第29話 プロポーズごめん
「オレ達にあるのは、船とオールだけです。寒さを凌ぐ毛布の類はありませんね」
「薔薇なら売る程あるけどね。他には、ホームにフネがあったね。無人駅みたいだけどさ」
密流くんが、オレの懐にこてんと落ち着いた。
肩を抱いて、少しでも寒くないように気を配る。
「幾分かあたたかいですか」
「気持ちは、ほかほかにゃん。でも、薄着で寒いにゃあ」
冗句を言っている内は大丈夫だろう。
本来なら、生身の身体は凍ってしまう土地なのだから。
宇宙服もないのに、不思議と直ぐに呼吸もできたし。
「呼吸ができるのは、どうしてでしょうか」
「あれ――? 高塔さんが、きっと美味しい空気があるって話してたよ」
「あはは。実は植物とか持ち込もうと思っていました」
密流くんがオレにほっこりと抱き付いてきた。
ああ、あたたかいとは、心があたたまるものか。
外の空気が凍てつこうとも胸の中で愛に変えてしまえば、それは春の陽射しを浴びて芽吹いた花のようだ。
し、詩人かって。
「それは信じていましたが、常識では、月や火星に空気はないことになっています」
「魔法の世界に、常識はないでしょう」
非常識だらけのこの世界だ。
次から次へと好き勝手な世界観が広がって行く。
オレはその都度、密流くんと一緒にいてよかったと思う。
中でも、夢を語っていたときのあの桃、あれには驚いた。
「また、桃が降ってくるのでしょうか」
「ふむ。ピーチ」
――あのときみたいに。
桃も桃も桃も……。
桃源郷で、桃が鳴いて実を落としてきて、エマージェンシーを感じた。
先が全く分からない桃の世界だ。
「桃の降誕で、月や火星の夢から覚めてしまったのです」
カタカタと全身で寒さを表し出した密流くんに、毛布か家を用意しなければと真剣に考え出していた。
「この現実が夢だって? 実際に寒さでぶるぶるぽんだよ」
密流くんは、オレから離れて、立ち上がった。
歩き出して、月駅から方々を観察している。
「ぶるぶるぽんとは、密流くんのオノマトペが、決壊してます」
「もう! いつもの通りだよ。それより、住処を作らないと、やっていけないよ」
その通りだ。
オレも立ち上がった。
月は、想像していたよりも眩しい。
「陸は、起伏が激しく、海は、滑らかで平坦です……。図鑑の月は、所詮、平たい絵ですね。月面とは迫力が違います」
拳を作り、額に汗を掻きながら、目の当たりにした月の表情を零さずに拾った。
陸と海が繰り返される土地に、澄んだ空気。
雄大な月の前で、静謐な月の前で、オレは、なす術もなかった。
「これが、オレが憧れていた世界です。密流くん、一緒にきてくれて、ありがとうございます」
「やーん。僕の地下鉄時計城線での家出に付き合ってくれたんだよ。高塔さん」
後ろから、あたたかい腕が腰の所で回された。
細く華奢で、嫁にしてと言われたらことわれない魅惑がある。
「湯上りの赤ちゃんみたいな香りに、きゅんとします」
「うりゅ」
「柔らかくて、守りたくなる。媚薬ですよ。――結婚したいぐらい好きなんです!」
は!
どさくさに紛れて、プロポーズですか!
「オレ、ご、ごめ……」
密流くんが急に離れて俯てしまった。
「あの、オレ。き、聞かなかったことにしてください」
「聞く耳は、沢山あるよ。け、結婚し……」
どうしたのか。
時がとまってしまった彼は、立ち尽くしていた。
「密流くんも将来好きな方ができますよね。だから、さっきの台詞は忘れてください」
密流くんの綺麗な髪がふるっと震え出す。
彼は、石の礫を拾って、月面に投げた。
思いの外脆く、割れて散らばった。
「バーカ!」
「は?」
「バーカ! 高塔さんなんて、大嫌い……」
オレは、誤解だと付け加えようと必死だ。
この際、バカを使われても仕方がないし。
「密流く……」
「――やめて!」
手を伸ばすと払いのけられた。
俯いた彼の頬から、月にはないとされる水が、水たまりができそうな程、迸る。
「オレは、ひとの気持ちが分からないようで、申し訳なく思っています」
「違うよ。僕を愛してくれたよね? 『結婚したいぐらい好きなんです』が、どれ程、僕を突き動かしたか。どれ程、僕が安らぎを得たか。分かるよね……。それも分からないの?」
不用意なオレの言葉が、そこまで刺さっていたとは。
誠心誠意対応しなければ。
「いや、だから。中学生の未来ある密流くんには、重い言葉だったかと思いまして」
「運命をいつ決めるかは勝手でしょう。僕は、パートナーを今直ぐ決めたい。相手は? 僕のパートナーは、誰?」
「ゆっくり決めてください」
「あああああ! 苛つくな」
うさぎの足ダンをしていた。
地団太を踏むだ。
秋田弁でごんぼほりとも言う。
「落ち着いてください」
肩に手をかけた。
「名乗ってよお……。ぐすっ。僕の気持ちが虚しくて、ドーナッツみたいだ」
ここで、腹を括らなければ、いけないと思った。
生命維持もその一つ。
「ちょっと、用事をしてきます。ここで待っていてくださいね」
「話の途中で逃げるの?」
オレは改札口にあるフネの中を覗いた。
使えそうな物を発見する。
喜々として、拾い集め、密流くんの所へ六分の一の軽いスキップで行く。
「後ろから、サプライズですよ」
密流くんが、振り向いた。
思っていたよりも泣き腫らした目が、オレを迎える。
悪かったとオレも素直に思った。
そして、毛布をそっと彼にかける。
「プロポーズがどうのこうのは拘らなくてもいいと思いますよ。仲良く暮らして、思い遣って、パートナーのことを幾重にも愛して月日が過ぎたら、毎日が記念日になるでしょうね」
「毎日?」
記念日は、写真よりは絵画に近いと思う。
くっきりした輪郭を持つものではなく、自分のイメージを大切に描いたものだろう。
「密流くんは、中学生だから、プロポーズされたり、そうした関係になることは初めてでしょう。オレに落ち度がありました。慎重に言葉を選ぶべきでしたね」
蓑虫密流くんの頬が赤くなって可愛い。
少しあたたまったのか。
オレは、頬をすりっと撫でた。
「今日は、素敵な夜空を眺めながら、幾つか拾い集めた物で、住処を整えましょう」
「ごめ、バカって言ってごめん。本当は、一ミリもそんなこと思っていないんだ」
また、泣くし。
こんなに泣き虫だったか。
「気にしないで。そんなことで喧嘩にはなりませんから」
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