ティックとワーブ Ⅸ


 ●


 女神本人が言う通り、一同が案内された大広間の壁はほぼ半壊していた。屋根と、座るところがあるだけ外よりマシ、程度のものだ。


 それでも、立派な大理石のテーブルは四人が思い思いに座っても問題ないほど大きく、その上に置かれたティーセットは、古いながら精緻な装飾が施された高級品で、長年大事に使われていることが見て取れる一品だった。


「まあ、茶ぐらいは淹れてやろう、しばし待て」


 神に給仕をさせるなど不敬であるが、お茶を上手に淹れるのはアンゼリセの密かな趣味なので、客人に振る舞う機会があれば一仕事ぐらいしようというものだ。


「あー、オルレア……、話の前に傷を治してもらっていい?」

「そなた、攻撃は全部避けてたではないか」


 茶葉をティーポットにいれながら、アンゼリセが首を傾げる。


「いやほら、鎖で綱引きしちゃったじゃん?」


 イツキが両手を開くと、なんというか皮がめくれて肉が削れて、一言でいうとかなり痛そうな傷ができていた。


「うげ」

「うげって言うなよ! すげぇ力だったからこらえるのが精一杯でさあ」


 肉体の強度を上げるアビリティ、【雷帝竜の堅鱗】を取得していたはずだが、それがあって尚、ということらしかった。


「むしろ、よくワーブと綱引きができたな」


 ティックが真横のワーブに視線を向けた。


「手を抜いたわけじゃないんだろう?」

『本気だったよ、アニキ。最終的に、力比べでは勝ったけど……』

「あとアンさんにひねられた首が今も痛い」

「それは耐えろ」

「無理だよ!! ぐきって言ったもん!! 戦闘中も首動かすの辛かったんだぞ!」

「くす、かまいませんよ」


 小さく笑ったオルレアは、両手を組んで目を閉じた。


「『夜の涙、星の雫、月の光の粒を一滴、慈悲を受け止める手のひらはここに』」


 その指と指の隙間から、淡い青色に光る、砂のような小さな粒がこぼれ落ちて、イツキの体を包みこんでいく。


「【治癒の光ヒールレーア】」

 その粒一つ一つが、痛みを和らげ、傷を塞ぐ効果を持つ。


 【治癒の光ヒールレーア】はオーソドックスな治癒魔法だが、それ故に効果は使い手の能力に大きく左右される。

 その点、詠唱を省略せず、祈りの形に手を組む、という『儀式』を経由したオルレアのそれは、《祈り》スキルによってひときわ高い効力を発揮する。


 まあ、イツキの負傷の程度を考えると、完全に過剰回復オーバーヒールではあるが……。


「っしゃあ回復ゥ!」


 ぐーぱーと手を開いて握って、ついでに首を回して可動域を確認。さすがの治癒力だった。


「……特化型のシスターか、今時珍しいな」


 ティックの呟きに、オルレアは苦笑しながら頷いた。


「非効率は承知の上ですが、こちらのほうが性に合うので」

「いや、むしろ僕たちにはそっちのほうがありがたいか……シスター・オルレア、この後少し話を……」

「俺をハブろうとしてない!? 俺をハブろうとしてるよね!?」

「ちっ……」

「舌打ちしやがったこいつ! あ、そうそう、サンキューオルレア」


 イツキは道具袋を漁ると、皮の小袋――財布を取り出し、


「またよろしくな!」

「はい、確かに」


 

「えっ……」

『えっ……』


 ティックとワーブが、同時に二人を見、イツキとオルレアもまた、視線を返し、同時に首を傾げた。


「どうかしたか?」

「いや、その……」

『お、お金、払うんですね……?』

「おいおい、そりゃあそうだろ、傷を治してもらったんだから。なあオルレア」


 至極当然、という態度のイツキの傍らで、オルレアはただ静かに微笑んでいるのみだった。


「この後、少しなんですか?」

「いや、なんでもない忘れてくれ」


 凍りついた空気を溶かしたのは、お茶を淹れ終えたアンゼリセだった。


「治療は終わったか? ほれ、ロックの奴が土産で買ってきた茶葉じゃ、品は良いはずじゃぞ」


 アンゼリセ手ずからカップがそれぞれの前に置かれ、いったん、場が仕切り直された。


「じゃあ……改めて言うぜ!」


 イツキはばっ、と立ち上がり、テーブルに額を叩きつける勢いで腰を折った。


「俺とパーティを組んでください!!!!!!」

「嫌だ」

「どうしてよォォォォォォォォォォ!」

「この流れやるの二度目じゃから要点だけサクサクまとめよ、サクサク」


 場所は提供したが結局他人事なので、一人優雅に茶をすすりながら続きを促す。


「じゃあなんで場所を変えたのよォォォ!」

「ルビーの所在をはっきりさせる為だ」


 ティックはあっさり告げると、テーブルの上にルビーを置いた。

 改めて見ても上等な品だ。古来より宝石には様々な効果が見出されてきた。ルビーが象徴するのは炎、熱、生命……これを専門家が加工すれば、耐熱に優れたアクセサリや、炎の属性を帯びた武器などを生み出すことができるだろう。


 その原材料としての価値も鑑みれば、一〇万ディオールという価格も低く見積もられている気はする。アンゼリセ自身は《鑑定》スキルを有さないので、感覚的な話だが。


「ルビーを担保にパーティを組めというのであればお断りだ。かといってタダで返して貰う義理もない。お前のやったことははっきり言って迷惑だ」

「そこまでバッサリ言われると返す言葉がないじゃん!」

「言葉を返させねえようにしてるんだよ」


 本当にバッサリだった。

 実際、ティックが嫌ならこの話はここで終わりなのである。求愛と同じようなもので、求めた側は相手の出した結論を受け入れる他ないのだから。


 まあ、だからといってこれで終わってしまっては、流石にイツキが居た堪れなさすぎる、と思い、アンゼリセはとりあえず会話を続けるための助け舟を出すことにした。


「そなたたちはどこの迷宮都市からランペットここに来たのじゃ? 近隣なら【ロマンシア地下迷宮都市】か【ダチュラ草原迷宮都市】か……」

「【サガオ山脈迷宮都市】だ。【砂場遊びサンドボックス】の拠点がある」

王国ウサッチィの外か……。そりゃやりにくいじゃろう。どっち側じゃ?」

共和国ミリンの方だ。公国シトゥヒナには伝手がない」


 ウサッチィ王国から北、隣国であるミリン共和国とシドゥヒナ公国を隔てる高い高いサガオ山脈の迷宮ダンジョンは、あろうことか両国の国境にまたがる形で生じてしまった。

 両国側に複数入口があり、内部で合流する構造となっている為、魔物相手よりも両国家に所属する探索者同士での争いが絶えない、過酷な迷宮ダンジョンだ。


「人間同士で争うよりは魔物を相手にしたほうがいい。【ランペット宝樹迷宮】は高階層が手つかずの未踏の迷宮ダンジョン、挑む価値は充分にある。何より治安がいい」


「それはまあ、そうじゃな」


 実際、七〇階層で足止めを喰らっているのが現状で……だからこそトップクラン四つが手を組む事になったわけだが、迷宮そのものの完全踏破は、まだまだ先のことになるだろう。その間に、彼ら駆け出し探索者が大きく成長することは、充分にあり得る。


「ていうかさあ」


 イツキは腕を組みながら、感心したように頷いていた。


迷宮ダンジョンってそんなに沢山あるんだ。ここだけだと思ってた」


 本人にとっては他愛ない感想だったことだろう、しかし周囲はそうは取らなかった。


「「「「……………………」」」


 ティックの表情が憮然としたものから、困惑に変化した。兜があるからわかりづらいが、ワーブも同様だろう。イツキのイカれた挙動に比較的寛容なオルレアですら、ぽかんとした様子だった。

 アンゼリセのみ、眉をひそめてむむむ、と唸るのみだ。


「な、なんだよ、皆して俺を何だこいつ、そんな事も知らないのかと言いたげな目線を向けて……」

「言いたいことが伝わってるようで何よりだが……お、お前、今までどうやって生きてきたんだ……?」

「仕方あるまい」


 アンゼリセは、一口茶を含んで、喉を湿らせてから、告げた。


「こやつはから流れ着いた《流れ人エトランゼ》じゃからな」

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