十四

 パンッパンッと柏手を打つ音が、連なる鳥居を通り抜ける。隆吉は佐助稲荷神社で、成功成就を祈念していた。

 一緒に来ている平蔵に、数日分の寝食代としては多めの心付けを渡すと、薬師寺義三郎と会うため、鎌倉をあとにした。


 –––––待ちに待った面会は、箱根小涌谷にある薬師寺家別邸の離れで行われる。


 朝方、隆吉が小涌谷の駅に到着すると、出迎えていた田所が、改札の向こうで手を振っていた。

 いい天気ですね、そうですね、などと他愛もない会話と目合わせをする。駅前の広場で、礼儀正しく待ち構える専属の運転手が、後部座席のドアを開ける。革張りのシートは綺麗に手入れされ、座り心地は上々であった。


 「倉本さん、実は面会の時間が早まりそうなのですが、大丈夫ですか」と申し訳なさそうに言う田所に対し、「ええ、問題ありませんよ、お気になさらず」と素っ気なく返した。隆吉は面会の事で頭が一杯だったのだ。成功するかどうか、不安もあったし、期待もあった。浮つく心を抑えるのは、中々に意気地を必要とする。

 

 その後、暫く山道を登ると、そろそろ目的地に着くとみえて、車は峠道の途中にある脇道へ入っていった。

 その脇道を二三分走ると、漆黒の鉄門扉が聳えていた。門を越え、さらに奥へ二三分程進んで行くと、現れたのは、奇跡的に開けた山あいの平地。そこが、薬師寺家の別邸だった。

 

 隆吉は、視界全面に広がる薬師寺家別邸を見、その奥ゆかしくも豪華絢爛で文化的な景観を肌で感じ、義三郎との格の違い…其れを味わった。そして、今の自分では辿りつけない境地に居る義三郎を畏れ、隆吉の自尊心が微かに震えた。

 

 そう感じるのも無理はない。この別邸は薬師寺家が日本でも指折りの財閥家である事を誇示している。母屋は平安時代の城館風の造りで、庭園は[池泉舟遊式ちせんしゅうゆうしき庭園]を有し、周辺の山林を含め、ゆうに二十万坪を超える広大な敷地だった。


 –––––田所は面会の準備があるといい、先に離れへ向かった。

 隆吉は、暫く部屋で待つよう言われたのに、縁側から見える銀杏いちょうの大木が、余りにも立派なので庭先で眺めていた。

 すると、田所が池中ちちゅうにある離れから手招きしているのが見えたので、離れへ歩きながら向かうと、橋が無く渡れず、離れのある中島に小舟で案内された。


 「倉本さんお待たせしました、どうぞこちらへ、先程眺めてらした銀杏とても立派ですよね、樹齢は千年近いみたいで元々此処に生えていたものと聞いています、さあ父はもう着いております」


 そそくさと落ち着かない田所に促され、十畳程のこじんまりとした和室に案内された。襖を開けると、床の間には、狩野探幽の作品であろう龍の掛軸が飾られていた。

 激烈な咆哮をする、その龍に見守られ、薬師寺義三郎はどっしりと鎮座していたのだった。

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