十二

 元吉が愛宕下町に引越してから間もなく、隆吉と元吉の二人は築地にある[薬師寺重工築地造船場]にいた。

 総トン数一万トンに及ぶ洋船の大きな甲板の上、船の設計図面を広げて、二人はああだこうだと話していた。

 船について、まるっきり素人の二人が何を思案していたかといえば、自分の部屋をどうするかとか、厠は近い方がいいとか、そんな事であった。

 さして重要な事ではないが、造船に関して竣工迄は特にやる事はなく、楽しみはそれぐらいだったので、二人は年甲斐もなく熱くなっていた。

 いつまで経っても埒が開かない、こんな時は昔から、隆吉が直感で物事を決めていた。

 いつもの様に隆吉は暫く目を瞑って考えると、「ここに俺の部屋を作るように伝えてくれ、ダメならこっちの方でいい」そう元吉へ伝えると、用事があると言い、ひとり横浜へ向かった。

 「まったくお頭ときたら...」元吉は溜息混じりにぼやくと、困り顔で首をかしげた。


 寄り道が過ぎたが、そもそも、この造船の話しがまとまったのは、ふた月ほど前の八月の事である。


 造船場の持ち主でもあり、薬師寺財閥の創業者でもある薬師寺義三郎とは、田所のお陰で繋がることができた。

 元々馬の合う二人だったが、田所とは何度か銀行に通う内に打ち解け、父が義三郎である事や恋人のジョセフの事について話を交わすほどになっていた。

 聞けば近頃の田所は、個の力ではどうにも変えられない大局に対して悩んでいた。

 それは時世である外交の悪化が進行して、ジョセフの役目が無くなれば、お役御免で米国へ帰るしかないジョセフを、どうにか日本に留めて起きたい、この事だった。

 絶妙な間であった、ジョセフの帰国を阻止できる方法に心当たりがあった隆吉は、ここぞとばかりに田所の心を掌握したのだ。


 「田所さん、ジョセフさんの事ですが、なんとか出来るかもしれない、よろしければ私に任せてくれませんか」


 「えっ、でもどうやって帰国を止めるんです、期待してもいいんですか」


 「まあ任せてください、ただし…ひとつ条件があります、見事成功したならば、御父上と会わせて頂きたい」


 「父…とですか、わかりました…頑張ってみます、でもジョセフが必ず帰国しないことが条件ですからね」


 惚れた男と好きで別れるなんて、誰も望みはしない、田所は一縷の望みをかけ隆吉を頼った。

 後日、ジョセフの日本国籍が取得されたことを田所へ伝えると、田所は諸手を上げて喜んだ。

 こうして、薬師寺義三郎との面会が決まった訳であるが、このジョセフの国籍取得には、隆吉と渋谷との間で交わしていた密約が大きく関係していた。

 とはいえ、それについて、隆吉が田所に漏らす筈はなく、どうやって取得出来たのか、田所に理由を尋ねられても、仕事の関係者の伝手とだけ説明しておいた。

 この密約には、渋谷の他に中津川も絡んでおり、謂わば国家規模の密約であったのだ。

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