《流れ人(エトランゼ)》Ⅱ

 鎧の代わりにくしゃくしゃの癖っ毛、シンプルで飾り気のない黒い長袖の上下はほとんど部屋着のそれ。猫背で縮こまりながら、おろおろとしている様は、戦闘中の勇ましさとは似ても似つかない。

 ただ、それでも彼女があの鎧の中身である、と、その場にいる誰もが確信できた。


 なにせ、大きいのだ。鎧のかさを引いてなお、座高だけで立ったイツキと目線が同じである。


「あの、戦闘中とだいぶ性格が違うような……」

「み、見くびられないように……ちょっと、強気にしてて……」


 ティックが現れた辺りから、もう大分地金がでていた気はするが……イツキに同調して泣いていたあの姿が、ワーブの素なのだろう、とアンゼリセは判断した。


「よ、鎧を一瞬で脱いだのは……?」


「き、《金属鎧》スキルのアビリティで……【装備換装リプレース】っていうんですぅ、毎回着替えるのは、大変なのでぇ……、」

「へー、便利だなあ」

「世間話がしたいわけじゃない。ワーブ、飲むならさっさと飲め」

「は、はい、ごめんなさい、アニキ……」


 叱られ、しゅんとしながら、大きな手で小さなカップをつまむように持ち上げて、ちみりと舐めるように飲む様は、何かの騙し絵にすら見える。


「……あ、美味しい…………ほっとしますぅ……」

「…………はぁ」


 お茶の味に表情を緩めたワーブを見て、ティックは頬杖を突いた。

 傍らの相方が何を言い出すのか、察したのかも知れない。


「……その、アニキ。私は……イツキさんと、パーティを組むの、悪い話じゃ……ないと思うんですよぉ」


 兜を外して、声がよく通るようになったせいか、若干、語調を間延びさせながら、ワーブはゆっくり、言葉を噛みしめるようにそう言った。


「ワ、ワーブさん……いや、ワーブ様!?」

「多分だけどそなた今は喋らんほうがいいと思うぞ」


 幸い、二人はイツキの挙動を無視して話を進めてくれた。


「……それはこいつが《流れ人エトランゼ》だからか?」

「それも……あるけど、それだけじゃなくて……わ、私たちがやろうとしてることは、その……凄く、難しいと思うので……普通のやり方じゃ、駄目だと思うんですよぉ」


 口調は頼りなく、目も泳いでいるが、発せられる言葉そのものには、強い芯があった。


「今から、他の仲間を探すのに、どれぐらい、時間がかかるか、わからないし……ルビーを餌に、強そうな人を見つけて、スカウトする、作戦は……もう、失敗しちゃったし」

「ああ、やっぱりあのルビー自体は釣り餌じゃったのか」


 こくりとうなずくワーブ。まあ釣れた魚はなんかちょっとバチバチやばいのを垂れ流す電気鰻だったので、うん、本当に大失敗だ。


「……仮に、見つかっても、多分、その人たちは、イツキさんより強いとは、思えないですしぃ……」


 アンゼリセの目線で見ても、その意見は正しく感じる。大前提としてワーブの戦闘力は、酒場でたむろしていた低階層クラスの探索者の中ではトップクラスに入る。そしてイツキがそのワーブに勝利したのは、揺るがない事実なのだ。


 付け加えるなら、ワーブとイツキは戦闘面での相性も良い。ワーブが前線で敵を食い止めている間に、【雷槌】による中距離攻撃の援護が可能になるからだ。


「それに……やっぱり、その…………」


 そして、最後の一言は、風船から空気が抜けていくように、しぼんでいく言葉だった。


「一人ぼっちは…………寂しいと思う……」

「………………」


 憮然とした表情のティックは、何も言い返さなかった。

 理路整然と正面から反論するための言葉を組み立てているのか。

 あるいは、相方の言葉を噛み砕き、その中身を検討しているのか。

 しばらく沈黙を続けていたが、やがて、口を開いた。


「……イツキ、って言ったな。一つ聞きたいことがある」

「何でも聞きな! つまびらかに答えるぜ!」

「《流れ人エトランゼ》のお前は、迷宮に何を求める?」


 鋭く細められた、ティックの金色の瞳が、イツキを凝視している。


「………………」


 おちゃらけてばかりのイツキだが、それでも理解できたことだろう。

 この返答をふざけたら、今度こそ、この話はおしまいだと。


「…………正直、別に何も求めてない」


 だから……素直に答えた。少なくともアンゼリセには、そう聞こえた。


「身一つで食っていくなら探索者しかないぞ、って言われたから、とりあえずやる事になっただけで、そんな真面目な志とか理由とか、そーいうのは、俺にはない」


 頭を掻きながら言い放つそれは、いっそ、申し訳無さそうですらあった。


「でも、ここで生きていく方法がそれしか無いなら、俺は頑張るし……その為にできることとやれることを精一杯やってる……って感じかな。ま、あとはティックの言うとおりだと思う」

「……僕がなにか言ったか?」

「さっき言ってたじゃん。人間同士でやりあうよりはマシかなって」

「……………………」


 大きく、大きく息を吸い込んで。


「はぁぁ…………」


 鼻から、時間をかけて、ゆっくり吐き出して……ティックは、ワーブの肩を叩いた。


「ア、アニキ?」

「ワーブ、本当にこいつは強いんだな?」

「う、うん……それは、絶対、間違いない」


 普段は気弱で、自分の意見をはっきり告げることの少ない相方が、それだけは間違いないと断言したのだ。


「………………わかった。条件付きで、パーティを組んでもいい」


 ならば、試すぐらいはいいだろう、ティックはそう判断して、頷いた。


「マジでマジでマジでマジでマジでマジで!? 本当に!? 嘘じゃないよね!? 無しっていうの無しだからね!? うおおおおおおお! 来たァァァァァァ!!!」

「条件付きって言っただろうが!」

「今の俺ならある程度の不平等条約でも飲むが!?」

「得意満面に言うことじゃないだろ……まず、報酬はきっちり人数で割る。特別なことがない限り、探索の稼ぎは都度換金するか、現物を得る場合は同額の分前を分配する」

「おう、そりゃ当…………」


 当然だろ、という言葉を遮って、ティックは告げた。


「《聖滴イラリス》というアイテムを見つけたら、無条件で僕が貰う。分前も無しだ」

「いらりす?」


 イツキの疑問に答えたのは、オルレアだった。


「あらゆる傷を治し、呪いを解く……SS級の魔法具マジックアイテムですね。【ランペット宝樹迷宮】でもめったに見つかることのない、貴重品です」

「へー、便利なもんがあるんだなあ」


 《流れ人エトランゼ》故に世情に疎いイツキには、それが意味する所がまだ把握しきれない。

 だからオルレアは、ティックが告げたその条件がどういう事であるのかを、そっと付け加えた。


「以前見つかった際は、確か……二億ディオールで取引されたかと」

「へー二億かー、すげえなー………………二億ァ!?」


 文字通りの桁違い。破壊した軽合金剣ライトメタルソードの代金である五〇〇〇〇ディオールをちまちまと返済している最中のイツキには、まったく想像がつかない額だろう。


「それぐらいはするじゃろうな。高位のクランなら装備の素材としての需要もあるし、金に糸目をつけない王侯貴族連中も欲しがるからの」


 つまりティックの宣言はこういうことだ。売れば二億になるアイテムを自分がもらうし、その分前もない、と。


「じゃが、確かに〝砂時計の呪い〟を解くには《聖滴イラリス》くらいしか手はないの」

「お察しの通り。僕はこの呪いを解くために迷宮に挑んでいる」


 ティックは手袋の上から、右手の甲を撫でた。


「あのクソみたいなクランから抜け出すには、それ以外ないんだ。イツキ・アカツキ……この条件が呑めるなら、組んでやる」


 そもそも……この場でパーティを組んだとして、《聖滴イラリス》に辿り着けるかどうかはまた別問題。数多の冒険を超えて、確かな実力を備え、その果てにあらゆる運を注ぎ込んで、それでも手に入るかどうかはわからない、SS級の魔法具マジックアイテムとはそういうものだ。

 『もし伝説武器レジェンダリーウェポンを発見してすごい力を手に入れて、有名になっちゃったらどうしよう』なんていう新人探索者の妄想と、語る内容はさして大差ない……いや、武器もないのに燃やしてるやつもいるが。


 けれどティックの目は、揺るがない。真剣そのものだった。

 冗談でも、願望でも、希望的観測でもなく、本気でそれを手に入れるつもりなのだと。

 問いかけに対し、イツキはうん、と一つ頷いて。


「いーよー」

「……………………お前、ちゃんと考えたか?」

「考えた考えた、すげー考えた。考えたけどさあ」


 バツが悪そうに頭を掻いて、天井を仰ぐ。

 壊れた屋根の隙間から、小さな青空が除き、緩やかに陽の光が差し込んできて、眩しそうに目を細めた。


「今の俺って目的がないんだよな。正直、この生活に慣れるので手一杯だしさ。俺がえとらんぜ? だかなんだかってのはわかったけど、んだろうし」

「……イツキ、そなた」

「あー、アンさんにはわかるか、うん、。あっちでやるべきこと、全部放り投げてきちゃったんだよな、俺」


 だからさあ、とぐい、と再び顔をティックに向けて、笑った。


「金もそりゃ大事だけど、俺が欲しいのは仲間だからさ。〝呪いを解くためのアイテムを手に入れる〟ってのは、俺にとってちょうどいい目標なんだよ」


 イツキはそのままつかつかと壁まで歩き、空いた穴に向かって大きな声で叫んだ。


「俺が! 欲しいのは! 仲間だからさあ!」

「聞こえとる聞こえとる」

「だから俺はいいぜ! 契約書をよく読まずサインし、後々後悔することになろうとも! 目先の寂しさをごまかす道を選んでやる!」

「途中までいいこと言っとったのに……」

「アニキ……」

「わかったから、そんな目で見るな、ワーブ」


 無駄な叫びの為に壁際まで移動したイツキの為、ティックも椅子を降りて歩み寄り、手を差し出した。


「まずは一度迷宮に潜ってみる。連携や価値観に問題がなければ本格的に考えていく。それでいいな?」

「ああ、勿論だぜ!」


 小人族の短い腕と小さな手を、イツキは強く堅く握り返した。

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