第2章 地下牢の林檎

第8話 決意と赤兎馬

「学校の話をしていたとき、囁いてくれた、『僕ね……。高塔さんのこと……。友達以上に特別に想っているよ』の言葉を最初は意外だと思いました。けれども、大切にしてくれる気持ちを踏みにじりたくありません」


 オレは、密流くんと必ず再会すると決めた。


「行きます!」


 よたつきながらも立ち上がったが、歩くには闇が深い。

 そこで、右足で地面を探る。

 軽く小指が当たったのに、呻く程痛いと感じた。

 金属に違いない。

 地下鉄ならレールだろうと辿って進むと、証明するかのように枕木があった。


「線路があるなら、車両や駅もあるでしょう」


 オレの手首から、異様な音がする。

 グアンシュッシュ――。

 腕時計のイグザスだ。

 急ぎ、文字盤を掌で覆った。


「針が回転して、熱で文字盤を割りそうだと、オレに訴えていますね。イグザスが、壊れませんように」


 異常事態が、起こっているのだろう。

 背筋から汗も掻かない程の危機を感じた。

 それは、オレのではなく、密流くんの身を案じてのことだ。


「さあ、行こう。オレの勘では――」


 顔を上げて、信じた方向へ進むことにした。


「こっちです」


 風が、密流くんの甘えた猫みたいな芳しさを運んでいる。

 彼だって、お昼の花丸オムライスから空腹では、倒れてしまう。

 オレへの気持ちにも答えたかった。

 平坦な線路なのに、登山列車を追っている感じだ。


「ハア……。ハア、ハア」


 大分、歩いたと思う。

 時計では確認できないが、体が五時間だと叫んでいた。

 一旦、立ち止まって振り返る。


「フウ、フウ……」


 おかしなことに、地下鉄に吐く呼気が形になるのに、汗はなかった。

 もしも、彼と反対方向へ行っていたら大変だ。

 しかし、じっとしていても少年を救えないだろう。

 元の方角を向くと、先程はなかった片鱗が見え始めた。


「奥に、ホームがありそうです」


 オレは、もうひと踏ん張りと歩み出す。

 疲れなど消し飛んでいた。


「ホームですね。二両の電車が、あるのでしょうか」


 電車に密流くんがいる可能性もある。

 ホームに上がって、奥へ走ると『**城行』の電車が聳えていた。


「時計城線の電車が、この車両だけなら、密流くんとオレが乗っていたものですね」


 窓から覗いても中が分からなかった。

 シートの間を隈なく捜そうと、先頭へ戻る。


「青い側引戸がないです。青い壁になっているようですが」


 電車の最後尾まで走った。

 窓は形だけ、側引戸も形だけだ。

 自動でも手動でもびくともしなかった。


「密流くん! 密流くん……! 高塔はここです!」


 幾度でも会えるまで言おう。

 彼もオレを求めて、救いを待っている強い予感がした。


「どこかにいますよね」


 耳に囁いた、彼のこそばゆい気持ちが、ぶるっと奮い立たせた。

 窓という窓をドンドンと叩いて反応をみる。


「必ず、再会を果たすと決めました!」


 オレが懸命になっているときだった。


「電車が発車します。ホームにいる方は、全てお乗りください。同じホームへは戻りません」

「どういうことですか。無茶苦茶です」


 青い側引戸が急に自動で開いた。

 最初の駅で挟まったので、さっさと乗り込んだ。

 二つ目のホームで得るものは少ないだろうから、駒は進めるべきだと思った。

 バシュッ。


「お尻を擦られて、マッチになるかと思いましたよ」


 初めて乗ったとき、急いで引いてくれた密流くんが傍にいない。

 変だ。

 ペットロスに近い感覚を覚えた。

 頭を抱えて、近くのシートにそわそわと腰掛ける。


「地下鉄時計城線は、幾つの駅があるのでしょうか。二駅は下車できないと聞きました。それも含めて、大体分かるといいのですが」


 オレの感覚では、カーブが少なく、真っ直ぐな走り方をしていた。

 運転手は大丈夫だろうか。

 急なカーブで、曲がり損ねたりしないことを祈った。


「あれ? 高塔さん」

「……」

「どうしたの?」

「……」


 ドッペルゲンガーが、現れたのか。

 そもそも、オレだけ車外にいたとか、馬鹿馬鹿しい落ちかとか、脳裏を駆け巡る最悪で最良の再会だった。

 温厚な方だが、苛ついて手が震える。

 抑えようとイグザスの上に手をやると、アナログ針の暴れっぷりはましになっていた。


「少しいなかったけど、心配したよ」

「オレがいなかったのですか」

「そうだね、小一時間かな」

「密流くんが、どの口で言うのですか? 五時間は、捜し回りましたよ! オレがです」


 取り敢えず、密流くんに、どんぐりぐりぐりの刑を与えておく。

 痛がってはいたが、笑っているなんて、相も変わらずおかしな美少年だ。


「ああ、痛かった。加減してよ」

「ソフトタッチメンソールコースツーなのですが、痛かったですか」

「うーん。今度はワンにして」

「もっと痛くなりますが、大丈夫ですか」


 魚籠から逃げようとする如き彼が愛おしかったので、関接を鳴らしてⅠの準備をする。


「ひいい」

「ははは。これで、五時間の苦労を水に流すのだから、安いものです」


 彼の頭に拳を当てたときだった。

 ガタタタタタタタ……。

 キッ――。

 電車に異常を感じた。


「うああああ、無賃乗車はしてないよ」

「そこ、掛け違っていますよ」


 謝っている密流くん、きっと、ジェットコースターでも謝るタイプだ。


「あああああ、ひっくり返る」

「凄いカーブで、通路側に振り回されますね」


 密流くんをシートの下に座らせた。

 オレは、シートに腰掛けたまま、手摺を頼りにする。


「脱線かも知れないよ」

「そのまま窓側にいてください。オレに掴まって、一緒にいましょう」

「脚でもいい?」

「拒む理由はありません。オレが、離れたくないのですから」


 脚を八の字に開いて、踏ん張った。

 数分にしか感じられなかったが、本当は、相当の時間危険な目に遭っていただろう。

 キイ――。

 シュッシュッシュッガターン。

 密流くんはシート下でヘッドバンキングをしなくて済んだようだ。


赤兎馬せきとばも御すればとまりますね」

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