二十

 十一月の或る日、浦上正臣はいつものように朝早くから漁に出掛けていた。


 慣れた様子で手漕ぎ船をひとりで操縦し、その日暮らせる分の稼ぎを取り終えると、大きな握り飯を頬張り「今日だったか客が来るのは」と独りごちた。   


 事前に知らせていた中津川の招聘は儚くも断られ、浦上曰く「用があるなら、そちらから訪ねてこい」とのことで、隆吉は広島県は因島を訪れていた。


 また、この日、渋谷も因島に同行しているがこれは渋谷が浦上と面識がある事は勿論、「なにか起こる…」その予感があって「倉本さん、着いて行くよ」という事らしい。


 一方、浦上は漁を終え帰港すると、釣果を金に換え自宅へ戻った。

 しかし、思いのほか換金に時間がかかってしまい、ゆっくりしている暇はなかった。冷たい水で行水を行うと着替えを済ませ、朝方淹れた緑茶の残りを一口で飲み干すと、待ち合わせ場所の白滝山へ向かった。


 白滝山の頂上へは、山道に立ち並ぶ五百羅漢の石仏や鎮座する巨石を越えて行く。

 ここは、待ち合わせにするには過酷な場所、「なぜこんな所を選んだのだ」と渋谷が文句を言っている。

 隆吉は旅疲れもあったが浦上への期待感もあって、たいして苦にはならなかったので「私達の頼みですからね、一応筋は通っていなさいますよ」と、独り言のように言った。

 

 ––––漸く二人が頂上へ辿り着くと、既に浦上が待ち構えていたのであった。


 「遅かったな、待ったぞ」


 溌剌とした声音で村上が言い放った。


 「ああ、すまない」と、隆吉が潔く応えると、浦上が隆吉を鋭く睨んだ。


 「はじまったか…会ったばかりで名も名乗っていないというのに…」渋谷は溜息混じりに呟くと、睨み合う二人の闘志が熱くなるのを見て、腰元のベレッタに手を掛けようとした。

 だが、––––「なかなか出来そうな面してるよ、中津川さんの舎弟にしては」浦上がそう言いながら、隆吉の方へ近づいて行くのを見て、手を止めた。


 「それは少し違いますね、私は貿易商が生業、中津川さんとは同じ目標を持った仲間と言ったところです」


 「そうか、それでその仲間とやらは何が目的なんだ」


 「船長です、浦上さん、私の船で舵を取ってくれませんか」


 隆吉の真っ直ぐな申し出が浦上にとっては「俺の事を見下している」と感じたようで、「馬鹿いうな、なんの義理があって、お前の船の船長にならねばならんのじゃ」と苛立ちを抑えられず、隆吉の眼前まで顔を近づけた。


 「確かに義理などありません、あるとすれば大義です、私の事なんてどうでもいい、この国を想う気持ちがあればそれが承諾する理由になるはずです」


 「ふん、愛国心ってやつか、恐らく中津川さんの任務だからそういう言い草になるんだろうが、俺は自分の信念は曲げられないたちでね、お前さん確か倉本さんとか言ったな、大義もいいが他にも理由があるんだろう、それを聞きたいね」


 一癖も二癖もある浦上だったが、隆吉は臆する様子なく自分が元盗賊であること、貿易商になる野望、そして米国の兵器を奪い取る任務がある事を包み隠さず伝えた。


 浦上も義三郎と同様、その事実を知っても驚くことはなく平然としている。


 「そうか、元盗賊か…中津川さんも遂に気が狂ったようだな、でも、面白いよ、あんたの夢は少しは見込みがありそうだ」


 「それはどうも、で、承諾はしてくれますかな」


 「そうだな…」浦上はそう言うと、少し勿体ぶってぐるぐると辺りをゆっくり周回しながら腕捲りをすると「力比べだ、俺に勝ったらあんたの船の船長になってやるよ」と言い放った。


 渋谷はここまで静かに二人の会話を聞いていたが、浦上の言葉に「またか…」と呆れた様子で頭を抱えた。


 力比べというが、要は喧嘩である。


 隆吉は元盗賊、売られた喧嘩を買うのが当然の成り行き。渋谷が立会人となり二人の決闘を見届けることとなった。


 おおよそ、土俵ひとつ分の空間を決闘場とし渋谷が開始の音頭を取った。「いいかい、お互い無茶はするなよ、それじゃ…はじめっ」


 合図と同時にオォーと掛け声をあげ浦上は突進し隆吉の手前で膝を折り、屈んだ状態から拳を突き上げる、しかし隆吉も摺り足で後ろに下がりながらその拳をいなすと、その反動を使い足払いをかける。

 浦上は足払いを力ずくで受け止めると、足を両手で掴み隆吉を地面に転げさせた。

 転げた隆吉は浦上が馬乗りになるのを砂を投げつけ、目眩しで回避した。

 転瞬、互いに間合いを取り再び対峙した二人、今度は隆吉が体当たりで浦上に突進すると、武術の素養などない隆吉は取っ組み合いの喧嘩に持ち込んだ。


 ここからは組んずほぐれつで、転げては立ち上がり、倒されれば倒し返し、互いに一歩も引かず気が付けば着衣は土と汗と血に塗れボロボロになり、半裸の傷だらけの男二人が精魂尽き果てて、お互いがお互いに重なり合う状態になると、二人の動きは漸く止まったのである。


 「そこまで、この勝負引き分けだな」


 渋谷はそう言ったものの、倒れたままの二人は赤く腫れた顔で頷くだけだった。


 しばらくして、幾らか動けるようになると、夕方ようやっと下山し、浦上の男臭い自宅で改めて話しが始まった。


 「さてさて、浦上君、それで船長の件は引き受けてくれるのかい」顔が腫れあがり口の開かない隆吉に代わり、渋谷が尋ねると浦上が困り顔で口を開いた。

 「ええ、引き受けますよ、ただし今回は仮契約でね、倉本さんの仕事振りを見て判断しますよ、正式に船長になるかはね」


 「ということですが、倉本さん、宜しいですかな」


 「ふぁい、よふぉこんで、うらがみしゃん、あふぃがとう」隆吉は腫れあがった唇をなんとか動かして返事をした。


 その日の夜、あまりの激闘で体力を使い切ったこともあり、隆吉は浦上宅で一泊することとなった。


 隆吉が寝静まった頃、渋谷は台所と二間だけの小さな家の襖を開け、浦上をそっと揺り起こすと、浦上の耳元で何やらボソボソと呟いた「まったく恐ろしいね…」浦上がそう言うと「これは内密にな」と渋谷は念を押した。


 隆吉はこの夜、完全に気が緩んでいた、疲労困憊していたこともあるが、他人の家で意識をなくして熟睡するなど、盗賊の頭だった者として不覚としか言えぬ。

 まさか、この夜の事を後悔する事になるとは、この時は知る由もなかったのである。

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