第25話 イグザスと新ゴールドパス

「くくく。そは、金色こんじきつえぞ。焔灼! 杖を取れ!」


 元気がなく口を塞がれていた下僕の巫女、焔灼は、這いつくばっていた。

 命令を受けても転げるだけだ。


「……ン、ンン」

「猫め……。使い物にならぬか」


 杖はふらふらとして、自転していた。


「つ、月読よ!」


 満月が、天守閣上空から降り、渚のなかった方の半分、大きな身をはみ出して、煌煌としている。

 オレ達は、ただ呆気に取られ、やや上を眺めていた。


「……密流、秘。生きることは、拘りぞ」


 時の方のホログラムは、月読が映し出していたものだ。

 その虹色のシルエットが揺らめいた。

 まるで、立ち上がったかのように。


「グオオ……。杖よ、我の手に」


 しかし、一瞬だったのか。


「高塔さん、虹色のシルエットが潰れた!」

「あ、ああ。オレ、杖を奪います」


 杖は、流れて行く時の方の方へ、パタンと倒れた。

 オレが、杖へと手を伸ばすと、密流くんと繋がっていた鎖と引っ張り合ってしまった。

 パシン。

 密流くんが、オレの横腹に頭突きをし、仰向けになる。

 ゴツ。


「大丈夫だから。慌てないで、高塔さん。きっと、上手く行くよ」

「はい」

「妾を遠くへ……。孤独にするでない……!」


 オレはアタックを次こそ成功させたい。

 鎖もろとも密流くんを小脇に抱えた。

 これなら引っ張り合わないだろう。

 杖の下の方を掴めそうになったときだった。


「もう少し」

「ふはははは――! 妾が、妾の足を得たり!」


 時の方が、杖の柄を持つようなシルエットに変形して行った。

 奪われてしまった。


「うにゅう! シルエットが杖なんか要らないでしょう?」

「くくく……。密流、秘。妾との出会いを忘れたとは申すまい? この天守閣へきて、渚も思い出しただろうぞ」


 渚、オレが柴犬の佐祐くんを散歩中に会ったのは、姫ちゃんを連れたお姉さんだ。

 十九歳から遡ること六年前が、オレの中学一年生だ。

 あのときのあの人が時の方だとしよう。

 人は六年間で、愛犬を連れて渚を散歩していた姿から、杖を欲するまでになるだろうか。


「金色の杖よ、密流と秘を滝壺へ落とし給え――!」

「杖が歩いてくるし。そもそも滝がないよ」


 密流くんは、呑気に信じていない。

 ここは、魔法世界だと語ったのは、自分だろう。


「密流くん、お姉さんがお婆さんにはならないよね。たったの六年間で」


 確かに、時の方の命を受けて、杖がくる。

 密流くんとオレの所を目指したいのだろう。


「おばちゃん、老いた?」

「は! 密流くん」


 咄嗟のことで、密流くん回路に追い付いて行けなかった。


「ぬぬ……。密流め!」


 杖が、歩くのをやめ、飛んできた。

 密流くんが危ないと思って、オレが前に立つ。

 首輪同士を繋いでいた鎖に、金色の杖の柄が引っ掛かり、くるっと回る。

 すると、オレ達を繋いでいた鎖が切れ、首輪も外れた。


「腹の立つことよ! 月読、妾の手へ」


 ふらふらと起き上がる金色の杖が、主を求めていた。

 杖が戻る途中に、下僕の巫女、焔灼が倒れている。

 時の方は構わないようだった。


「うにゅう。杖が轢いて行ったよ」

「ゴツンとかいい音しましたね」


 殴られた下僕の巫女、焔灼の様子がおかしい。

 焔と灼、二匹になった。

 推測が正しければ、『ホムラ』と『シャク』に。


「ミイー」

「ミイーミャ」


 茶と白が混ざった兄弟猫と思われる二匹だった。


「これが、お姉さんの彼氏が飼っていた猫なのですね。そもそも、猫が地下鉄って迷子ですよね」

「その猫は、妾のものぞ。譲り受けたのだ。遥昔、妾にも愛があった頃の眩しい季節に――」


 ホログラムのシルエットが、力を失って行く。

 徐々に虹色の下に姿が見えてきた。

 衣一つを纏った年配の女性が、猫を撫でている。

 顔は、曖昧だ。


「猫の正体が分かったとなると、時の方は、あの渚で姫ちゃんと散歩をされていたお姉さんですか」

「……」

「うにゅう。素直じゃないな」


 オレの腕から異様な熱を感じた。

 青い腕時計のイグザスが、高速回転を始めた。


「妾の前では、時が動かぬはず」

「これは、針が分からないだけですよ」

「違うよ、高塔さん。外の景色をよく見て」


 天守閣の外が、突如おかしい。

 礫も一緒にガサガサと巻き戻したビデオテープのように走っている。

 時々、頬や腕に礫が当たって痛いから、夢ではないらしい。


「ここをどこと思っておる? 秘」

「地下鉄時計城線から入った時計城天守閣です」

「その優等生回答はいらぬ」

「それ以外ないですよ」


 密流くんに腕をつつかれた。


「高塔さん、信じると見えるものがあるよ。僕には、もう景色が新しいんだ」

「新しいのですか?」


 ――オレは目を凝らした。

 ここは、ログハウスに近い渚だ。

 佐祐くんはいるかな。


「佐祐くーん」

「わう! わふわふ」

「ははは。きたか。お利口さんですね」


 少し、佐祐くんが小さい気がする。

 じゃれていて思ったけれども、オレの余す身体も丁度良い。


「朝も気持ちいいね、佐祐くん」

「わふ」


 しばらく海を眺めていた。

 最近、こんなことをした気がする。

 隣に誰かいたような。


「わふわふわふ」

「また、駆けっこするのか」


 一所懸命遊んだ。

 遊び倒したのは久し振りだった。


「ガウガウ」

「あら、おはようございます。高塔くん」


 誰だろう、ビキニで散歩するのおかしいよ。


「私よ。神原来世」

「はい、おはようございます」


 よかった、名乗ってくれて。


「私はね、あなたにこれをあげるために、ずっと待っていたのよ」

「彼氏の所へ遊びにきたひとですね。どうして、ボクに会いたかったのですか」


 彼女が、屈んでくれた。

 周りで、佐祐くんと姫ちゃんが、わふわふガウガウと楽しそうだ。

 彼女が、ボクの首に通してくれたものがあった。


「チェーンも十八金でできているから、お金がなくなったら売りなさいね」

「カッコいいですね。でも、大切なものをいただく訳にはいきませんよ」


 首に下がったものをまじまじと見る。


「私はね、未来の使者なの。ここへ辿り着いた勇気ある者、誰かを愛せる者だけが、これを首にかけられるのよ。遠慮しないで」

「お姉さんは――?」


 ガシッ。

 ガシッ。

 ガシッ。

 ガシッ。

 ガシッ。

 ガッシ――。

 六年を刻むイグザスの音が鳴り響いた。


「時の方の力をオレのイグザスが勝ったのかも知れません」

「うにゅ?」

「ほら、時計が動いていますよ。正常に」


 イグザスに力はない。

 オレの中にある生き方という指針。

 これからを刻むものが時計という比喩的なものとなったのだろう。


「その首にかかるものは、もしかして、僕と同じものなの?」

「オレの手に、ゴールドパスがあります。これが、新しいゴールドパスですよ」


 密流くんが揃えたがっていたゴールドパス。

 灯台もと暗しだった。


「うりゅ。僕には、高塔さんが、渚で遊んでいるのが見えたよ。近寄ろうとしたら、個人結界というものが張られていて、行けなかったんだ」


 これからも彼を守りたい。


「密流くん。可愛いですね」


 オレの胸に彼を抱き締めた。

 ニヤニヤがとまらない。


「密流くんを大切に思えるから……。だから、ゴールドパスがあるのです」

「うにゃんにゃん」


 ああ、心が晴れている。

 白い風がすり抜けて行く。

 青い傘で出会い、青い腕時計が刻んだ時、全てがここへ運ぶためにあったのか。

 青春は、本当の意味で青い果実かも知れない。


「分かりました……。ゴールドパスは、オレが、オレ自身が過去に戻って、中学生の自分から受け取ったものだったのですね」


          【第4章 了】 

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