12

中学二年の夏、エースになった氷真は練習中に足を怪我をした。全治一年の大怪我。中学の間にはサッカーがもう二度とできないと言われていた。私はそんな氷真を助けるために、マネージャーを辞めた。


「悪い、美桜…」


「ふん、気にする必要はないわ」


松葉杖をつきながら、歩く氷真の隣を私は一緒に歩く。もう三か月近くこの生活をしている。


「ねぇ、おばさんに車で送ってもらうように頼めば…?」


「母さんにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない…」


1キロ近くある学校まで、氷真は松葉杖で向かうことになっていた。氷真は家族と仲が良くない。その理由はどう聞いても氷真が悪くない。ただ、それでも氷真は自分が悪いと思っている。だから、家族の手を頑なに頼ろうとしない。


「はぁ…ちょっと待ってて。忘れ物した」


「ん?ああ、それなら先に行ってる」


「分かったわ」


松葉杖をつきながらだから、すぐに追いつけるだろう。私は少しだけ小走りで、元来た道を角を曲がった。そこには、


「美波姉さん」


「あ、美桜ちゃん…」


今年、高校に入学した美波姉さんが、そこにいた。氷真の義姉だが、私も姉のように慕っていた。元々、大人びていた美波姉さんはさらに綺麗になっていた。


「心配なら、声かけたら?」


「…無理だよ。私が話しかけても、辛そうな顔をするし、それに…」


氷真はあることがきっかけで家族の中で唯一心を許せた美波姉さんとすら、仲たがいをしてしまっている。結論から言えば、美波姉さんが悪い。もちろん、情状酌量の余地はある。それは美波姉さんも自覚している。


ただ、救いようがないのは氷真自体が美波姉さんではなく、自分のせいだと思い込んでしまっていることだ。氷真は美波姉さんを全く責めていない。自分が悪いと思っている美波姉さんと、自分が悪いと思っている氷真。どこまでいっても平行線だ。


「めんどい姉弟ね…」


「うっ、いつも迷惑をかけます…」


「いいわよ。彼女だし、このぐらいは当然だわ」


美波ねぇさんは、きょとんと一瞬、私を見ると、そして、すぐに微笑んだ。


「ふふ、羨ましいなぁ…ヒョウちゃんには最高の彼女がいて…」


「何を言ってんの。私からしたら、こんなに最高の姉がいて、なんでこんな風になるのか意味が分からないわ。まぁ、後は私に任せてよ。二人の、ううん、家族と氷真の仲を取り持つから」


「…うん、お願い。それじゃあ、私も学校に遅れちゃうから」


「ええ。またね」


「うん、またね」


そういうや否や美波姉さんは反対側に走っていった。通学路も反対だというのに、わざわざ氷真を追いかけてくるぐらい心配なのだ。どれだけ美波姉さんが氷真を愛しているのか理解できないのだろうか。


まぁ…今、それを言っても氷真は自分を責めるだけだけど…


「本当に面倒な人たち…(ボソ」


私は氷真を追いかけた。


━━━


私と氷真は別クラスだ。だから、授業中に助けるといったことはできない。けれど、私は彼女なので、休み時間のたびに氷真の近くに行っていた。今みたいに移動教室があるときは、やはり氷真には助けが必要。クラスメイトに頼ればいいのだが、氷真は絶望的に誰かに頼るというのが苦手だ。


だから、私が助けなければならない。


「毎日、ありがとう。美桜」


「私は、あんたの、か、彼女なんだから、気にしないでいいの」


「それでもだよ…」


彼女だから、大好きな彼氏を助けるのは当たり前だ。それに氷真には助けられてばかりだった。だから、私としては氷真が私を頼ってくれる状況に感謝すらしていた。


「うおおおお!サッカー部が県大会ベスト8だってよ!」

「しかも、エースの先輩がハットトリックを決めたんだって!」

「はぁ、カッコいいなぁ」


「…」


万年、最下位だったサッカー部が県大会でベスト8を決めた。誰もが強くなったサッカー部の話をしていた。私は自分の間の悪さを呪った。今の氷真に一番聞かせたくない話題だった。


「凄いな…俺なんか本当に必要ないんだな…」


自嘲気味に話す氷真を見ると、胸が裂けそうになる。何より悲しいのは氷真は本心からそれを言っているということだ。


「…そんなことはないわよ。今のサッカー部を作ったのは氷真でしょ?氷真がいればもっと先に行けたわ」


「美桜…」


「あんたはサッカー部を変えた。万年一回戦負けのチームを一人でなんとかしたのよ?誰も成し遂げられなかったことを成し遂げたの。だから、今回の怪我だって、どうとでもなるわ!」


「…そうか…そうだよな」


少しだが、氷真の瞳に活力が戻ったように感じる。


「ええ。私もあんたの怪我を治すために全力を尽くすから、絶対に治しましょ」


「ああ、俺は最高の彼女に恵まれたんだな…」


「なっ!あんたはすぐにそういうことを~!」


「本心だからな」


「もういいわ…」


天然でクリティカルなことを言うから私は心臓に悪い。けれど、氷真が元気になったのならよかった。


私は今のサッカー部とそれを褒めたたえる周りの奴らが嫌いだ。傷心中だった氷真が本気でサッカーと向き合った時に、周りの人間は私たちをこぞって馬鹿にした。氷真はどう思っていたのかは分からないが、私は悔しくて仕方がなかった。


大好きな氷真を馬鹿にする周りの奴らに腹が立って仕方がなかった。いつか、氷真が偉業を成し遂げた時に、あいつらを見返すために私も本気で氷真に付き合った。その結果、一年生でレギュラーになり、県大会に出場できた。


そこから、周りの人間が一堂に手のひらを返した。日に日に、成長していく氷真とサッカー部を皆が褒めたたえた。私は「ほれ、見たことか!」と思った。私の氷真の凄さを思い知れ!と鼻が高くなった。私たちを見て馬鹿にしてきた人間が悔しそうにしているのを見ると、気分が良かった。


そして、氷真は私に告白してきた。もちろん私は二つ返事でOKをした。氷真は自分に自信がなかったから、この告白はすべてが好転していくものだと思った。この分なら、美波さんたちと仲直りができる日が来るかもしれないと思っていた。


けれど、神様は残酷だった。夏の練習中に先輩の足が偶然・・、氷真を抉った。ありえない方向に曲がった氷真の足を見て、声も出なかった。そして、絶望した。


それからは面白いぐらいに評価が変わった。氷真を賞賛していた人間たちは皆、氷真と私から離れた。私たちは再び、何もなかったあの頃に戻った。救いがないのが、氷真がいなくなったサッカー部は氷真の抜けた穴を埋めようとより一生懸命になり、強くなった。そして、氷真に怪我を負わせた先輩は県の強化指定選手になった。


氷真にとって酷いことが重なったと思う。


けれど、私自身はそこまでショックを受けなかった。


私は元々、氷真が好きだった。結ばれたのなら、私としてはサッカーなんてどうでもいい。これからは大好きな氷真と一緒にいれる。そう考えたら、私は大丈夫なはずだ。


ただ、それでは氷真は救われない。だから、氷真にはサッカー部に戻って、あの時のカッコよく生き生きとした姿を見せて欲しい。そうすれば、何もかもがうまくいっていたあの頃に戻れるはずだ。


「ふん、出涸らしの介護なんて大変ね(ボソ」


たとえ、どれだけの悪意に飲まれようとも…


━━━


それから二か月。季節は冬になった。足のケアや食事にも気を遣った。けれど、神様は残酷だった。どれだけ身体のケアに気を使っても氷真の足はよくならなかった。むしろ長引くかもしれないと言われてしまった。


そして、その絶望感から、私は最悪の事件を起こしてしまう。


「ねぇ、出涸らし君の彼女さん」


「…何ですか?」


トイレに行くと女子に絡まれるようになった。そして、氷真は『出涸らし』と呼ばれて馬鹿にされていた。その言い方に毎度腹が立っていたが、氷真が治ったらすぐにでも見返せるからと無視していた。


けれど、その時の私は心に余裕がなくて、我慢ができなかった。


相手は氷真を怪我させた先輩の彼女だった。氷真と私が転落していくのを眺めて楽しんでいた。


「出涸らし君はどうなの?怪我は治りそう?」


周りの取り巻きも私を見て笑っていた。数か月前まで私もこんなくだらないことをしていたのかもしれない。私はなんて情けないことをしていのだろうと恥ずかしくなった。けれど、私はこの場において、何よりもアドバンテージを持っていた。


特に先輩の彼女に対しては。


「ええ。大丈夫ですよ。それより最近彼氏とはうまくいってますか?」


「ッ、う、うまくいってるわよ」


分かりやすい。図星にもほどがある。


「へぇ~そうなんですね」


「何よ…何か言いたいことがあるなら、言いなさいよ!」


私の顔はかつてないほど、歪んでいた。


「あたし、先輩の彼氏さんから告られたんですよ~」


「は?」


「確か、文面が『朝霞と付き合いたい。今の彼女はウザすぎて別れる』だったかなぁ。本当に愛されてるんですか?」


「う、うそよ!」


「証拠ならありますよ。ほら」


学校にはスマホを持ってきてはいけないのだが、私は隠れて持ってきていた。あっちに余裕があれば、私を先生につき出そうとするだろうけど、そんなことができる精神状態ではないのだろう。私に送られたメッセージを見て、ショックを受けていた。


「この告白を受けようと思っています。いいですよね?」


「ッ、出涸らし君はどうするの!?あんなに大切にしていたのに…」


氷真のことを捨てられないといえば、この女はあたしを責めるだろう。二股だとか色々言って。だから、私はトドメの一言をいうことにした。


「ああ、氷真のことはもういいです。あんな壊れたガラクタ、もう介護する気にもなりません。勝手にすればって感じです」


なぜここまで淀みなく、こんな思ってもいないことが言えてしまったのだろう。けれど、その言葉を吐き出した私は憑き物がとれたように、とても気分が良かった。


「…あ、あ」


「それじゃあ、失礼しますね?元カノさん」


膝から崩れ落ちた先輩を見て、私は留飲を下げた。心には圧倒的な征服感で満たされていた。


トイレから出ると、私は氷真を教室に待たせていることを思い出した。一人で階段を登るのは辛いだろうから私が助けなければならない。


「あれ?」


しかし、教室に行くと、誰もいなかった。一人で行ったのだと私は勝手に結論付けた。


放課後になって、氷真のいる教室に行くと誰もいなかった。氷真のクラスメイトたちが一人で帰ったと言っていたので、私はそれを追いかけた。すると、視界の端でさっきのクソ女が言い合いをしていた。私はそれを見て悦に浸ると、小走りで氷真を追いかけた。


見つけるのにそうは時間がかからなかった。松葉杖だし、すぐに追いつけた。


「氷真!」


「美桜…?」


「なんで先に行くのよ。今日、病院とかあったっけ?」


すると、のっそりと私の方を氷真が私の方に振り返ってきた。その瞳は酷く濁っていた。思わず、一歩引いてしまった。けれど、既視感があった。それは美波さんとの事件があった時の氷真と重なった。しかし、何も言わずにのっそりと帰路についた。


「な、何かあったの?もしかして、いじめられたりしたの…?」


ピク


この感じは何かあったに違いない。となると、あのクソ女か。私に何か言う前に、氷真に何かしたのだ。移動教室の時も休み時間も氷真と会えなかった。こんなことは今まで一度もなかった。そう思うと、怒りが増してきた。


「なぁ、美桜…」


「何よ!」


私の頭にはあの女への怒りで燃えていた。しかし、その濁った瞳が私を捉えた時、急速に体温が冷えた。そして、弱々しい笑顔を私に向けてきた。何かとんでもないことをしでかしたような感じがした。


「今までありがとな」


「え…」


「姉さんに見限られた時、家で俺は居場所がなくなったんだ。そんな俺にとって、美桜、いや、朝霞・・は太陽だった。俺の唯一の居場所だったんだ」


「何を言ってるの?何で私をそんなに突き放すの?それに呼び方…今までそんな風に呼んだことがないじゃない…」


私の声が震えているのはある可能性にたどり着いたからだ。理性がそれだと断定しているが、心がそれを拒否する。何度も何度も黒を白と言いながら、私はその瞬間が来ないことを願った。


けれど、現実は無情だ。氷真は松葉づえを壁にかけると、床に座り、私に向けて頭を地面に付けた。


「『あんな壊れたガラクタ、もう介護する気にもなりません』か…ごめんな、朝霞。こんなどうしようもないゴミで。俺は朝霞の優しさに付け込むクズに成り下がっていたらしい」


「あ、あ」


やはり聞かれていたんだ…


『違う』と言えたら、良かった。けれど、私は氷真がいない場所であんな酷いことを言ってしまったのだ。それを今更嘘だと言って、受け入れられるはずがない。


私を見て微笑むと、死刑宣告を告げた。


「でも、頑張ってきた奴はやっぱり報われるんだな。お前のことを見てくれている人がいたんだ。…先輩なら俺も安心だ」


「ちが…」


氷真が立ち上がろうとするのを見て、私は咄嗟に助けようとした。けれど、


「やめろ!」


ビクッ


氷真から聞いたことがない怒声が私に向けられた。


「もう、俺に構うな。そして、幸せになってくれ。…さようなら、朝霞。本当に今までありがとう」


遠ざかっていく氷真を見て私は止めることができなかった。いや、止める資格なんてあるわけがなかった。アレだけ添い遂げると、決めていた最愛をあたしは自分でぐちゃぐちゃに破壊した。


「あ…あ、あ」


私はその場で何も言えずに崩れ落ちた。


『神様、どうか、時間を戻してください。お願いします』


遠ざかっていく氷真を見ながら、私にできるのは神頼みだけだった。


━━━


━━



「最悪の夢…」


もう四年も経つのにあの時のことが鮮明に思い出される。


鏡を見ると、酷い顔をしていた。私の朝はいつもこうやって始まる。このままでは正気でいられないから私は安定剤を服用して正気を保つ。これがなければ生きていけない。


私の中学生活はそれから悲惨だった。


あの後、先輩に告白されたけど断った。当然だ。興味もなければ、むしろ嫌いな部類だ。けれど、あのトイレの一件のことが広がり、私は学校中から後ろ指を指されて生きることになった。


『他人の彼氏に手を出した売女』、『誰にでも股を開くクソビッチ』


あることないことをたくさん噂された。けれど、そんなことはどうでも良かった。私は氷真と仲直りがしたかった。どれだけ責められようとも私はそれをすべて受け入れる気だった。


氷真はあたしを責める気なんて毛頭なかった。むしろ、あたしが話しかけるたびに、氷真は自分の心にナイフを突き刺した。なんてことない顔をしているけど、私には見ていられなくなった。


皮肉なことに、何もできないと嘆いていた美波さんの気持ちが分かってしまう。


どれだけ私が謝っても氷真は私を見ていない。そして、私の言葉を自分を殺すナイフに変換してしまう。それなら、離れよう。その方が氷真は今よりは酷くならない。そうして、少しずつ少しずつ氷真と距離をとり、一生埋まらない溝ができた。


これでもう氷真とはこれっきりなんだと諦めた。


けれど、高校時代、偶然、隣り町の駅のホームで柳瀬川とかいう女と一緒に居る氷真を見た。そして、楽しそうにしている二人を見た時、私は惨めになった。なぜ私が隠れているんだろうと思った。


本当だったら、そこにいるのは私だった。


その気持ちが私の心に火をつけた。美波さんに土下座して、氷真の志望校も聞き出した。途方もなく高い壁だったが、もう既に絶望は味わった。だから、後は氷真と同じ大学に行くだけだった。


死ぬ気で努力はしたけど、氷真の第一志望には全然届かなかった。けれど、何の因果か大学は同じだった。きっと神様が私に贖罪のチャンスをくれたんだと思う。時を戻すのは無理でも未来に活路はできた。あの時ほど神様に感謝をした日はない。


私は氷真に罪を責められたいのだ。


あの日のことを怒鳴られ、貶され、侮蔑されたい。


そして、すべての責を私に押し付けて、解放されて欲しい。


その結果、私の心が耐えきれなくなっても構わない。


だって、


「好きなんだから仕方ないじゃん…」


鏡に写った私は酷く不細工だが、私らしくて良かった。

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