第19話 イカロスを射ろ

「この世に四つあるゴールドパスは、密流くん、時の方、神原来世、その他に、一人が所有しているのですね」

「うりゅ。あと一人が、ノーヒントなんだよ」


 ヒントもないのか。

 厳しいな。

 冷や汗でズレた黒縁眼鏡を直した。


「四人目をここへ呼べたとしましょう。例えば、危険な目に遭いそうな時の方とでも、四人集まって、ゴールドパスの角を合わせたいのですか」


 暑いのか寒いのか、よく汗が出る。

 再び、ズレた眼鏡の汗を千鳥格子のハンカチで拭った。

 裸眼になっている訳だが、青い物体が視野に飛び込む。

 錯覚だろうか。


「本当に存在しましたよ。密流くん」


 ホームの薄暗がりに、黒い靄が一つ漂っていた。

 さっきまで分からなかったのは、靄が電車の中にいたからだ。

 後方のドアから、ゆらっと出入りしていた。

 少ししか満月の光が届かない所では、黒も滲むので、境目も分からない。


「あ! 時計城線だ。電車だよ」

「オレにも分かるのですが、前面行先表示器は、『**城行』となっています。帰る方向の駅名に変わっていないですよ」


 このまま、時計城へ時計城へと吸い込まれても密流くんの苗字は転がっているのだろうか。

 意味がないのなら、地上の安全な所へ戻りたい。

 ノーヒントだとしたら、ここには、密流くんのと時の方のと二枚、内角が一八〇度分があるだけだ。

 半分は揃っているが、リスクの高い外角の分はない。

 地下鉄から逃れる方法をオレは考えていた。


「電車が発車します。ホームにいる方は、全てお乗りください。同じホームへは戻りません」

「また、そのアナウンスですか。無茶苦茶です」


 青い側引戸が、急に自動で開いた。

 向日葵の羽で羽ばたくと、前方の扉から滑り込む。

 挟まらない上、飛ぶことが心を軽くしていた。

 また、脱線するのも危ないので、前回乗ったシートの一つ後ろに二人で腰掛ける。


「密流くんを先に座らせたでしょう」

「はいにゃ」


 密流丸、惚けました。


「そこ。猫ちゃんは、膝の上ですか」

「にゃははは」


 密流くんから、湯上りの赤ちゃんの香りがするので、ドキドキした。

 だから、本当は恥ずかしい。

 時計城にいたときみたいに、抱き締めたり、唇を求めたり、オレの想いを伝えたかった。

 しかし、中学生に恋情を抱いていても報われない気もする。

 アダムとアダムの行方も分からない。

 こうなるのだったら、幅広く、BL小説も捲ってみるべきだった。

 いけない、煩悩バイバイ。


「駅の名前は、ホームに書いてないのでしょうか」

「僕の所にはデータがあるけど」


 また、ゴールドパスで優位に冒険していたのか。

 オレもちょっと欲しくなる。


「オレは、駅が分からなくて大変でしたよ。教えてくれたら、よかったのに。取り敢えず、どんぐりぐりぐりの刑ですよ。ソフトタッチメンソールコースⅡで、反省してください」

「キャハ。反省猿は、高塔さんの持ち芸だよね」


 ああ、六角ボルトは、思い出したくなかった。

 ぐりぐり、どんぐりぐりぐり。


「うりゅ。はは。たはは」


 痛い笑いって、相も変わらずおかしな美少年だ。


「ああ、痛かった。加減してよ」

「今度はⅠにしましょう。もっと痛くなりますが、気絶するだけです」


 オレって、サディスティックだったのか。

 密流くんが全く逃げないから、籠の鳥を軒先に吊るしているようなものだ。


「Ⅱでも十分痛かったけど、今度はⅠにチャレンジだ」


 密流くんのお楽しみは、どんぐりぐりぐりの刑、レベルアップか。

 

「話の逸れ具合は、台風並みですよ。キンコンカンコーン。密流先生、駅名を教えてください」

「うりゅ。最初の駅は、『まほろば駅』だよ。赤い飲み物を無理強いされて、脱線して次にとまり、僕と高塔さんが再会したのが、『秒針びょうしん駅』なんだ。ホームの女給に酷い目に遭わされたけどね。今現在いるのは、『分針ふんしん駅』のようだよ」


 アナログ時計の針が、駅名になっているのか。


「次は、『時針じしん駅』の可能性がありますね」

「ぐらぐら?」

「それは、地震ですよ」


 ゴトゴト。

 あ、嫌な音だ。

 ゴトゴト。

 さっさと近付いてくる。


「ようこそ、地下鉄時計城線へお越しヨ。人生という旅の小さな一歩は、ここから始まるヨ」

「うにゅう! 下僕の巫女、焔灼!」

「いつから、いたのですか」


 ゴトゴトと、カートから飲み物のカップを用意している。

 あれは避けなければ。

 振り出しの地下牢だ。


「アタシは、車内販売員ネ」

「耳を隠してもバレているんだから」


 オレも咳払いをし、目配せもした。

 焔灼は、赤い飲み物をカップに注いでいる。


「よくアイマスクだけ着けて、変身した気になっている正義の味方か、子どものごっこ遊びかのレベルですよ」

「変身してないネ。アタシは、車内販売員ヨ」


 焔灼の背後で、虹色のシルエットが揺らめいた。

 もしや。


「妾を忘れてはおらぬか」

「時の方!」


 オレは、密流くんを庇って通路側に立ち、両腕を張って守ろうとした。


「逃げましょう!」

「高塔さん?」


 側引戸からは無理だろう。

 密流くんがいる方の窓を引き上げた。


「開きました。出てください」

「僕?」


 細かいことはどうでもいい。

 密流くんを押し出した。


「ひゃあ――」


 オレも直ぐ追う。


「随分と流されてしまいましたが、密流くんも電車の後方でしょう」


 脆い向日葵の羽を上下に煽ってみた。


「飛べます。聞こえますか? トンネルにいる密流くん。飛んでください」


 体感時間で五分程か、時の方が、オレの真後ろに立っていた。

 ヒッと喉元まできた声を唾で流し込んだ。

 驚くと悲鳴も忘れるものだ。


「フフ……。その程度で、逃れられるか。満月よ、妾の指先に――!」


 天高く指差した方に、改札にあったはずの満月が吸い寄せられた。


「満月よ、去り行く餌を妾に捧げ給いし――!」


 グカッカッ――。

 強い灯りが、後ろからオレの全身を舐めるように包んだ。

 オレは、呼吸が苦しくなり、首や胸を掻く。

 飛んでいたことも忘れ、墜落した。

 向日葵は、オレの背から剥がれて、六枚とも散り行く。


『――密流くんは、逃げて』


 唇は声を届けられなかったが、想いは遠く投げていた。


          【第3章 了】 

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