十八

 元吉が代理人として、築地造船場に出向しているお陰で、隆吉は安心して自分の仕事に専念できた。


 とにかく、航海の経験が無いのと言語の壁が、今回のお勤めの悩みの種であり、この問題を解決する事が、成功の絶対条件であった。

  

 まずは、言語の壁を越えるべく、隆吉は田所とジョセフを鎌倉に呼んだのである。


 ––––例の如く、隆吉は平蔵が営む料理屋、海土竜うみもぐらの二階を貸し切っていた。


 「ジョセフさん、どうだい鎌倉のシラスは」


 「とてもオイシイデス、こんなにチイサナ魚を食べるのはハジメテデス、日本の料理はホントにオイシイです」

 

 「それは良かった、田所さんも遠慮せず食べてください、この店の料理はどれも美味いが、かき揚げも絶品でね、熱いうちにつゆにちょっと付けて食べると格別に美味しいんですよ」


 濃紺の着流しに一口酒を呑み、隆吉がそう言うと、なんだか申し訳ないです、宿もとってもらって、おまけに食事までご馳走になるなんて、と言って、田所は箸を置き、慎ましく姿勢を正した。

 

 遠慮気味な田所に対し、隆吉は、「いいんですよ、この前のお礼が出来ていなかったんでね、たまには羽を伸ばさないと、生きてる甲斐がないってものです、なにはともあれ、まずは料理をいただきましょう」と言って、二人に酌をした。

 

 ––––この鎌倉の接待、口実としては義三郎と会わせてくれたお礼であるが、実情はジョセフを船の通訳として、仲間に引き込むための作戦だった。


 「ところで、ジョセフさんが日本国籍を取得して、ご家族は驚いたでしょう」


 「No,ソレガ…まだ日本人になったこと報告デキテイナイです」


 「何故だい」隆吉は優しい口調で問うと、ジョセフはあまり答えたくはないようで、持っていた箸を置くと、助けを求めるように田所に目配せをした。


 「ジョセフさんは、私のせいでお父様と仲違いを起こしてしまい、連絡しても無視されているんです」憂いた表情の田所はジョセフの手を握りしめると、話しを続け、「お母様は日本の方ですし理解はしてくれているのですが、お父様はジョセフさんが日本に留まることを強く反対されていて…」


 「そうですか、国は違えど、子の将来を想う親心は変わらないんだね、でもね、あまり心配しなさるな、お父様も異国の女と愛で結ばれているんだ、いずれきっと分かってくれるだろうよ、どうだい、もう一杯やろうじゃないか」


 時が経ちわかり合う、それは、田所もジョセフもなんとなく想像はできる。しかし、信念を持った歳上の言葉ほど、心強いものはなかった。

 

 二人に笑顔が戻り、場が和むと、改めて酒を酌み交わした。

 

 ––––なにもないように、隆吉は待っていたのだ、近道は周り道とばかりに。世間話しや、二人の将来について話しながら、その時を伺っていたのだ。


 料理も出尽くし、何本か徳利が空いた頃だった、田所から「船はどうなりましたか」と言葉が投げられた。

 

 この言葉を待っていた、隆吉はすかさず、「これが困っていましてね」そう言うと、肚に力を入れて、一瞬でシラフに戻ると、出航までに通訳が欲しい事をつらつらと説明した。


 「つまり、ジョセフさんに通訳になって欲しいということですね」


 「ええ、無理を承知のお願いです、初めての船出だし、知り合いの方が心強いんでね、勿論、報酬は今の仕事の倍は出しますよ」


 少々難しい顔をした田所の横で、赤らんだ顔のジョセフがにこやかに「マカセテクダサイ、私がお礼をする番デス」得意げにそう答えた。


 酔いもあろうが、人情に人種の違いは無いようで、ジョセフは案外すんなりと、通訳の仕事を承諾してくれた。隆吉は多少拍子抜けしつつも、一応の成功に安堵したのだった。


 後日、正式にジョセフが通訳として働けるよう契約を行うと、時を合わせたように、渋谷から伍大商会へ来るよう、連絡が入ったのである。

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