008-説明されました
「ご苦労、下がってよい」
これまで国内の儀式で彼女を見かけることがあった看守達はまだ少し美への耐性があったようで、上官からの指示を聞き逃すことはなかった。二名が丁寧に部屋を辞した後、変わらず凪いだ声で続ける。
「貴様の狼藉は目に余るものがあった故、陛下がその栄華に座され放逐の王命が降った。今後国内に於いて、貴様の身柄は儂、ヴィルフリート・フォン・グランストロームが拝命する外務卿の栄誉に座し管理する。国外に於いては王の栄華に座し、この任をセレスティア・フォード・エヴァンシュタイン嬢が引き継ぐ。よいな」
喬也には全く聞こえていない。
未だにセレスティアにゾッコンであり、もはや自らの置かれた絶体絶命の崖っぷちライフへの不安は消し飛んでいる。
しかしながら歴戦の猛者たるヴィルフリートの目は節穴ではない。
入室直後からセレスティアの美しさに心を奪われ気もそぞろである目の前の
「この者も、望んだことではあるまいよ…」
セレスティアの耳には何かが聞こえたが、気に留めることはない。
ヴィルフリートは、謂わば叩き上げの軍人である。
国の外れにある小領地を持つ子爵家の三男として生を受けた彼は、この世界の成人である十七歳になった直後、後の義父と義兄になるグランストローム伯爵家が将軍とその副官を務めている国軍に入隊。立派に育て上げてくれた両親と家族を守るため、北に南にと戦争を渡り歩いた。領地の父が病死した数年後にグランストローム将軍の令嬢と運命的な出会いを果たし戦功を挙げることで婚約を結んだが、義兄がおよそ三十年ほど前に戦場に散ってしまったことで直系子息のいなかったグランストローム伯爵家は断絶の危機に瀕するも、運良く婚約中であったヴィルフリートの婚姻を正式に執り行い当主の座に据えることで難を逃れたのであった。異例の出世を果たして以降も前線を張り続け武功を重ねたことで、三十五歳で侯爵へと陞爵となった。外務卿の地位を与えられたのは、それから約十五年後のことである。
ブランクはあれど、この国の勢力圏が拡大するきっかけとなったほぼ全ての戦役に浅からぬ関わりを持つ彼は、【立ちはだかる威容だけで敵を射殺す】と名を馳せた稀代の英傑である。
(…ッ?!)
戦場どころか喧嘩の一つもまともにしてこなかった温室育ちの
「…まあ、セレスティア嬢の美しさは皆認めるところだが、今回は儂の能書きに付き合ってもらわねばならない。改めてだが貴様にはこのセレスティア嬢と共に国外へ出てもらうことになる」
喬也は魔力を内に収めて説明を再開するヴィルフリートに恐る恐る頷くが、樹海の奥底に引き摺り込もうとするような濃い緑色のオーラを以て威圧を与えてきた者であっても伝えておかねばならないことがある。
「あの…ありがとうございました」
「…なに、礼は無用。全ては国と陛下のためである」
喬也は、あの場で殺されてしまうはずだった。
それを辛くも逃れることができたのは、偏にヴィルフリートの機転があったからにほかならない。
いくら国のため王のためといえど、逆転のチャンスが巡ってきたきっかけを作った立役者に何の言葉もなく別れることなどできるわけもないのだった。
「そして、これで分かった。儂の決断は正しかったらしい」
「…そう、ですか」
「左様。では今後について説明する」
どうやら態度に示した疑問符を解消してくれるつもりはないらしい、と喬也は説明に耳を傾ける。
喬也の返答の態度が腑に落ちていない故のものだと汲み取れないほど人の機微に疎い御仁ではないと直感が告げているため、恐らくは話すべきでないと判断したのだろうと疑問を胸に仕舞う。
説明を受けた結果、この国にいる間は常にセレスティアと共に行動しなければならないこと、外出中及び宿の食堂など人の目に触れるかもしれない場所では絶対に兜を取らないこと、対外的な扱いとしてはセレスティアの護衛や側付きとしての立場で取り扱われること、召喚された【界渡り】であると口外してはならないことなどが言い含められた。
「加えてだが、フォード聖国の聖都エヴァンシュタインへの到着を以て、その鎧をセレスティア嬢へ返却し速やかにかの聖国を離れるように」
喬也は内心で【なるほど】と頷く。
言い換えれば
この国の代理人たるセレスティアに鎧を返すということは、それ即ちその時点でこの国の庇護下の範疇を脱し市井の民になるということと同義。つまりはこれから指示通りに聖国へ向かう間中セレスティアに随伴するメンバーから常に監視され続け、聖国を旅立ったら最後、毎日毎秒、昼夜を問わずに数多の間者から命を狙われることになると理解せざるを得ない。
(このおっさんが言ってた【九段の聖女】ってのが出張ってくるってこったな…)
喬也の目下の懸念は【単独行動ができない】という点だ。
魔法の練習は地下牢の中で毎日コツコツと続けていたのだが、それは看守が不真面目で基本的に喬也のことを側でじっくり監視していなかったからこそ余計な注意を惹くことなく過ごせていたためである。セレスティアの目がある以上、不審な行動を起こせば仮に聖国に辿り着いていなくとも人知れず死神の鎌が降ってくる可能性が高い。
体内の魔力を動かすことで制御力を鍛える程度ならバレないかもしれないが、体から漏れるようなことをすれば十中八九
「何だ」
「すみません、ありがとうございます。聖国まではどのくらいの日数がかかるのでしょうか?」
あくまでも丁寧な口調に聞こえるように、そして本来の意図を悟られないように慎重に選んだ質問である。
「凡そ三ヶ月、といったところだが…気になるか?」
「はい…」
【やはり侮れない】と喬也は必死に考え始める。
このままではどうしても、自分の胴と首が離れることを警戒して制限時間を確認しているようにしか聞こえなかったのかもしれない。どうにかして印象をよくしておかなければ門を出てすぐに【
喬也の脳内国会は衆参両院の会期末までもつれ込む紛糾を見せた結果、またしても下世話な言い訳を導き出した。
「私は生まれつき胃腸が弱く、席を立つ回数や時間が他の人より長いのです。その度に足を止めさせてしまうのが申し訳なく感じまして…すみません」
この瞬間、喬也はヴィルフリートから称号【下半身ユッルユル】を与えられた。
【次は後ろの話か】と言わんばかりに白い目で見遣るヴィルフリートは二の句を継げなくなったようである。
「まあ、それは大変でいらっしゃいますね…少し見せていただいてもよろしいですか?」
再起動まで若干の時間を要するであろうヴィルフリートを意にも介さず声をかけてきたのは、これまで身動ぎもなく静かに話を聞いていたセレスティアであった。
「へ?」
「驚かせてしまってすみません。ですが私はフォード聖国が総本山たるエヴァンシュタイン教の聖職者でございますので、魔法による診療や治療ができるのです」
セレスティアは俗にいう、回復魔法とやらが使えるということなのだろう。明らかに教会の神官のような恰好をしていることからも予想できていたため驚きという意味では薄い。
しかしながら、喬也の淡い期待を裏切らない美少女は非常に好ましいと内心で小躍りする。
キッカケが仮病だろうがシモのお話だろうが、街ゆく人皆四度見するであろう圧倒的美少女の回復魔法を受けられるとあれば否応なく胸が高鳴る。
「あ、いやそれほどでは…」
「お気になさらず。これから短くない旅路を伴にする仲なのですから、不安は取り除いておきませんと」
一度は断っておかなければ体裁が悪い、と謙遜を口にするが、既に近づいてきている美少女の破壊力はそれを軽く上回る。
「まずは全身に対して診察用の魔法を使いますので、楽になさってくださいませ」
微笑みながら至近距離にやってくるセレスティア。
彼我の距離は一メートルもないため、むしろこのイベントが心臓発作を助長するのではないかと不安にさせるほどに脈拍数が
セレスティアは喬也の目の前で首のロザリオを両手で握ると、少しだけ俯いた。その姿は敬虔たる信徒という表現が世界で一番似合うと断言できるほどであり、喬也は【九段の聖女などよりもむしろ彼女のほうが聖女と呼ばれるに相応しいのではないか】とまで感じられるものであった。無知と勘違いがここまでの偶然を引き起こすとなれば、無知の知を説いた地球の先人達は目を背けざるを得ないであろう。
その祈りを捧げるような体勢のまま、セレスティアは軽く息を吸った。しかしその瞬間、喬也は思わず飛び退き両腕を顔に翳すことになった。
「うッ?!」
この部屋のメンツの反応はまさに三者三様と相成った。
即座にギュッと目を閉じた喬也。
思わぬ反応にキョトンとして首を傾げるセレスティア。
セレスティアの魔力によって無事に再起動された直後のこの光景を見て苦い顔をするヴィルフリート。
事前に【治療のための魔法】と説明したうえで魔法を発動したにもかかわらず逃げるような反応をされ、素直に戸惑うセレスティアの姿を見て、ヴィルフリートは思い返す。
異世界の民から魔法の才能を授かり得る人間を喚び出す【勇者召喚】。その秘儀に巻き込まれてしまったであろう哀れな男。
【界渡り】としてこの王城に招かれて一分と経たずに怒号とともに魔法を打たれた経験は、まだ若さの残るこの者には酷だっただろう。そう考えているヴィルフリートの目は、群青の瞳いっぱいに慈しみを湛えていた。
「怖がらせてしまったようで、申し訳ございません。ですが、あくまでもこれは診察ですから、安心してくだされば大丈夫でございますよ」
もちろん無理にとは申しませんが、と付け加えながら喬也を心配するセレスティアだが、シュンとした顔をさせてしまうつもりなど毛ほどもなかった喬也としては慌てふためいて訂正する。
「いや違うんです、大丈夫です!!」
「そうですか?ならいいんですけれど…」
もちろん、喬也が驚いてしまった理由は怖がったからなどではない。
それは、魔法が起動した瞬間のことである。
「はい、怖いとか嫌だとかじゃなくて、めちゃくちゃ眩しかったんでつい…すみません」
あの時、見るまでもない神聖さと神々しさのこもった魔力は喬也の視界を一片残さず真っ白に染め上げた。
セレスティアが身に纏う純白の衣を超える、ある意味では傲慢が過ぎる白い世界は喬也の網膜を刹那に灼き尽くしてしまい、喬也はセレスティアに対して畏敬の念を禁じ得ない。
「だからホント、大丈夫なんです!!」
そのため、尊敬の対象ですらあるセレスティアが茫然とした顔のまま微動だにしない今の姿を見て、喬也はより焦りを色濃くする。
「ご心配を、おかけしましたぁ…?」
【この世界から言葉が消えたのか?】と思わずにはいられないほど音のない空間に成り果ててしまったヴィルフリートの執務室の中で、ただ一人喬也は戸惑い続けるのであった。
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