夕刻前の空に白煙を棚引かせた汽車が田園地帯を越えると、まもなく汽車は東京駅へ到着した。

 田舎とは違って活気のある東京だが、近頃は何とも言えない薄暗い閉塞感が漂っている。それでも、不安など何もないようにして人々は平静と暮らしていた。力無き者に潮流は変えられず、黙って流されるしかなかったのである。


 「いあー、やっと着きましたな。しかし…最近は東京も暗くなったもんです、見てくださいこの人々の顔つきを、行き場のない不安が滲みでているのが私にだってわかるんだから、世も末と言うのはこのことですな。ああ嫌だ嫌だ、こんなの東京じゃない…私は早いとこ明るい我が家に帰るとしますよ。それでは倉本さん、また日取りのよい日にお会いしましょう」


 「ええ、また後日」


 隆吉は渋谷と別れると、芳醇な呼気を引き連れて、寄り道もせず上野谷中の知り合いの元へと向かった。

 本来なら久々に東京へ来て、色々と遊びたいところではある、しかし、今日はそんな気持ちを忘れるほど、心は昂っていた。

 

 しばらくして、谷中の外れにある長屋に着くと、六件ほど並んだ家の一番奥の一軒が、玄関の戸口の上に黒塗りの竹笠を飾っているのが見えた。

 隆吉はそれを確認すると、その家の扉をトントンと軽くたたいて、久しく口にしていなかった名前を呼んだ。


 「元吉、元吉は居るか」


 「誰だ、ここには元吉なんてもんは居ねえよ」


 「ふん…おれだ、隆吉だ」


 「お、お頭!!!」


 驚いた元吉はバンっと扉を勢いよく開け開くと、あたりに誰もいないのを確認してから、隆吉を家の中へ向かい入れた。

 元吉の住む長屋は江戸時代の造りをそのまま残している、謂わばこの時代の古民家であった。

 間取りは、玄関台所の土間と板張りの居間と寝室の二部屋の合計三部屋からなっている、そこに元吉と妻のおよい、三つになる息子の一郎と生まれたばかりの娘のよしえの四人で暮らしていた。


  「お頭すまねえ、こんな狭くてきたねえところだけど上がってくんない、おい、一番いい酒と飯の用意だ、それとな今日はボンたちはあれだ、天王寺の婆さんのところであずかってもらえ、いいな」


 「いいんだ、あまり気ぃ使うな話がすんだらすぐ帰る、なにも要らないよ」


 「へい、そうですか、それじゃあ、お言葉に甘えて…最近入用が多くて金欠気味だったんで遠慮なく、で、その話ってのは…」


「うむ…」


 とは言うものの、さすがに妻子のいる場で話せる内容ではないので、隆吉はおよいにそっと心付けを渡すと、少しの間、子供らと外出してもらうよう頼んで話しを続けた。


 「いいかぁ…元吉よ、俺はな盗賊をやめたぜ、正真正銘の堅気になったんだ」


 「お頭が堅気!うそは言っちゃいけねえよ、お頭は盗賊以外勤まらねえ人間だ、それはお頭のこと知ってるやつなら皆わかりますぜ、まったく久しぶりに会ったってのに冗談がきついですぜ」


 「ふん、嘘じゃねんだ、お天道様に誓ってそう言えるぜ、でもな…今度はその盗賊以上にでけえお勤めになるかもしれねえ」


「と、盗賊…以上」


 隆吉のその言葉に元吉は唾を呑み込むと、長屋の小さな格子から差し込む夕刻の紅い光が、神妙な顔付きの隆吉をねっとりと炙り出していた。

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