第4章 時を統べる者

第20話 時の方よ君の名は

 満月に包まれて、オレは、際限なく墜落して行った。

 地下鉄の線路にもホームにも落ちない。

 呼吸が苦しくなり、首や胸を掻いていた。

 しかし、その手をキセロゲル状の月が触手のようにぐるぐると巻いて、月の中で引き離した。


「う、く……」


 呼吸困難で、終わるのか。

 齢を重ねて成人したばかりのオレは、こんな地下鉄で、短かい人生に終止符を打つ。

 誰もオレを捜してくれないだろう。

 うちの柴犬、佐祐くんは、是非その嗅覚で捜してくれ。

 佐祐くんは、オレが一番世話をしたから、リーダーと慕って実に忠実だ。

 稲ちゃんなんて、怖がって近付かないけど、佐祐くんは遊びたがっていたのに。


「妾なら、犬なぞ縛り上げて焼いて召し上がってみせようぞ」

「ぐ……」


 いけない、走馬灯のご登場だった。

 時の方が割り込んできたので、彼方にあったオレも意識の中で尻を叩いた。

 犬を食べるだと。

 脅し文句だろうか。

 食習慣の異なる地域ではみられることだが、少なくとも佐祐は触らせない。


「……つ」


 全て話している気分だったが、呼吸困難で文句も出なかった。

 しかし、時の方が、どうしてオレの頭の中まで分かったのか。

 特殊な能力があるのだろう。

 さっきまで、密流くんを逃がすことで一杯だった。

 いざ、自分が危うくなると、オレで手一杯になるとは。

 情けないオレに、このまま溺れてしまえとさえ思った。


『ヒミツは……』


 あの台詞だ。

 時の方の高い声ではない。

 耳を澄ませ。


『……時の畔で乾杯』


 満月自身の自我か。

 このキセロゲルの物体に、頭脳があると考えていいのだろうか。


「はうあ、はあ、はあはあ。く、はあはあ……」


 前触れもなく、キセロゲル状の触手が外れた。

 だが、満月にいるのは、変わらない。


「焔灼よ」


 時の方は、手を二つ鳴らして、下僕の巫女を呼び寄せた。

 各々、オレの左右に立ち、満月の中を覗いている。

 オレの左に時の方、右に下僕の巫女、焔灼だ。


「妾の元へ、出で給いし。密流よ――!」


 俄かには理解できなかった。

 地下鉄の後方から、グデングデン、グデングデンと、具合の悪そうな音を立てて、光が迫ってくる。

 停車するのも古めかしく、ギイイと叫んでいた。

 しかも、ホームらしきものはない線路の途中でだ。

 次の駅、『時針駅』へは辿り着いていないのだろう。

 トンネルは依然として満月がなければ暗かった。

 そこへ、凄く輝かしいものがきた。


「いうううん……」


 オレは、力を振り絞って、『みつるくん』と呼んだつもりだが、人魚姫の哀しさも分かる十九歳男子大学生だった。


「逢い給いし――!」


 細胞分裂のを逆巻きにした状態、どんどん二つの月が融合して行く。

 大学生を放り込んだ月と中学生を放り込んだ月が、核に異物を入れつつ一つのセルになった。

 この頃、初めて呼吸困難が落ち着き、声も出せそうになる。


「焔灼、妾を乗せ給え」

「ははっ」


 時の方はスッスッと衣擦れの音をさせて、下僕の巫女、焔灼の背後に立つ。


「時の方様の後から、月読つくよみ様が連れてくるヨ。あんた達、逃げるからネ」


 トンネルの横にあった、トンネルを構造する壁が消えた。

 ぽっかりと丸く穴が空き、そこへ二つの繋がった月が入って行く。

 振り返ると、入り口は塞がれていた。


「ふー」


 声が出る。


「密流くん、大丈夫ですか」

「……骨がくねくねするよ」

「どうしたことでしょうか」


 目的地に着いたらしい。

 ガクッと乱暴にとまった。

 密流くんの背中を触ってみたら、向日葵の羽がなかった。

 やはり、二人でイカロスをやってしまったらしい。


「パンパン」


 時の方が手で合図を送った。


「はーい。あんた達落ちなさいネ」


 下僕の巫女の命令で、月読と呼ばれた月が、滴り落ちて行く。

 卵がとろけるようだ。

 核にいたオレ達二人、折角の再会をもう離れられない。

 墜落しながら密流くんと抱き合う。

 オレは満月からやっと解放された。

 そして、彼を胸に抱き締めている。


「密流くん、怪我しなかったですか。病気しませんでしたか」

「この短い時間に?」

「また、体感時間がズレているのでしょうか。オレは一時間程に感じられましたが」

「僕は、さっき満月に追い付かれちゃった。うにゅう」

「あたたかい密流くん、あたたかいままでいてほしいです」


 落ちた周囲を眺めている。

 てっきり、漫画チックな秘密基地を考えていた。


「ここが天守閣ですか」


 本格的な城郭だった。

 ここを拠点とし、周囲に幾重にも難攻不落の囲いがある。


「後ろにこないで! 下僕の巫女」


 密流くんの拒否感この上ない。


「焔キック!」

「灼キック!」


 二発のキックで、密流くんとオレは、海が臨める手摺のある所に座らせられた。

 椅子などはなく、板にべたっと。


「アタシの主様、時計城城主、時の方様よりご説明があるヨ」

「焔灼。妾は、赤き酒を所望す」

「すぐさま、お注ぎいたしますネ」


 城主、時の方はベネチアングラスを揺らす。


「旨いと泣いて喜ぶ姿を映すか」

「やめて! 可哀想だよ」


 密流くんが間髪を入れずに遮った。


「高塔さんは、少しだけ、遠慮がちなんだよ。ことわったら、相手が傷付かないかとか、きっと考えている。だから、僕が望んだことを嫌な顔しないで引き受けてしまうんだ」

「林檎は旨かったようネ。アタシ、記録映像持っているヨ」


 膨れ上がった栗鼠密流が粘ってくれた。


「そのデータには、一千万円払ってもいいよ。一回払いで」

「密流くん、ちょっとそれは……。一回払いは無理でしょう。小切手とかの話はないのですか」

「キャッシュレス決済の時代なんだよ」


 結局、虹のホログラムでしかない、時の方なんかに負けている。


「では、時の方の本当の名前を教えてくれない? 一千万円、払えないから」

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