七
混血の男、宮本ジョセフは日本人の母とイタリア系アメリカ人の父の間に生まれ、母国語の英語は勿論のこと、イタリア語と日本語も非常に堪能だった。
その上、学もあったので当時としてはとても希少な存在で、渡米した日本の要人の通訳をするなどしていた。そのうちに縁あって母の母国である日本にやってきたというわけである。
「イイ天気ダナ、お母さんにも見せてあげたいヨ」
ジョセフは独りごちながら、駅へ向かっていた。どうやら汽車に乗るようで、ジョセフが横浜までの切符を買ったのを確認すると、元吉も横浜行きの切符を買って乗車した。
元吉は今日に限って継ぎはぎのある服を着てきたことに後悔したが仕方ない。早速出稼ぎ人夫のような面持ちになると、三等車の汗くさい男たちに交じって到着を待った。
その頃、隆吉は銀座にいた。渋谷の事務所に行くためだった。いつの間にか、きれいな洋服に身を包み髪の毛も整えて、銀座の通りを闊歩していたのだ。
渋谷の会社、[悟大商会]は洋館風の白を基調とした佇まいで、銀座の一等地にどっしりと根を張っていた。
「ここか…」隆吉は建物を見上げ独りごちると、大きな門を開け、エントランスに居た受け付けの女に声をかけた。
「私は倉本という者ですが、渋谷さんはいらっしゃいますか、近くに来たもので、是非お会いしたく、立ち寄らせていただいたのですが」
「倉本様ですが、大変失礼ですが社長とはどのようなご関係でございますか」
「ああ、これは失礼いたしました。デニズ商会の倉本と伝えてくれたら分かると思います」
「左様ですか…少々お待ち下さい」
女は受付の横にいた使用人に言伝を頼むと、隆吉を入口脇の待合室へ案内した。
しばらくして、戻ってきた使用人が女に小声で何か伝えると、「倉本様、それではご案内いたします」女は表情を変えずにそう言うと、洋靴の足音をカツカツと響かせながら階段を上り、二階の突き当たりにある応接室の扉を開け、「こちらでお待ち下さい」そう言って一礼すると、足音を響かせて受付へ戻って行った。
応接室は、和洋問わずの高級な家具や調度品であしらわれ、悟大商会が超一流の貿易商社であることをものがたっていた。
「よく此れだけの物を集めたもんだ…」隆吉はそう思いながら、大きなテーブルの周りをぐるっと回り、窓際のサイドテーブルに置かれた青白磁の花瓶を眺めていると、渋谷が現れた。
「これは、倉本さん、だいぶお待たせしたようで、わざわざすみませんな」
「いえ、こちらこそ、なんの連絡もせず、突然訪ねてしまい申し訳ありません」
「いや、いいんですよ、そうでもしないと会うことなんてないんだから、ところで、今日はどのようなご用件です、倉本さんに限って、用がないなんて事ないだろう」
「なんとも忝い、ご察しのとおり、今日は少し頼みごとがあってきたのですが」
––––そうかぁ、あちらから来てくれるとは都合がいい…渋谷は心で呟くと、大盗賊[
「はは、そうでしょうそうでしょう、私はね、こう見えて勘は鋭いんです、それだけは誰にも負ける気がしないんですよ、で、その頼み事とはなんですかな」
「ええ、頼みというのは船なんです…船がほしいんです、小さな船じゃない大きな船です。日本と外国とを行き来できて、たくさん荷物の詰める船が欲しいんです」
「なんと、船か、しかも貿易船ときたか、なんとも倉本さんらしい大きなお願いだ、しかしね、貿易船はなかなか手に入れられないよ、大体どれくらいの金が必要かご存じですかな、そこらの国の国費だろうとそうそう買えやしない、それが個人で買えるなんて思っちゃいけないよ、いいですか、まず貿易船っていうのは…」
「いいや、渋谷さん金ならいくらだってあるんだ、私の家は古い豪族の家系でしてね、世に出ていない裏の金が腐るほどある、それを元手にするつもりです、なん千年と蓄えても使い場所なんて一度もなかった金が、いま役に立つんだ先祖も喜ぶはずですよ」
「なんとまあ驚きましたな、倉本さんは豪族の末裔だったわけか、なんだか嘘みたいな話しだが世の中そういうものだ、しかもこんなご時世で明るい話題もあまりないんだ、ヨシ、ここはわたし渋谷善友一が肌脱ぎましょう…と言いたいところなんですが、なんとも難儀なお願いだ、確約は出来ませんが、少ない伝手を当たってみましょう」
もちろん、渋谷は隆吉の話が全部嘘なのは知っている、しかし船が欲しいといのは予想外だった、一体なんのために使うのか見当がつかない。
それでも、まずは、相手の思う通りにことを進めてみるのが得策だと、隆吉の希望通りに船の調達を手伝う事を約束した。
「では、渋谷さん宜しくお願いします、これが私の東京の居所です、なにかあればここに連絡をください、進展があればすぐにお伺いします」
要件が済むと隆吉は伍大商会をあとにした。
しかしながら、まだ日の高い銀座は行き交う人で賑わい、都会の日常をあるがままに映していた。まだまだ終わりそうにない今日、隆吉はなにかに期待をしていた。
そう遠くない未来、見た事のない未知なるものが大きな花を咲かせる、そんな気がしてならないのだった。
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