難く受け取れよ?」

「…これは?」


 いつの間に呼び名が坊主へとクラスチェンジしたのか定かではないが、飛んできたカードを受け取る。投げ渡されたのは赤銅色の金属板である。厚さは凡そ五ミリほどで、四辺それぞれの中心を結ぶように六本の直線が引かれ、区切られた枠の中に直線と曲線が組み合わされた文字のようなものが見てとれた。


「無事、坊主の【追放】が決まったからな…ソイツがエヴァンシュタイン教の傍付き騎士の証明となる【騎士証】だ。キョーヤは剣が振れるほど鍛えちゃいないだろうから、銅級なら丁度いい」

「身分証明ってことですね、ありがとうございます」


 内容は読み取れないが、ひとまずは身分が保証される確約が取れたことは大きかった。これで少なくともセレスティアの体面を守りつつ行動ができることになる。


「ヴィルフリート様、これはもしや…」

「その先は耳の痛い話になる。儂としては勘弁してくれると助かるんだが」


 一国の政治を担う者として探らせたくない腹もあれば、触れられると返答に窮する話もある。そう言外に示すヴィルフリートには何も言えず、セレスティアは発言を途中で仕舞って喬也に向き直る。


「行く先々で私はセレスティア・フォード・エヴァンシュタインとしての責務がございます。その際キョーヤ様が名を問われた場合は【エドガー・フォード・セルゲイ】と名乗ってください。その騎士証の元の持ち主です」


 何らかの事情があると察した喬也は頷く。

 この世界にもしがらみや組織間の軋轢は無数に存在すると否応なく思い知らされるが、事態は喬也の心の準備を待ってくれるつもりはなかった。


「坊主、時間だ」


 ヴィルフリートは立つようにジェスチャーし、喬也を急かす。雰囲気の変化を敏感に感じ取った喬也は席を立ち、決意を新たにする。

 直立した喬也へ、表情を切り替えて無慈悲に告げた。


「只今を以て、グレアム王国外務卿ヴィルフリート・フォン・グランストロームにより、王の栄華に座す王命に基づく放逐を行う」

「はい」


 喬也の返事に合わせて少し前方にセレスティアが立つと、軍人は尚も言葉を重ねた。


「罪人、心せよ」


 為政者は感情を露わにしない。

 ただし、瞳には微かな憂いと慈愛の面影があった。

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