第7話 月見露天風呂の脱線
◇◇◇
「ああ、いい湯ですね。空から見える月も素晴らしい」
――振り返って、ここから、おかしくなっていたとは、気が付かなかった。
電車に乗っていて、露天風呂の展開は、魂魄が抜けたと思ってもよさそうなのに。
「雨に濡れましたからね。密流くんも体をあたためるといいですよ」
滝を眺められる温泉宿で、露天風呂を堪能している。
広い風呂は、いいものだ。
少し背の丈のあるオレにとって、自宅のお風呂は、膝を折らないと入れないし、皆で順に入るので、お湯も節約していた。
露天では、伸び伸びと足を投げ、爪先が白濁した湯に隠れる程だ。
「ゆったーり、はははん。密流くん、露天もいいよ」
「僕は、女湯の露天風呂なんだ」
態とか。
間違ったのか。
「男女別なようですから、男湯にきてください」
「うりゅ。直ぐ行くよ」
脱衣所を通らないで、垣根を分け入ってきた。
「痛くないですか」
「僕は、アルマジロだから」
「密流くんの冗句に振り回されないですよ。逐一、まともに答えません」
「ええ? 子どもだからって、馬鹿にして」
すね虫の密流くんを隣に呼んで、足を投げ出すのをすすめる。
「はあ、寛ぐね」
「オレには、いい話し相手がいなかったのです。諸刃の剣みたいに、オレが楽しくても相手はげんなりする様子で、気不味い空気が流れました。直ぐに、オレもおどおどしてしまって、発展性は全くありませんでした」
ぴと。
はうあ!
「密流くん。お風呂ですから、肌を寄せ合うのは、やめましょう」
「僕は、いい話し相手になるからさ」
ぴとぴと。
オレは滝汗だ。
「話し相手ですか。聞いてもらえますか? ひっつくのは、やめてくださいね」
オレは話したかったことを沢山話した。
演劇部のドタバタについては、避けたけど。
「無重力化できる宇宙へ、飛んで行きたいですね。密流くんとオレが、アダムとイヴとなり、火星に自給自足の基地を作って過ごしましょう。二人で、宇宙船からせーのって飛び出しても大丈夫ですよ。火星には、きっと美味しい空気があります」
月を見ながら、お茶を飲むのもいいな。
「少年と青年だけど、子孫はどうするの?」
「そこは考えていませんでした。きっと植物が子孫になりますよ」
ふやけてもいいので、露天風呂で、火星談義をしていた。
オレは、月刊スペースを立ち読みしたり、気に入って懐に余裕があれば買って家で堪能したものだ。
隠れ宇宙浪漫主義をオレの周りは知る訳がない。
家でも兄弟は男三人組、秘、樹くん、葉くんは同じ六畳、女性のお母さん、
佐祐くんは、玄関のわんこマットがお気に入りだ。
皆の布団を上げて、食事も勉強もそこでした。
それでも、オレの火星に寄せる想いは、バレていない。
「お月見は、いいですね」
「おつきみ?」
密流くんは平坦な話し方だった。
初耳かな。
「ほら、月見うどんとか食べませんか」
「僕の家は、お手伝いの
裕福なお家柄のようだ。
「家を出る前、お昼ご飯は、僕にオムライスを出してくれたんだ。ケチャップがね、いつも花丸なんだよ」
密流くんも小学校までは楽しかったのかな。
「僕がね、学校で花丸をもらうと喜んでいたからって。東風の頃、僕のママがよく撫でてくれた。『密流ちゃんは、私の自慢の子だわ』って。それを思い出して、澄青になってからも花丸はいい想い出なんだ」
二人で、もっともっと話していたい。
裸の付き合いもいいものだ。
男同士、腹を割って話すのもいい。
「ここは、なんていう温泉なんだろうね」
「ゴールドパスには書いていないのですか」
「そんなものもあったっけ」
桃も桃も桃も……。
桃源郷で、桃が鳴いて実を落としてきて、エマージェンシーを感じた。
先が全く分からない桃の世界だ。
◇◇◇
ガタタタターン……!
「は!」
我に返るとは、このことか。
どの辺りからかも分からないが、記憶が、勢いよく飛んでいたようだ。
「痛い……」
自転車で転んだときの打撲が、ぶり返す。
雫に頬を穿たれながら、オレは密流くんに救われた。
流されるように地下鉄へ雨から逃れ、怪しいとも思わず二人旅に出る。
竜頭を巻くように、時間がざっくりと動いた。
「時計城線での乗務員と乗客に、あのまま爛れた生活に追い込まれなくてよかったです。しかし、どうして露天風呂で火星の話をしたのでしょうか」
まだ、半分寝惚けているようだ。
だが、周囲が桃色ではないと理解するなり、次の行動が変わった。
「密流くん! 密流くんは、どこにいるんですか?」
相方、相棒、連れ、引率、勝手に解釈してください。
「オレなんかを友達以上に想ってくれている少年です」
はぐれてしまっては、窓から出てしまった小鳥のように、喪失感が激しい。
どうにか、再会しなければ。
「真っ暗ですね。あの焔さんも消えたのでしょうか。黒い靄とは会いたくありませんが、近くにいなそうです」
中身のなさそうな靄だったから、消えた可能性もあった。
ただ、焔さんは、実像の細部までリアリティが濃い。
「オレは、密流くんを探しているんですよ」
渡された赤い飲み物を強引に口に流し込まれたのを思い出した。
吐き出せばよかったが、悔いても仕方がない。
「オレは、密流くんを探しているんですよ」
心の中で、もう一度リフレインした。
最初は、小悪魔的で困った少年だと思っていたのに、一日もしない内に……。
「オレの心に彼の場所ができました」
【第1章 了】
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