第13話 酸っぱい林檎

 オレには、好き嫌いがないと話したときだ。

 彼の様子を思い出していた。


「僕は、林檎が嫌いなんだ」


 意地でも食べない感じがあった。


「林檎食べなくても死なないもん」


 ぶうっと膨れて栗鼠になる。

 栗鼠は丸ごと林檎は無理かも知れない。

 ――密流栗鼠の表情からも絶対に近寄りもしないはずだ。


「オレは、好き嫌いがありませんから、拘りは理解できていません。でも、密流くんが、林檎を食べないのは確かです」


 額から汗が滴る。

 ここは涼しいのに、体調を崩したか。

 そうだとしたら、華奢な密流くんは、大丈夫だろうか。


「アタシに食ってかかるノ? 秘」

「焔巫女に従って、いいことがあるとは思えません」


 そうか。

 オレ独りの対峙となったから、緊張が増したのだろう。

 彼を支えていたつもりで、いつの間にかオレが全力で守られていたと気が付いた。


「オレは、情けないです」

「秘、向こうの牢で面白いショーが始まっているヨ」


 はっとする。


「美味しいから、食べよう! 旨い! 林檎だけで生きて行ける」


 分け隔てられた牢の向こうから聞こえた。

 密流くんは、自分に正直な性格だ。

 素直で嘘を態々作るタイプではない。


「密流くん、林檎は食べていないのですよね」

「旨い。こんなに旨いものをどうして食べなかったのか」


 話し方も不自然な気がした。

 オレが厳しく躾られて話し方を笑われるのに、密流くんは実にゆとりがある。

 明るく、自身の気持ちを円舞曲に乗せて歌うように話すのに。


「こんなカチコチな話し方しませんよね。密流くん」

「事実なのヨ。受け入れなさいナ」

「……嘘だと。誰か、嘘だと証明してくれ」


 オレは、落ち込んでいた。

 背中を丸め、世の中の全てに目を瞑りたい。

 ふと出逢った密流くんを最初は不思議な少年としか思わなかったのに。

 くるっと舞っては微笑んで、オレなんかを選んで旅に出てくれて、彼は気軽に家出をした訳ではないと、打ち明けてくれた。


「僕は澄青の家では透明な子でしかない。義父の名を捨てて、本当の苗字が欲しいんだ。再婚前は、東風だったけど、それに戻るのも違う気がする」


 アイデンティティーなんて、もう少し大人になってから探せばいいのに。

 オレなんか、火星へ行く夢持っている大学生だ。

 彼は、中学一年生だ。

 オレだって十九だから、ギリギリ十代だけど。


「それにさ、学校なんて義務教育なら三年は休めるよ」


 彼の翳りもない表情まで思い出す。

 小学校と中学校を六年と三年で九年、その約三割は休めるから、彼は自由を探したのだろう。

 青い鳥が欲しいと。

 オレは、最初の駅で大谷石の階段を降りるとき、密流くんの円舞曲には羽があると思った。

 危ないとの口の裏で、綺麗だと感じていた。

 僅かな時間をオレと過ごしてくれたのは……。


「――密流くん!」


 ネガティブから這い上がる程元気はない。

 ただ、現実に引き戻すキーワードが、『密流』、それだけだった。


「ほら、秘。食べナ」


 立つ力もなく、這いつくばっていた。

 爪先立つ程度の距離に手を伸ばせば、林檎がある。

 食べたら、全てが解決するのか。


「食べナ。密流も旨いってヨ」

「本当ですか? 密流くんは生きていますか?」


 思考力は、もはやない。


「ああそうネ」

「本当ですか? 密流くんは生きていますか?」


 手が震える。

 震える手を庇う愛が消えてしまった。

 涙も構わない。

 演劇部を追い出されたオレは、彼に青い鳥の道を委ねたのかと、孤独を知って分かった。


「グゲ、ゲエエ……。す、酸っぱいです」


 目が覚める程の酸っぱさだ。

 いつの間に、こんな汚いものを口にしたのか。


「林檎が、ゲホゲホ。酸っぱ過ぎます」

「ホホホホホホ。ざまあ。では、時の方様にご報告に行くネ」


 コツコツコツ……。

 舞台度胸の一つもないのに、奥の箱へ行って吐こうともせず、その辺に出した。

 林檎のはずだが、赤くもない。


「もう、下僕の巫女、焔灼には聞こえないかな。焔灼は帰ったよ。高塔さん、聞こえる?」


 口から嘔吐物が、奇妙な匂いをツンと出していた。


「高塔さん、本当の林檎は違うよ」

「誰ですか。もう、林檎は食べました」


 オレは、誰と話してるんだ。


「どうして食べたの?」

「ここまで、無駄に時間が過ぎたから、空腹が増したのでしょう。しかし、空腹は満たされません。嘔吐するだけです」


 理由なんてなかった。

 ことわれなくて、流されただけだ。


「僕と正しい林檎を食べようよ」


 正しいもなにも吐く程口にしたのだから、もう勘弁してくれ。

 粗悪な林檎には違いなかったが。


「高塔さんは、まだ足枷に引き摺られているだけだよ」

「足枷ですか? 壁の向こうで分かりますか」


 いけないと思いつつ、態度が悪い。

 どうしたのか。


「高塔さんは、果物のせいで人が変わってしまったんだ」

「……オレが。様子がおかしいですか」


 オレの嘔吐物が、鈍い色を呈してきた。

 腐っていたのだ。


「僕の方には、林檎がないよ」

「そうですか」

「その代わり、六角ボルトが大量にあるだけ」


 話が飲み込めない。


「林檎をよく観察してよ。高塔さん」


 鉛色をしていた。

 こんな林檎があるか。

 嘔吐物は汚いから、触りたくなかった。

 しかし、正体見たり枯れ尾花の線も可能性がある。

 仕方なくその辺の六角ボルトを嘔吐物に投げ付けてみた。

 キン――。


「高い金属音がしましたが」

「そうだよ。食べられる物なんて、最初からなかったんだ」


 恐る恐る、金属音のした山を掬う。

 零れてきたのは、皆、六角ボルトだった。


「オレ、オレはこんな建材を飲み込んだのですか」

「だから、僕の所にはそれしかないって」


 壁を叩く音が二つした。

 タタン。


「僕と脱出をしよう――!」

「上手く行かないに決まっていますよ」


 ここまで痛い目に遭って、脱走を避ける腰抜けがオレだ。


「まだ、ネガティブなの? 躊躇っているし」

「躊躇していません」


 壁越しの問答で、オレは次第に青い鳥の尾羽は捉えられる目になっていた。

 青い鳥、青い鳥と青い空、二人を幸せへと導くためには、ネガティブ解除が必須だろう。


「僕ね……。『壁に愛でも囁いてなさい』との時の方が放った台詞、真に受けるよ」

「密流くん」

「いつまでも、月でも火星でも、僕は愛を誓うよ――」


          【第2章 了】

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