002-激昂されました
「貴様ぁぁああああああ!!」
喬也の衝撃的な登場による場の混乱を切り裂いたのは、頭に荒野を飼い慣らして久しいと容易に想像がつく老齢の男性が発した怒号だった。
物理的に重すぎるにもかかわらず光よりも早い速度で立ち上がった王、ヒマラヤ山脈すら裸足で逃げ出すほどの皺を眉間に刻んだ王妃。喬也は、声を荒らげた男性がその隣に立っており、尚且つ似たような服装の人間が複数控えていることから、恐らくはかなり位の高い大臣や宰相の類なのだろうと推測した。
異世界モノの物語でよく見られる【勇者召喚】の儀式に巻き込まれてしまったのだろうと結論づけたのはいいが、喬也自身は未だに後頭部の疼痛も収まらず、状況の整理も完璧ではない。そのため当事者意識も希薄なままであり、【苦労してんのかなぁ】などとのんびりと感想を脳裏にしたためる始末である。
「お、王の御前であるぞ!!そ、その、そのような不埒な!!不埒なぁぁあああああ!!」
彼はこの国で内政の悉くを執り仕切る内務卿という立場にあり、結果として喬也が抱いた
この謁見の間に集った一同が思ってもみなかった露出魔の登場に気が動転しており、それは内務卿自身も例外ではなかったものの、国の大事を司る身としてこの場を何としても穏便に済ませなければならない使命だけは忘れていなかった。
しかしながらそれでも、前代未聞の闖入者への憤怒と動揺は凄まじく、茹でダコも斯くやと言わんばかりといったものである。喬也の目からすれば、殆ど残っていない毛髪より多くの青筋を浮かべながら半狂乱で唾を飛ばしまくっている内務卿の姿には、まるで怒りを闘気に変えて体に纏わせていくようなオーラが幻視できた。
(やべ、ジイさんめちゃくちゃ怒ってる!!)
喬也もいくら状況が整理できていないとはいえ、一目見て感じ取れるほどに分かりやすく怒った人間が大人しくこちらの出方を待ってくれるわけではないと知っている。知っているからこそ何らかの対策を取らねばならないのは自明だが、生憎と喬也自身はこの世界に産み落とされたばかりの赤子と同じく、あまりにも無知でありあまりにも非力である。
幻視した内務卿のオーラは彼の体を這い回る。喬也に向けられた掌に集められる怒りを具現化するかの如き鮮やかな赤色は、ゆらめきながら拳大の球体を形作っていく。炎のように目に映えたオーラは、掌に集まれば集まるほど濃く暗い深紅へと変色する。
(何か来る何か来る何か来る!死ぬ死ぬ死んじまうこんなの!!)
内務卿のオーラは最早破裂寸前の様相を呈し、爆発してしまうのではないかと恐怖した喬也は、目の前の幻を直視できず頭を抱え床に頭を擦り付けるほどにしゃがみ込む。
これまで過ごしてきた二十七年間の人生に於いて、これほどまでに直接的な怒気をぶつけられたのは初めての経験である。
謝罪したところで内務卿の激情は収まらない。対抗しようにもその術を知らない。慈悲を乞おうにもこの状況では申し開きなどできるはずもない。
異世界転移という昨今流行りの王道展開に乗ったまではいいが、開始早々サヨウナラを告げられるのは勘弁願いたい。人間というものは危機に瀕した際、やはりこれまでの思い出がフラッシュバックするものなのだろう。喬也の固く閉じられた瞼の裏では、幼稚園のお遊戯会で保護者席に座る両親の姿や小学校のリレー選手に選ばれてバトンを繋いでくれたクラスメイトの必死な目、中学校で密かに思いを抱いていた憧れの女子生徒の横顔と高校生活で初めてできた懐かしい恋人の微笑みなど、まさに走馬灯が流れるかのような速度で目まぐるしくページがめくられていく。
「蛮族、蛮族よ!!」
「…穢らわしい」
「疾く処せ!!」
「王の御前で何たる不敬か!万死に値する!!」
召喚者達は奴隷や咎人を蔑むときのような冷たい視線を突き刺す。王と王妃に至っては、生まれ育った歓楽街の路上にぶちまけられた吐瀉物を見つけてしまった表情に酷似した、人ではないモノを見下す目をしている。最早喬也の行く末など気にも留めておらず、その態度は【一刻も早く処理せよ】と言外に語っていた。
今回の【勇者召喚】の本命であったであろう高校生達も、現代日本の倫理観に基づいて育ってきている以上、喬也の行動は到底直視できない。顔貌は同郷であると断言できるが、あくまで同郷の他人。彼らの目線は狂人を目にした侮蔑と、一抹の哀れみを含んだ赫怒が入り混じった舞台から奈落を見下ろすかのように酷薄だ。
(何でだよ何でだよ何でだよ!!お前らが勝手に喚んだんだろ!!)
喬也は、何にも守られず、嫌悪の権化として吊し上げられた。
(死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!)
人々の殺意は濃密にのしかかり、喬也を押し潰す。
(俺は何もしてない!!ふざけんな、ふざけんなぁぁあああ!!!!)
物理的圧力を持たないはずの言葉と感情が、喬也の心をズタズタに引き裂き、魂を急速に磨耗させていく。
「ひぃぃいいいいいいい!!!!」
砥石が刃を暴れ回るような悲鳴が、広間中に響き渡った。
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