第10話 巡るヘテロクロミア

 オレは、自分はともかく、密流くんを食べさせなければと、心理的視野狭窄になっていた。


「やって拒否されましてもね」

「僕は、それならココアがいいな」


 密流くんには、ことわる力と伝える術があるようだ。

 上手く誘いをかわしている。

 オレも同意して、ココアにしようと言えばよかった。

 女給さんの誘う『シャトー・ド・ロルロージュ』へ行かなくても済んだのに。


「あら、ココアもあるわヨ」

「本当ですか」


 飛び付いたオレの愚かさに、後悔することとなる。


「アタシの話に嘘なんか一滴もないワ」


 高そうなレストランの名だけど、ココア一人分にはなるかも知れないと思案しながら、黒縁眼鏡を直した。


「アターック! 高塔さん」


 反抗期な密流くんは、オレの黒いTシャツにしっかりとしがみつく。


「オウ! カンガルー?」


 オレの語彙は崩壊し、ガラガラガラとさえ聞こえた。

 栗鼠だのカンガルーだの猫さんしっぺと動物続きだ。

 密流くんの可愛らしさで赦すけど。


「カンガルーは、カンガエル。怪しいひとについて行ったら、いけないんだよ」


 オレを樹に見立ててコアラ化し、視線を送っているようだ。


「あらん。そんなジト目はよしてネ」

「はは、彼は万年こうですから」

「僕は、正直者なんだ」


 しがみついたままの彼を抱えて、レストランへ行くことは可能だろう。

 誘われるがままに、恐らく明るい『シャトー・ド・ロルロージュ』にて、ココアで乾杯とかも一息つけていいかも知れない。

 けれども、本人の気持ちを尊重すべきだ。

 それに、オレは密流くんを守りたい。

 最優先事項は、彼の安全だから。


「申し訳ありません。オレ達、行く所がありますから」

「ことわるノ?」


 ことわる……。

 胸がちくんとした。

 オレの大学で演劇部に入ったはいいが、半年もせずにオレはことわられた。

 どこから、転落して行ったのか。

 同じ部の新入生、甲斐かい伊与子いよこさんに変なことを吹聴されたときにはもう遅かった。


「拒絶とかではなく、いまはいいですの程度です。一旦、探してなかったらお願いします」


 よし。

 女給さんとの溝は埋めて行けそうだ。

 踵を返し、眩しい改札へ向かった。

 地上に出れば、普通のお店がきっとある。

 

「こないって訳なのネ。ことわられたノ? アタシ」


 オレは、背後にどろっとした気配を感じて、密流くんを抱えたまま振り向いた。

 女給さんが、ローブに手を添えて、その下から左目を覗かせた。

 銀色の瞳とは珍しい。


「ことわっていませんよ。選択肢を探してからお願いしますとの話です」

「こないって決めたのネ。アタシの紹介をことわったノ!」


 続けて右目も覗かせ、金色を輝かせてくれた。


「ですから、ことわったりしていません。オレはことわるのが苦手なのですから、あり得ませんよ」


 話の途中で、彼女の両目に吸い寄せられた。

 どんな画家でも描けないだろう。


「猫以外で初めてみます。ヘテロクロミアですね」


 オレが、地球だとしよう。

 その周回軌道にある宇宙開発目的の人工衛星が、高速で巡った。

 頭の中にメスが入る。


「ヘテロクロミア……」


 オレの中で、二つの瞳が制御不能の赤兎馬のように走り出した。

 銀があって金があって、銀があって金があって、銀があって金があって、ギラついた迷宮に入る。

 幾つもの瞳に射竦められたまま、気を失った。


 ◇◇◇


 空気が、細く流れてくる。

 地下鉄時計城線への入り口と似ていた。

 大谷石は、宇都宮うつのみやで採掘され、肌触りがごつりとするが、加工はしやすく、蛙などのお土産品もある。

 二つ揃えて無事帰る、三つ揃えて皆帰るとは、上手い文句だ。


「オレは、密流くんと無事に帰りたいから、二つ欲しいです」


 声にしたつもりで、形になっていなかったか。


「二つください」


 念のため、もう一度口にした。

 また、建築家、フランク・ロイド・ライトが既に移築された帝国ホテル本館に使用されたことでも有名だ。

 春休みに一人で合格祝い旅をした折、立ち寄った。

 楽しい話もあるが、重重しい。


 ――無事帰れないヨ。


 大谷石に穿つ小さな穴が、魂魄でもあるかのように呻いていた。


「は……?」


 ひんやりとする床に、オレは、腹部を下にして倒れていた。

 オレが、目覚めると、真っ先に求めたのは密流くんだ。


「密流くんは。ひっつき密流くんはいますか?」


 オレが立ち上がろうとすると、黒いTシャツを握っている可愛い拳が視野に入った。


「よかったです」


 胸を撫で下ろしたのは、密流くんが傍にいてくれたことだけだ。

 背後から光が格子模様を作っていた。

 尋常とは思えない。

 ここは、三面が壁で入り口は柵一つ。

 ベッドなんて上等なものもなかった。

 トイレもなさそうだったが、部屋の隅に箱があり、それを代用品とするのかと思うと恥ずかしいのなんの。


「う…」

「密流くん」

「うにゅう」


 あれ。

 うりゅはどこへ行った。


「牢へ放り込まれたようです」

「うにゅう。あの女給が謀ったね」


 はは、かなりご機嫌斜めだ。

 うにゅうは、不快なときの言葉なのか。


「コツコツって、足音かな?」

「人の気配ですか」

「うにゅう。誰か近付いてくる」


 オレにも聞こえてきた。

 上から階段を下るような歩き方に聞こえる。


「僕の旋毛は、よくない出来事を予想しているよ」

「最悪の事態を考えて、牢の奥へ身を隠そう」


 支え合って、狭い牢の暗がりへ逃れた。

 膝を抱えて、謀った女給を迎え撃つ。

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