十三

 覚悟は時に危険な道を選択させてしまう、目標が大きければ大きい程、神はその道程を困難なものにする。それは、大きな野望を持つ者に共通する運命と云える。

 しからば、隆吉にもその運命が立ちはだかったのであろう。

 彼には、今日まで天から与えられた困難を乗り越えて来たという、強い自負があった。それゆえ、今回の件も必ず乗り越えられると信じている。

 今回の件というのは先立って述べた、渋谷達との密約の事である。国家絡みの密約に失敗は許されない、そうなった場合のリスクは大きいが、見返りはそれ以上の物である。

 だからこそ、隆吉はこの無謀ともいえる作戦を引き受けたのであった。


 ––––その日、隆吉は渋谷に呼ばれ悟大商会の応接間に居た。


 「いやあ、急に呼び出してすみませんでしたな」


 「いえ、気になさらず、渋谷さんのお誘いならどこに居たって飛んで行きます、それはそうと、今日は船の話しなんでしょう」


 「ええ、察しの通りで、船の件なんですが…少々複雑でしてな、まあ内容については、同郷の友人から説明させて頂きましょう、中津川こちら倉本さんだ」


 渋谷はそう言うと、いかにも不機嫌そうな態度の中津川に視線を送った。


「おい、善友、もう小芝居は終わりにしろ、私はこんな茶番に付き合ってられんぞ、お前が言わんなら私が言ってやる」


 「はは、まったくせっかちな男だな、物には順序があるだろうに、まったく…」


 「うるさい、何様なんだお前は、もういい、私から話す」


 馴れ合う二人を他所に、隆吉の眼光は鋭く変わり、二人に自分の秘密が知られているのを察知した。


 「確か、倉本さんと言ったね、挨拶が遅れてすまなかった、私は中津川と言う者だ、軍の秘密特殊部隊の師団長をしている、と言っても昔は一介の諜報員で大阪の岸本屋の事件なんか手伝ったこともあった、懐かしいね」


 「ふふふ、そうですか、確かに懐かしい…岸本屋の事件を知っているんですね、その時分から私は仁仏(にぼとけ)の隆吉なんて異名で呼ばれ、随分世間を騒がせてしまいました、恥ずかしい限りです」


 「ほう、案外素直に盗人だと認めるんだな、なあに、私は君を捕まえようなんて気はないよ、ひとつお願いがあるんだ、それを聞いて欲しくてね」


 「ふふ、お願いですか、それはきっと断れそうにないんでしょうな、何か取引でもあるのだったら勿体ぶらずに仰ってください」


 中津川は肚の座った隆吉の態度に感心し、ほくそ笑むと、静かに煙草を燻らせた。


 「理解が早くて助かる、うちの部下にも見習って欲しいものだな、で、君にお願いしたい事なんだが、君にはある物を奪い取って貰いたいんだ、恐らく…いや確実に今まで一番難しい仕事になるだろうね」


 「盗みですかい…残念ですが、それだけは承知できねぇ相談です、盗人からは足を洗ったんですから」


 そう答える隆吉に対し、中津川は眼を見開き、ギロリと威嚇すると、「倉本君、でいいかな、その方が呼びやすいのでね」そう言いながら、南部鉄器の灰皿で煙草を消すと、話しを続けた。

 

 「私も無理強いはしないが、その場合、君を出すところには出すから覚悟はしておくんだな、まあ、もう少し説明させてくれ、気が変わるはずさ、そのある物ってのはな、米国の大量破壊兵器だ、正確には完成前の兵器なんだが、この件については極秘中の極秘、情報が漏れれば私も命が無い、その兵器が来年の七月、海路を渡って秘密裏にアラスカに運び出される、その船からそいつを奪い取らねばこの國は終わる、機会はあっても一日半程度、考えた挙句に隙が出来そうなのは加奈陀の海域に入るほんの数時間の間だけときた、どうだ、面白そうだろう、やってみないか」


 「ええ…面白そうですね、元盗賊がこの国を守るってんだから」


 何処ともなく何かを見つめ、ほんの少し間をおくと、隆吉が話しを続けた。


 「しかし、この作戦とやらを成功させたらどんなイイ事があるんです、まして軍隊の経験の無いあっしが軍艦なんて、到底無理なお願いですぜ」


 その問いに答えず、黙って紅茶を啜る中津川を横目に、今まで何も言わずに聞いていた渋谷が腰を上げると、応接間のテーブルをぐるっと回りながら話し始めた。


 「いいかい、これは国の進退に関わる問題だ、報酬だって成功しなけりゃ出しはしない、しかし、成功したならとんでもない額のお金だろうが、想像のつかない地位だって、望めばなんでも手に入る、船にしたって、ハナから君の望む商船で作戦を実行するつもりだ、軍艦じゃ目立って仕方ない、米国も暗号では商船と偽ってアラスカに入るそうだしな」


 「なんでも手に入ると来たもんだ…」そう呟くと、自分の後ろで立ち止まった渋谷の端粛な空気を感じ、「やるしかないんでしょう」隆吉は言葉少なに答えた。

 

 この作戦が双方にとって危険な賭けであることは承知していたものの、国運は然る事乍ら、世界一の貿易商という野望へ、一気に近づくことが出来る、神の一手にも感じたのだった。


 「さすがは倉本さんだ、物分かりがはやい、それと、最後にすまないが、ひとつ厄介な事があってね…この事に関しては中津川に説明してもらおう」


 「ふん、お前という奴は…昔から面倒事は私任せで困ったものだ、で、倉本君、要(かなめ)の船についてだがね、この作戦の秘匿な性質上、こちらで準備するのは出来る限り避けたい、軍部が大々的に動けば情報が漏れてしまうやもしれん、申し訳ないが商船の調達はそちらで行ってもらいたい、勿論、出来る限りの手助けはする、安心してくれ」

 

 中津川は言い終えると、渋谷に目線を送った。


 「とまあ、そういう事なんだ、申し訳ないですが、よろしく頼みますよ、ああ、そう言えば、薬師寺義三郎の娘と交流があるそうですね、あなたならその伝手を使って商船を手に入れられるでしょう、まあ、言われなくともそうしますかな」


 「参ったね、そこまで知ってると来たか、軍の諜報も侮れないね」


 渋谷も中津川も他人事の様に軽口でよく言ってくれると思う反面、立場は違えど同じ任務を遂行する仲間意識とでも言うのか、盗賊の頃の様な、家族的な連帯感を久々に感じ、隆吉の気分は青く高揚していたのだった。

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