第9話 満月の誘い
「そもそも、『**城行』の電車なのですが、ここの駅は城でしょうか」
バシュッ。
青い側引戸が開いた。
密流くんの腕を引く。
「急ぎますよ」
「痛てて」
挟まらなかったのは結構だが、ホームには、黒い靄もあの車内販売員もいなかった。
「地下ですから、『**城』がない所で下車したのでしょうか」
立ち尽くすオレの背後で、密流くんのお腹が鳴った。
失笑した所、彼の冠を曲げられたが、オレは執り成す術もない。
現在、この刻を精一杯生きなければ。
次にどう動くか、考えを巡らせていた。
「僕は、お腹空いていないんだからね」
「分かっていますよ。自販があれば、あと幾らか使えます。糖分があって両手で持っていてもあたたかい飲み物、ココアとかがあったらいいと思っています」
オレの真心に、密流くんは名探偵で応じた。
「雨宿りのコーヒーのとき、高塔さんの黒いお財布は小銭の音がしなかったよ」
ぎく。
「そこへ、ブルーマウンテン二つで二百四十円だったね。千円札を入れて、お釣りを数えてしまってたよね」
ぎくぎく。
「僕なら、ゴールドパスがあるけど、高塔さんはキャッシュレス決済ないの?」
「ゴールドパスって、買えるものなのですか? 地下鉄時計城線特有のものではなく、あの満月とか入鋏とか関係なかったのですね」
密流くんが、タンクトップの中から紐付きのゴールドパスをすいっと引き出そうとの素振りをみせた。
しかし、狙われる財産なのだろう。
黒い靄はいなくとも光の欠片もちらつかせなかった。
彼は、一瞬眉根を寄せて眇める。
遠く敵を射るように。
「普通の人は、買えないよ。澄青の義父は、結構お金持ちらしいんだ。最初は叩き上げで、今は系列の会社が沢山ある
結婚か……。
繊細で難しい問題だよ。
「澄青も東風も苗字ですよね。お母様のお名前を教えていただけませんか」
「ママは、ママでいいの」
栗鼠みたいに頬を膨らませている。
「素敵な呼び名だと思いますよ。密流くんの本当の苗字、きっとあります」
今度は、オレのお腹が鳴った。
彼に気を遣わせてはいけない。
どの道、所持金七百六十円も知られているようだ。
本当に、ココアで乗り切る作戦で行こうか。
「地下鉄に、出口はありませんか。改札出たら、お店とかありますよね」
「僕は、食べ物は桂さん任せだったって旅に出て思うよ」
うろちょろして余計な体力を使ったせいか、空腹感が増した。
でも、密流くんの機嫌は悪くない。
「うりゅ。ココア、ココア」
密流くんの思考回路の方が、ゴールドパスの回路より単純な気がする。
彼の顔色も悪くはなく、お互いに飲まず食わずでよく耐えていると思った。
「改札の方へ行きましょうか。最初の駅と同じなら、前方にあると思います」
オレの目も暗闇に慣れてきている。
先を歩こうと踏み出すとき、再びはぐれないように、密流くんの腕を後ろで突っついた。
「高塔さん!」
「はい――? どうした、上機嫌」
後ろから、あたたかい腕が腰の所できゅっと回された。
細く華奢で、嫁にしてと言われたらことわれない魅惑がある。
「一句できましたよ。密流くん」
「どれ?」
「美少年、我射給いし、無自覚や。高塔秘」
本当に恐ろしい子だ。
「僕のこと、やっぱり好きなんだね」
今度は、首の周りをぐるぐるとひっつく。
「そこは、ほら、んがんぐもぎゅもぎゅです」
栗鼠の頬は中身を埋めたのか、埋めた餌を忘れないように。
ああ、密流くんの栗鼠化も面白い。
「訳分からないよ。もぎゅもぎゅって日本語なの?」
「新しいかばん語ですね」
「組み合わせは?」
「ええっとですね、もちもちほっぺたの『も』、ぎゅっとしたらときめくねの『ぎゅ』です」
しゃ!
誤魔化せた。
心の中で、ガッツポーズを決める。
「うりゅ。円舞曲で一、二、三と回るよ」
「またですか。好きにしてください」
「とめないの?」
にこっとして踊ろうとしていた手足をとめる。
きゅうう……。
彼のお腹の音だった。
「お腹が空くのも自己責任です」
「酷っ……。貴方とは、生涯連れ添う気持ちでナンパしたのに」
「ナンパですか! 軽い気持ちだったのですか……。オレのことをどう想っていたのか不安になります」
分かり切った質問をしているのは、百も承知、二百も合点だ。
「うりゅ? 幾度でも囁いてあげるけど」
「いや、そんなのではありません」
「愛の枯渇は、侘しいよねえ」
悔しいけど、同情されている感がある。
彼も強かに生きているのは、悪いことではないと思った。
「一、二、三、一、二、三と、もう着いた」
改札があった。
そこは、暗くないことが恐ろしい。
見上げれば、アレがあった。
「満月です!」
改札を煌煌と照らすは、満月だ。
どう観察しても作り物の照明器具ではなかった。
「高塔さん、どうする? 出る?」
「改札から出ても戻れるのですか。それに次の電車は十二時でしょう。待ちますよ」
シンクロして、二人のお腹が鳴った。
「キャハハ」
「すみません」
「そこのお二人連れさんネ。お店をお探しかナ」
振り向くと、いかにもな白いフリルつきエプロン姿をした女給さんに声を掛けられた。
よく観察すれば、ローブまであり、不自然だったのだが。
「アタシ、いいお店知っているのヨ」
「オレ達は、食べられるお店を探していた所だったのです」
「僕は、お腹空いてないよ」
お店との言葉が魔法のようで、所持金の件も忘れて聞き入ってしまった。
「教えてくれますか」
オレは軽はずみだった。
「地下鉄時計城線の三ツ星らしいワ。『シャトー・ド・ロルロージュ』というのヨ」
「僕は、行かないよ」
女給さんが、先についっと背を向いてしまう。
「こっちへ、いらっしゃいませナ」
「密流くん、一緒に行きましょう」
「や!」
困った。
空腹を満たすことと、怪しさから逃れること、どちらを優先すべきか。
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