第31話 秘密の再婚

「高塔さんと旅をして信用できると思ったから、特別にママの話しをしているんだよ」

「光栄ですよ。無理のない範囲でお願いしますね」


 彼の話も佳境に入ったようだ。

 ここから先は彼にとっても深い『秘密』になるのだろう。

 心して聞くように。

 そう捉えられた。


「けどさ、僕も気が付かなかったけど……。お金が足りなくなったらしいんだ。医療ミスに対して、家財は空っぽになったとか、子どもだったからママの力になれなかったよ」

「仕方がないですよ。子どもの手の届く範囲は、背伸びをしても大人には及びません」


 密流くんは、ヘッドバンキングみたいに、激しく首肯してくる。

 仕方がなかったと、繰り返し呟いているのも聞こえた。


「悔やんでも仕方がないけれども、ママが日曜日に紹介したい方がいると僕と引き合わせたのが、澄青の義父だった。ママの薬指には不似合いなダイヤモンドがふんぞり返っていてさ、正直がっかりしたよ」


 全てを語ってしまえば、見えない闇まで語ってしまえば、それは傷に塩を塗るようなものだ。

 この展開だと、密流くんの愛するママは、夜のお店で働き始めたと思われた。

 健全な方で、アルコールが出る程度、もう少し勘ぐると、体に触れられることもあったかも知れない。

 痛い程に彼の『秘密』が刺さった。


「密流くんなら、ママへどんな指輪を贈りたいですか」

「真珠かな。小さくても純真な感じがママのイメージだよ」

「旅行のお土産にしたいですね」

「だからって、ゴールドパスでのお買い物は嫌だよ」


 密流くんが口を大きく鯉みたいにした。

 ああ、欠伸か。


「ママを家から助け出したいにゃ。家を出られたから、残り一枚のゴールドパスを得て、新しい苗字でママにも安心してほしい」

「二人で同じ苗字になりたいのですか」

「うりゅ。少なくとも僕は変わりたいよ。透明な密流のままだと、存在理由を見出せないからね」


 密流くんは、拘りの強いタイプだから、目的を持ったら、成し遂げたいに違いない。


「がんばりましたね。よく、深く眠らせていた『秘密』を語ってくれました」

「にゅ……。だって、高塔さんだものね。隠し通してもいつかは分かる。真っ直ぐな眼鏡の奥にある黒い瞳に、僕の本当の姿が映っているんだ」


 ――月に夜はない。

 月が地球を一周する間に、月自体も一回転しているため、光のある部分と半球の陰の部分はいつも決まっていた。

 太陽の光を真上から受けている正午、表面温度が一一〇度になるし、真裏はマイナス一七〇度と差が激しく、月の一日は地球の一か月分だ。

 オレは一度眼鏡を外す。


「これが月というものなのですね。感慨深いです。目に焼き付けます」

「伊達眼鏡だったの?」

「いやあ、近視と乱視が入っていて、もっと早く眼鏡にすればよかったのですが、高校三年になってから作ったのですよ」


 密流くんに眼鏡を貸すと、不味いものを食べたような顔をされた。

 彼の百面相には、和んでしまう。


「眩しいと思いますが、休みますか」

「うりゅ。眠れるかな」

 

 頭を撫でて、頬をすりっと擦った。

 きゅんと彼が照れる。

 感情が豊かで、本当に愛らしい。

 ん?

 愛犬の佐祐くんもこんな感じだ。


「子守唄が要るでしょうか」

「高塔さん、ぶっ飛ぶよね。僕は、環境が変わり過ぎて難しいんだよ」


 既に地球から離れているし。

 環境なんて、枕が変わった程度では済まない。


「この辺りは美味しい空気がありますよね。身体も凍らないから、チューブでもあるのかも知れません。空気はホーム付近は確保されていますが、ここを離れたらあるか否かに確信が持てなくなりました」

「今更……。どんくさい高塔さん、大好きだけど」


 幾つか図鑑で読んだことを思い出していた。

 宇宙服がフネに入っていたら最高だったのだが。


「だから、住まいを作る素材収集の前に、オレが安全な行動ができるか試さないとなりませんね」

「一人で行こうとしないで。運命共同体だよね!」


 も……。

 もう、気持ちが揺らぐ。

 下から見上げる仔犬の瞳うるるんにやられて、オレはどこまで彼を中学生のままでいさせられるか自信を失いかけていた。

 我慢、我慢、我慢。

 取り敢えず、次の策を提案しよう。


「すみません。だから、体力を温存し、火星へ向けて出発するのも今かと思いました」


 火星の話は、以前、車内販売員の焔灼に、赤い飲み物を飲まされたとき、夢の中で、密流くんに話した。


「――無重力化できる宇宙へ、飛んで行きたいですね。密流くんとオレが、アダムとイヴとなり、火星に自給自足の基地を作って過ごしましょう。二人で、宇宙船からせーのって飛び出しても大丈夫ですよ。火星には、きっと美味しい空気があります」


 いよいよ、火星か。

 オレは環境が変わっても構わないタイプのようだった。

 寧ろ、わくわくして眠れない。

 遠足の前日かって突っ込みを入れたくなる。


「火星で基地を作って、そこで、地球の駅前でブルーマウンテンを飲んで以来の本当の食事をするのです。はじめは草でもいい。品種改良をして、高速で進化させ、オレ達が名付ける新しい野菜を作りたい」

「お肉とかのタンパク質は?」


 家畜はいないとの前提で考えなければいけない。


「地球ですと、大豆が良質な植物性タンパク質となりますが、そのようなものも栽培したいですね」

「うりゅー」


 オレだけ夢一杯かも知れない。

 密流くんは飽きないかな。


「ここは、イグザスが動いています。今は、午後十時ですから、八時間後の午前六時に起きて、銀の船を漕ぎましょう」

「ふあーあ。なんか、どっと疲れが出た」

「……眠ってくださいね」


 毛布をきゅっと掛け直す。

 二人でいて、寒さもなかった。

 それは、心が満たされているからだと思う。


「薔薇の花道にある銀の船、頼りにしていますね」


 このとき、月から火星までの距離が三八万キロメートルあり、数日かかるものだとかの科学的な観点はなかった。

 魔法の世界の不思議な薔薇の花道で、オレ達は、月までスイッチバックでらっく楽だった気がするから。


「火星は直ぐです……」


 口にした言葉に気が付かない内に、オレはすっかり眠っていた。


          【第5章 了】

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