003-喧嘩されました
「…腐っても【界渡り】ということなのかもしれん。忌々しきものだ」
数秒の後、喬也に聞こえてきたのは耳朶にねっとりまとわりつくような中高音。【お主も悪よのぉ】と言われて【いえいえ、お代官様ほどでは】と返す選手権があれば間違いなく優勝できそうなほどに小物臭漂う声質である。
少し遅れて、右肩にチリチリとした痛みを感じ始める喬也ではあるが、先程の球体がどうなったのか気になって顔を上げた。
「この者の処遇は早急に決めねばならんが、まずは麻袋でもかけておけ。見るに堪えん」
不快な声の主は王であったらしい。喬也が顔を上げたと同時に視線を外してくる態度には嫌悪感が如実に現れている。
喬也の右肩には火傷したときの脈打つような痛みが徐々に混じりだしたが、構っていられる場合ではないと即断していた。
周囲から射殺さんばかりのあからさまな害意を浴びている現状では喬也自身も落ち着いて身の振り方を考えることなどできるわけもないのは自明だが、ことここに至っては直感しか頼りにならない。喬也の脳裏にあるのは【このままここにいたら殺される】、【死んでたまるか】、の一念のみである。
「内務卿、この始末如何するおつもりか?」
王の一言に従い召喚者達の輪から一名の女性が離れ広間を辞した直後、内務卿と似通った法衣を身に纏った筋骨隆々の男性が声を発した。この場でただ一人、喬也の挙動に狼狽えることなく場を冷静に見守っていた彼は、対外政策や軍の指揮統率を担う外務卿である。
「…まさかとは思うがこの騒ぎ、貴殿の差し金ではあるまいな?」
今回の【勇者召喚】は周辺に存在する諸外国への示威行動の側面もあるため、外務卿としても無関係ではない。
世界を越えたことにより様々な力を得たであろう勇者達。並外れた力を与えた彼らに国の名を背負わせるべく、異界から呼び寄せた存在をこの目で見定めるつもりで参加していたのだが、蓋を開ければ大惨事である。
喬也の名誉のためにも本人が好き好んで醜態を晒したわけではないと前置きはするが、前回の【勇者召喚】は先々代国王の時代であったと伝えられている。外務卿もその他官吏や王に至るまで、異世界から勇者を呼び出した経験はない。勇者の素性など知る由もなく、目で見て捉えた全てが現実であると理解するほかない。
過去にこの国で同様の事故が起こっていないとは限らないが、国の趨勢を決めると言っても過言ではない【勇者召喚】の儀式に於いてこれほどの混乱が生じるのは些か腑に落ちない。外務卿の勘は、今回の儀式に何らかのイレギュラーが発生したことを告げていた。外務卿がこれまで積み上げてきた経験則は幾度となく彼の命を窮地から掬い上げ、国の危機を救ってきた実績があるものだ。ここで大きく間違えてしまえば結果論的に一巻の終わりだが、そうも言っていられるわけがない。執政機関がひとたび混乱してしまえばその波は幾重にも国全体を覆い尽くすのは火を見るより明らかで、生活を預かる無辜の民の安寧と秩序は簡単に破壊される。
為政者の端くれとして、そして今代の政局に於ける長の一人として、断じて王とその政府が民を抱える国家としての命を軽んじることはできない。外務卿は、感じ取ったこの僅かなイレギュラーが未必の故意による想定解なのか、偶然の為せる悪戯なのか、はたまた周到に練られた謀略が招いた内乱の狼煙なのかを見極めなければならないと行動を起こしたのだった。
「し、失敬な!!不遜にも程があるぞ外務卿!!」
目の前の喬也に対する激昂が未だ収まる気配のない内務卿は、青筋を更に増やしながら応じる。
「然ればよいのである、貴殿の名誉を損なう言であったことを詫びよう」
外務卿は、人を見る目にはかなりの自負がある。
人の体は正直だ。動揺や狼狽、不安や雑念は顕著に現れ、一挙手一投足が言外の言となる。
現代の犯罪捜査にも用いられるようになったコールドリーディングに似た技能を使いこなせていることもまた、彼が着実に成果を上げ続けた礎に存在している。
その技能を以て内務卿を観察するも、不審な点は見当たらない。もちろん冷静でないことを考えれば予想外の場所に反応が現れている可能性は否定しきれないものの、凡そ人間はそこまで器用ではない。落ち着きを失えば失うほど身動きは精彩を欠き、言葉は単純になる。
会議や政争の場での腹の探り合いでは右に出る者がいない内務卿と言えど、この取り乱しようでは化かし合いは無理である。
「国軍を預かる外務卿殿が内政の要たるお方に不信を述べるとは!」
「何をお考えですか、外務卿殿!」
「謁見の間にて臣の諍いは許されませぬぞ!」
内務卿の抱える派閥の面子が、寄って集って口々に言い募る。何人もがそれぞれに喚く様子に気圧されふと視線を向けると、呼びつけられて放置されている勇者候補達は思わずウンザリした顔をしていた。
内務卿の傘下にある官僚らは内政を取りまとめる役職に就くだけはあり、彼の派閥にはどうしても小手先口先のよく回る者が多い。自らの部下達を派閥として意識することはほぼないのだが、軍部と内務官吏との軋轢はまるでそれぞれを旗頭に据えて覇権を奪い合うかのように相当なものとなっており、外務卿は頭を悩ませていたのであった。毎度毎度厄介ではあるものの、こういう場では王命の下に集められた者達を凶刃の錆にさせないための将として立ち振る舞うのが外務卿の処世術である。
「先程詫びた通りである。我は近衛ではないものの、陛下の護衛としての任も賜る身。陛下の身のご安全を確かにするための問いであったまで。重ね重ね、無礼を詫びよう」
ここで言葉選びを間違えると、下手な保身と捉えられて行政の内輪揉めが加速してしまう。そう考えた外務卿は自身の非を再び認めるとともに王を立てることで場を濁した。そしてこの広間に集まった本来の趣旨を思い出してもらうべく、召喚されてから何の説明も受けられず戸惑いに身を縮こまらせている若々しい勇者達に向き直る。
内務卿の子飼い達はそれぞれに言いたいことはあるものの、王の名を出され引き下がった。王の前、加えて荘厳たる謁見の間にて身の丈を弁えない振る舞いをすれば自らの立場を危うくしてしまうことなど、日夜卓上の戦争に勤しむ彼らには常識である。ましてや今回は国の未来をも決定し得る重要な儀式の直後。無礼極まりない男の登場によって掻き乱された場に潜ることを選ぶのが最も利口な手であると目線で頷き合った。
それでも聞こえない程度にゴニョゴニョと囁き合いを止めない彼らに、外務卿は
(死ぬかと思った…つかあの真っ赤なボール、何?)
喬也は場の意識が自分から少しずつ引き剥がされていることに安堵を感じ、肩の力を抜く。
(何か、かめ○め波みたいだった)
喬也は内心で【にしてもあっちのジイさん達うるせーなー】と思っていた。
(いい歳して若者に見せるモンじゃねーだろ、恥ずかしくねーのかテメーら)
内務卿への謂れのない疑いに対する抗議を声高に叫んだ彼らは、いずれも見た目だけで五十代六十代をとうに迎えていると分かる。
歳を重ねても最高位の立場を得られていない者が十名近くいるところを見るに、【上が詰まって出世できない】などというある意味救いのある状況ではないのだろう。などと失礼なことを考えつつ喬也は場を眺める。
尚、喬也は自分がこの場で最も失礼な態度と行動を取っていることをガン無視している。このたった数分の出来事だけでも、この国の歴史書に名を残してもおかしくないその風体で自分を蚊帳の外に置いてしまえるあたり、肝が据わっていると言えるのかもしれない。
目の前で、それでいて喬也を見ることなく、ああでもないこうでもないと処遇に関する話し合いが始まってしばらくして、謁見の間から離れていた女性が戻ってきた。王が【麻袋でも】と言ったからなのか、持ち込んできたのは本当に麻袋であった。
喬也は見るだけで判別できるほど植物に精通しているわけではないため、どちらかといえばその大きさを気にした。
(デっケ…事業所ゴミの袋より何倍もデケーな)
女性の腕を跨ぐように折り畳まれた麻袋は、その畳まれたサイズであっても精米前の米袋より一回り程度大きく見えた。
以前母の親戚から送られてきた自家製米の袋も中々に大きく、三十キロを抱えて階段を何度も行き来した時には息も絶え絶えといったものだった。
(こんな大きさ、何を入れんだよ。誘拐くらいしか使い道なくね?)
場の展開を眺めていると、外務卿が袋を受け取りこちらへ向かってくる。近づいてくるとより迫力が増し、しゃがんでいる喬也の体高は実際には外務卿の股下より短い。
外務卿は目の前で袋を広げ始めるがその目は袋には全く向いておらず、じっと喬也を見据えていた。もちろん、立っている外務卿としゃがんでいる喬也では見下ろされる形にはなってしまうのだが、その視線を受け取る喬也だけはその違いを正確に認識できた。
(何だ、この感じ?)
見下すわけではない。
蔑むわけでもない。
哀れむわけでもない。
嘲笑うわけでもない。
外務卿の目は、まるで喬也の内面を見つめ、本質を見極めようとするような深さがあった。
それでも見下ろされたのは二、三秒ほどで、袋をはためかせて広げると頭から床まですっぽりと覆われてしまった。その後すぐに頭頂部をくり抜かれると、感情の窺えない声音で「立て」と命じられる。
喬也としてはこの場で従わない選択肢はない。あんなスーパーマッチョなイケおじに逆らえば、登場時の【キ○肉バスター】を凌駕するオブジェが出来上がるとしか思えない。
「はい」
無意識に返事をして立ち上がる。
先程みっともなく悲鳴をあげたからか、上手く声が出せず上擦っていた。
外務卿が初めの位置に戻ると、王はその耳にこびりつく声で告げた。
「これより貴様を処断する」
異世界転移後、約十分。
早くも喬也は裁判にかけられた。
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