第6話 車内販売
ゴトゴト。
まだ音がする。
「どうしたのですか」
シートに、猫ノスケがやってきた。
「うりゅ。隣に座りたいなって」
「ことわらなくても座っているでしょう」
――友達以上に特別に想っているよ。
「僕の視線から、逃れようとしていない?」
――高塔さんのこと、僕……。
「いや、景色をね」
――友達以上に特別に想っているよ。
「地下鉄の景色って?」
密流くんの台詞もリフレインして、こそばゆい。
「み、密流くんとオレが、重なっているようです。鏡みたいにです」
オレは、恥ずかしくて口元を手で覆っていた。
きっと、頬は赤いに違いない。
「本当だ。きっと、スポーツ新聞だと赤いんだろうね」
「な、赤いでしょう」
「見出しとかに赤インク使っているのもあるよ」
オレの顔かと思った。
どうも、友達以上に特別に想われているのかと感じると、オレの心の奥で、今まで芽吹かなかった新しいひこばえが、意に反してぼうぼうに伸びる。
初めての気持ちで、上手く表現できないもどかしさもあった。
「いらっしゃいませでございますヨ」
ゴトゴト。
後ろのシートから、騒々しく顔を覗かせた誰かがいた。
オレは、一瞬で目を瞑ってぎゅっと拒否する。
「ようこそ、地下鉄時計城線へお越しヨ。人生という旅の小さな一歩は、ここから始まるヨ」
ゴトゴト。
黒い靄ではないようだから、瞼をゆっくりと起こした。
「車掌さんですか。車内販売の方ですか」
猫遊びをしていたせいか、カートを押してきた異国の香りがする女性は、猫のように目力が強く感じられる。
「いらっしゃいませですヨ。お飲み物、各種軽食あるですヨ」
「車内販売みたいだよ。高塔さん。ゴールドパスには、販売員に気を付けるよう書いてあったけどさ」
オレは、カートの中身より彼女が気になった。
彼女は、弥生時代風の衣装を着ている。
貫頭衣をヘソの位置で帯を引き括っていた。
足首の所で膨らんだ布の途中に土鈴が一つずつぶら下がり、足音が聞こえそうだが無音だ。
「お一つ、いかがですかネ」
「高塔さん、お腹空いているんだよね」
「もう、限界突破してしまいました。お腹の虫も逃げる程です」
彼女の額には、紐が巻かれていた。
中央に大きな金の円があり、その周囲に小さな銀の円が四つある所を中心として、左右へと赤い斜めの線が上へ下へ蛇が這うように並び、小さな緑の円を囲って行く。
燃えるように赤い前髪は、真ん中で分けられて、切り揃えられた毛先は、無駄に真っ直ぐだ。
耳の前から房を作って、肩下で、紐状の布で結っていた。
「高塔さん、お腹空いていなかった?」
「い、いや。俺はもういいよ」
一番気になったのは、マフラーを縦横に巻き付けて顔の側面を隠す意味が、分からなかった点だ。
密流くんが、オレの脇腹を肘で突く。
「三時に缶コーヒーを飲んだきりだよ」
彼女の名前であろう文字が、日本語ではなく、判読が難しかった。
「失礼なことを窺いますが、車内販売のお姉さん、お名前はなんと書いてあるでしょうか」
「
オレは、人間関係構築が苦手だ。
高校では成績がいいとは言われても性格を褒められた例がない。
まほろば大学演劇部をひっくり返してしまったのは、オレと共犯者の冷やかし系だ。
オレに心の傷を負わせ、塩を塗り込め、皆でがっぱりと開いてくれた。
泣いて悪いか。
演技で目薬要らずだ。
あれこれ、背景をどっこいしょと背負って、オレから誘ってみよう。
「燃え盛るの焔でしょう。焔さんとお呼びしてもいいですか」
「よくお分かりネ。高塔秘ヨ」
オレの名前は、ゴールドパスから漏れたか。
密流くんの可愛い青い目が、きらきらとした。
「僕は灼熱の灼、灼さんがいいな」
「正解、ピンポンパンポン! 澄青密流ヨ、商品も賞金もなしネ」
ゴールドパスから抜き取るデータとして、二人の名前は、基本だから、当然知っているか。
焔さんが、強い目力を弱めて静かに口説く。
「秘、密流ヨ。お二人とも利口なことネ。一発で変換できた人間は少ないですヨ」
密流くんとオレがシンクロして、頭をぽりっと掻いた。
一種の照れ隠しだ。
「それに、友好的なのは、構いませんヨ。でも、私達の間には、大きな溝があるのですヨ」
二人は、見交わす。
瞬きをしている密流くんの様子から、特別な事情を知らないらしい。
オレは、旅は道連れ世は情けの方だから、余計分からない。
「溝だって?」
「隔たりですか」
時計城線に乗っているのは、黒い靄が最大で三組、それとこの焔さんだ。
確かに、人間側の密流くんとオレからすれば、靄は魂魄だから川の向こうかその上を浮遊中かで異なる。
では、焔さんはどうだ。
一見眼力が凄過ぎるが、触れれば体温もありそうだ。
少しは、人間だろう。
「懸想をしてますネ。秘は。密流の方は、秘の腕に絡んでいて自分がないネ」
「オレは、隔たりについて考えていました。マリアナ海溝ではないのに、どれ程の距離があって、掘り下げなくてはならないのか」
焔がゴトゴトと二つのカップを差し出した。
「車内販売に義務があるのヨ。これ飲んで、お金はゴールドパスからいただくネ」
「僕のに勝手に触らないで!」
「紐を引っ張れば出てくるネ。はい、ピピピ」
一瞬で渡された赤い飲み物を頭を掴まれて口に流し込まれていた。
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