《温水洗浄付きWC》 Ⅰ

「その……アンゼリセ様、お疲れですか?」

「…………わかるぅ?」


 オルレアの白い背に指を這わせながら、アンゼリセは大きくため息を吐いた。

 顔に出ているのは良くない、心配をかけてしまう……とは思うものの、体と心は正直だ。


「もしお手伝い出来ることがありましたら、遠慮なく言ってくださいませね、アンゼリセ様。私でお役に立てるかどうかはわかりませんが……」

「………………」

「……アンゼリセ様?」

「……オルレアは……良い子じゃなあ……温かいなあ……」

「ど、どういたしまして……?」

「そなたは擦れてくれるなよ……そうそう、ギルドで黒髪の男を見つけたら気をつけるんじゃぞ、間違っても――」

「あ、イツキ様のことですか? 先日、臨時パーティを組ませていただきましたが……」


 まふんっ。


「きゃあ!」


 今のはアンゼリセがオルレアの背中に柔らかく額を叩きつけた音である。


「あ、あの、アンゼリセ様?」


 その姿勢のまま動かない女神に、オルレアの声は心配の色を濃くした。


「……何もされてはおらぬな? 変なスキルを目覚めさせるよう要求されたり……変なスキルを目覚めさせるよう要求されたり……」

「わ、私は《技能樹》を操作する能力はありませんので……」


 そうだった。

 あいつの直接的な被害を受けるのはいつだってアンゼリセだけなのだった。


「変わったスキルを持った方、というのはわかるのですけども……炎と雷、二つの属性を操る戦士として、最近、名を聞くようになりました」

「戦う上ではメジャーと希少属性の両取りじゃからのう……」


【ランペット迷宮】はその名の通り、巨大な樹の内部に生じた迷宮だ。必然的に炎を弱点とする魔物が多く――無論、低階層の話であり、それだけで戦えるほど甘くはないが――イツキの攻略範囲ならば、それこそ木の棒を振り回して使い捨てるような戦い方でも十分通じるだろう。

 それに加えて【雷】は、そもそも扱える人間の少ないレアスキルの類だ。


『神がもたらす裁きの光』であり、未だ人知では掌握できない天の力。

 確認されているだけで数万を超えるスキルの中で、雷属性を攻撃に使用できるのは、わずか九つの系列のみ――いや、最近一種増えたが。


 とにかく【雷】に耐性を持っている魔物がほとんどいない。

どころか、駆け出し探索者が苦戦する筆頭である、頑強・頑丈を売りとする金属質の体を持つ魔物に対してはクリティカルな弱点となる。

 それ一つでパーティ内の役割が手に入るぐらいには、有用な能力と言えるだろう。

 だけどさあ、それがぽっと湧いて出た規格外の伝説級スキルとなるとさあ、ちょっと扱いがさあ……。


「…………いかんいかん」


 人の《技能樹》を弄ろうというときに、他の者のことを考えるのは大変良くない、反省せねば。

 そんなアンゼリセの挙動不審というか、様子のおかしさを目の当たりにして、オルレアは苦笑しながら言った。


「……アンゼリセ様、その、一度ギルドの方にいらっしゃいませんか?」

「うん?」

「よろしかったら、日頃のお礼になにかご馳走させていただければと。ヴェルミーさんもよくアンゼリセ様の様子をお尋ねになられますし……」

「…………そういえばしばらく顔を出してなかったのう」


 探索者ギルドの本部、つまりは迷宮を出入りする者達が集まる場所だ。諸事情からあまり近寄らなくなってしまったものの、考えたらイツキを寄越したのもあそこだ、一度ツラを拝みにいくのも確かにありかも知れない。


「……しかしのう」


 アンゼリセは知っている。

 創造神の教えを守り、清貧を旨とするオルレアであるが……彼女もまた迷宮に挑む探索者であり、有り体に言えば事を。


 基幹迷宮を持つこの街は、世界的に見ても栄えている迷宮都市だ。

 栄えていれば人が増える。人が増えれば問題も生まれる。


 冒険を求めて街を訪れた探索者同士が出会い、番となり、子を産み、そして――迷宮に呑まれて帰ってこない……なんてのはよくある話だ。

 そして元が旅人だけに、近隣に親類縁者といった引き取り手も居ない『迷宮孤児』は、いつだって迷宮都市の悩みのタネとなる。


 街にいくつかある教会が世話をするか、人手を求める組合が下っ端の雑用として引き取るか……いくつかの道は在るにせよ、決して豊かな生活を送れるわけではない。 


 オルレアもそんな迷宮孤児の一人で、彼女が迷宮に潜るのは、同じ教会で暮らす弟たち妹たちに、満足な暮らしと学びを与えたいという一心からであることを――――アンゼリセは知っている。

 そんな彼女に奢ってもらう、というのは、立場を考えればなんとも気が引けるものだ。アンゼリセは飲まず喰わずでも、疲れるだけで死にはしないとあらばなおさら。


 何を考えているのか見て取ったのだろう、オルレアは苦笑しながら、アンゼリセの髪の房を柔らかく手にとって、指先で軽く撫でた。


「ご心配なさらずとも、私だって自分が自由に出来るお金ぐらいはちゃんと持っておりますよ? 感謝の気持を寄進で伝えるのも、私の仕事の一つです」

「…………うむ」


 そうまで言われれば断るのも申し訳ない気がしてきた。帳尻は、いつかどこかで合わせればよいか。


「そなたの予定は大丈夫なのか?」

「もともと《技能樹》の調整が終わったら、ギルドへ向かうつもりでしたので、是非」


 オルレアの予定も崩さないというのであれば、まあ、断るのも悪かろう。


「そういうことであれば馳走になろうかの……うむ、《守護》スキルまであと一歩、じゃな。わらわの手がなくとも、なにかのキッカケがあればその場で目覚めるかもしれん」

「本当ですか? ふふ、楽しみです」


 《信仰》から始まるオルレアの《技能樹》は《治癒》、《浄化》、《祈り》、《聖歌》――このレベル帯の探索者にしてみればスキル数は少ないが、その分密度が濃く、そびえ立つ幹はもはや微塵も揺らがない。

《守護》が得られれば、そこから派生する《祝福》に《天与》や、複合上位スキルも見えてくる。ますます明日が楽しみな少女だ。


 やはり、見守るならこういう《技能樹》がよい。

 アンゼリセは久しぶりに穏やかな気持ちで、作業を終えた。


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