二十三
後数時間もすれば日が変わる。
時は進んでしまう。そんな不変な事実を忘れてしまうほど、今という刹那一つ一つに集中している。
何がそうさせているのか、このまま厄介事を避け逃げる事だって出来る。
しかし、その考えに陥ることはなく、何処か自分とは別の自分の力でこの運命に立ち向かっている。
これからどう動くか、その事に集中せねば成せぬだろう…隆吉はそう考えながら甲板で遠くから吹く風にあたっていると、元吉が厨房で司厨員として働いていた喜八を探し出して連れてきた。
お咲の言ってた話しが本当なのか、そうでないのか聞きたい事は山ほどあった。そんな隆吉の心境を察知し急場と知るや喜八はできる限り神妙な気持でもって、そして間違えのないようにゆっくりと語り始めた。
「つまり嵌められてたって訳ですぜ、あの中津川という男が夜中に軍の若い奴ら使ってなにか運んでたんだ、それを調べたらなんとたまげた事か罹ったら絶対に死んじまう病気の武器だって云うじゃねえか、あいつらはそれの事を生物兵器って呼んでいましたぜ、命懸けで忍び込んだ甲斐があったってもんです」
「そうなのか…」隆吉は知らぬ内に中津川や渋谷の駒として動かされていたのだ。幸いにも自分が置かれた状況は最終的な危機的状況になるまで時間の猶予がある。それであれば兎に角直ぐに動くしかない。出航すれば厄介事が増える、どうにか出航迄に片をつけたかった。
「いいか、オメェら、出航迄に片つけるぜ」
隆吉は二人へ伝えると、「へいっ」と喜八と元吉は揃って返事をした。
その頃、お咲は義三郎の所有する麻布の屋敷の薄暗い屋根裏で後ろ手に縛られ椅子に座らされていた。
「おい、お嬢さん何を知っているんだい手荒い真似はせんから、教えてくれないか」義三郎の言葉にお咲は首を傾けて「へっ、言うもんかい」そう言って義三郎の
「グハハ、元気がいい、器量の大きさは仁仏の隆吉以上だな」そう言ってお咲の気を揺るがすと、義三郎は凪の様な心で「安心しろ、わしは仁仏の隆吉の敵ではない」と諭すように云った。
「そうかい、あんたはあいつらの仲間じゃないのかい、でもね、誰に何言われようが私は喋る気はないよ、諦めるんだね」
「グハハ、そうか、仕方ないな…」義三郎はそう言うと、後ろに居た大男にボソボソと何やら耳打ちした。
この後は無惨というほかあるまい。大男の岩のような手によってお咲は裸にされ、更にきつく後ろ手の縄を閉められると、よくしなる鞭で敲かれた挙句、口を割らぬと分かれば今度は足の爪を右の方から一枚ずつ引き抜かれ、グァーと言葉ににならぬ悲鳴を上げながら、気付けば足の爪全部が無くなっていた。
それでも、お咲は口を割らなかった。
これには流石の義三郎も業を煮やし、薬師寺家の待医にアヤワスカや毒きのこ等を乾燥させ、調合して液体にした幻覚剤を用意させると、じょうごを使いお咲に無理矢理に飲み込まさせた。
暫くすると、ギャーギャー喚きちらしていたお咲がうわ言を言い、涎と涙を垂れ流すほどに酩酊していた。
「ようやく落ち着いたか」義三郎はあられもない姿で、床に倒れ込んだお咲を眺めながら「お嬢さん、すまないなこんな姿晒させて、せめてもだが今はワシしか見ておらんこの事は墓場まで持って行くから、許せよ」お咲の頭を撫でながら蒸し暑くなった屋根裏部屋で義三郎が唱えるように呟いた。
蝋燭だけの薄暗い部屋は酩酊し唸るように呻くお咲の息遣いとすきま風の音しか聞こえなかった。暫くの間、部屋の隅の燭台の灯火が大きく揺れるとどこか違う世界で生きている様にお咲が喋り出した。
「罹ったら死んじまう、そういう武器なんだよ、隆吉…あんた騙されちゃいけないよ…」お咲は涎を垂らし涙ながらに訴えていた。恐らく幻覚を見て何度も同じ事を繰り返し話しているのだろう。お咲の隆吉を想う気持ちに義三郎は同情の様な憐れみの様な母性的な感覚を覚えた。
「グハハ、お嬢さんは女神様じゃないか、なんともあの男には勿体ない、しかし…わしの船でそんな物騒な物運ぶなんて、彼奴らめ…舐めとるな」義三郎はそう云って、窓を開けると朧げな月光が部屋全体を照らした。
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