魔王城にて
山藤 郁花
魔王城にて
俺は伝説の勇者。世界の平和を脅かす悪しき魔王を打ち倒す選ばれし者…。
黒より黒い雲が空を覆い尽くし、風が蕭々と吹く。月は雲の裏に淡い輪郭を覗かせ、東京タワーを思わせる高き塔が棲むものの力を表しているようである。
断崖絶壁の頂上にそびえる烏羽色の建物。身の丈に合わない鉄の剣を右手に、錆びかかった盾を左手に、青年の冒険者はようやく魔王城に辿り着いた。
城内は薄暗く、ドラゴンが翼を広げても間に合いそうな程広い空間に太い柱がいくつも立っていた。時折最奥の方から鳴るもの恐ろしい呻き声が反響する。冒険者は真っ直ぐ前を見て、声のする方へ駆けて行った。
長い廊下を進み、階段を200段程降り、幾重にも重なった巨大な部屋を抜けていくと1枚の扉を見つけた。それは人一人が屈んでようやく入れる程の大きさであった。
冒険者は大きな城に似つかわしくない入口に戸惑いながらも、眼前の厚い壁を1枚隔てたところに魔王がいるのを感じ、深く呼吸をしてから扉をくぐろうとした。
その瞬間、微かに重い音が響き始めた。音は凄まじい速度で近づいてくる。冒険者は少し経って気づいた。ヘリコプターである。ヘリコプターは冒険者の真上、高い天井と屋根を隔てた上空に滞空したようだった。一度外に出ようか迷っていると、ヘリコプターの騒音の中に少女の声が聞こえた。耳を澄ましてようやくわかった。魔法の詠唱だ。それはそれは長い詠唱。
冒険者は巻き込まれぬよう城の入口に疾走しながら気づいてしまった。これから放たれる魔法が最上位のものであることを。長い歳月を魔法に捧げた者の中でほんのひと握りが放つことの出来る、まさに選ばれし者の魔法。冒険者は己の今までの生き方を息を荒らげながら悔いた。
彼は街一番の剣士だった。しかし、10年以上剣術を学ぶ同輩をたった1年で倒す程急速に腕を上げた者に特段の労苦などなかった。家族からは持て囃され、街の大人達からは貴方こそが勇者なのだと崇められた。いつからか、彼は自らを天才だと信じ始めた。そして、自分が魔王を倒す姿を毎日妄想するようになった。
努力してこなかったのだ。彼は己の限界を知ることも、限界を超えようとすることも、限界を超えられない己を嘆くことも、超えられない限界に挑み続けることもなかった。無知を自覚せず、ほんの僅かな才能を盲信してきただけの人生だったのだ。
「ビッグバン!!」
少女の力強い声が聞こえた直後、青年の視界は光に包まれた。爆風に空高く打ち上げられながら、初めてみる魔法の煌めきに心奪われていた。魔王のことなど、もうどうでもよくなっていた。少女を乗せたヘリコプターは遥か彼方に去っていく。少女の歓喜の声が聞こえた気がした。
目を覚ますと、辺りは月光に照らされ、かつての魔王城は跡形もなくなっていた。夢見心地のまま、青年はヘリコプターが去っていった彼方を見上げながら涙を流した。それは己の無力さを悔やんだものではなかった。魔法の美しさに感動したからでもなかった。ただ一つ、今まで感じたことのない強く、歪んだ思いからであった。
淀んだ感情は、時の流れに呑まれることはなかった。まして鉄の剣が小さく感じる程、錆びかけの盾がその形を忘れる程の短い年月が青年の思いを薄めることなど。
黒より黒い雲が空を覆い尽くし、風が蕭々と吹く。月は雲の裏に淡い輪郭を覗かせ、東京タワーを思わせる赤き塔が棲むものの嫉妬心を表しているようである。
◆ ◇ ◆
真っ白な雲が空にたゆたい、暖かな風が頬を撫でる。太陽は燦々と輝きを放ち、東京タワーの赤が眩しい。
ノートルダム大聖堂をモチーフにした一際大きな建物。身の丈に合わない杖を両手に、魔法使いの少女はビルの屋上でヘリコプターに乗り込もうとしていた。
目指す城は日本の排他的経済水域より少し外、太平洋の孤島にある。少女は初めて乗るヘリコプターの中で硬直してしまっていた。耳にタコができる程聞かされてきた魔王の恐ろしさ故ではない。自分を期待する人間が、とてつもなく恐ろしく見えたのだ。
彼女は世界一の魔法使いだった。1年前、日本政府から魔王討伐の務めを一任され、今日までずっと眠れぬ日々を送ってきたのだ。
魔法が世界のどんな兵器をも凌駕するようになってからというもの、魔導の才能を持った者は数多の人々に憧憬の眼差しを向けられるようになった。彼女ならやってくれる、彼女こそ選ばれし者。期待の眼差しは鋭い剣となり、彼女のまだ幼い心を少しずつ少しずつ傷付けていった。
荷が重すぎたのだ。彼女は己の限界を知り、限界を超えられない己を嘆き、それでも超えられない限界に挑み続けた。無力を自覚し、積み重ねた努力だけを信頼してきた。そんな人生だった。
とうとう魔王城が見えてきた。少女は無駄に高い塔にどこか見覚えを感じながら、言うことを聞かない息づきをひたすら抑え込もうとした。ヘリコプターが魔王の真上、屋根を隔てた上空に滞空する。いよいよだ。いよいよ解放される時が来た。少女は唱え慣れた長い長い言葉を一心吐き続けた。そして、力強く言い放った。
「ビッグバン!!」
来た道を戻るヘリコプターの中、ふと気がつくと魔王城は真っ黒い煙を上げていた。成功。ただ一言、脳裏に浮かぶ。しかし、歓喜の声を上げる余裕などなかった。少女は電源を切られたロボットのように脱力し、海に真っ逆さまに落ちてしまった。
目を開けると、身体を包む冷たい水が月光に照らされ、ゆらゆらと揺れていた。薄れていく意識の中、少女はかつての魔王城を見ながら涙を流した。温かな、1粒の涙だった。
紺碧の海がどこまでも広がり、冷えた風が水面を揺らす。星々は堂々と輝きを放ち、少女の笑顔が眩しい。波に身を委ねながら少女はふと、こんなことを思った。
私は伝説の魔法使い。世界の平和を脅かす悪しき魔王を打ち倒した選ばれし者…。
魔王城にて 山藤 郁花 @yamafuji_ikuka
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