13
週明けの月曜日というのはなぜこんなにも絶望に満ちているのだろうか。何事も始まりはワクワクするというのに、月曜日だけはワクワクしない。こんな辛い日が五日間も続くのかと嫌になる。
しかも、一年生の辛いところは必修の講義がほとんど一限にあることだ。一限自体は9時から始まるから、高校よりも楽だと言う人間もいるが、実際は県を跨いで通学したりする人もいるから、通学で往復二時間かけるなんてこともざらにある。
「むにゃ」
隣ですやすや寝ている朝霞はまさにその典型的だ。家から駅まで20分チャリを漕ぎ、そこから電車で一時間だ。往復で約三時間もかけている。とても熱心なことだ。
それにしても、先日に、あんなことがあっただけに俺から距離をとるかと思ったが、全くそんなことはなかった。むしろ、距離が縮まったまである。
ただ、講義はちゃんと聞けという俺からのアドバイスは受け取ってほしかったな…
講義が始まって5分程度で寝てしまって少しだけ悲しかった。
二限の予鈴が鳴ると、昼休憩に入る。ここから一時間休憩して三限に臨む。
「飯どうする?」
俺以外の三人も三限まで授業がある。嵐山が俺に提案してきたが、この四人で飯を食うなんて地獄過ぎる。お通夜になるに決まっている。嵐山を見ると、腹黒天然王子の様相を見せていた。俺たちの反応を見て楽しむ気満々だった。
俺はこの場にいたくないので、トイレで離脱することにした。そして、そのまま消えて後で謝れば良い。
「ああ、俺ちょっと、トイレ「ごめんなさい、私たち用事があるから少し抜けさせてもらうわ」はい?」
柳瀬川が脇から入ってきてぎょっとした。そんな用事聞いていない。俺は否定しようと思ったが、
「それなら仕方ないな。朝霞が起きたら俺が相手しておくから行ってきな」
「ええ、ありがとう。行くわよ、ヒョウ」
止める前に腕を掴まれ、かつかつと音を鳴らしながら講堂の真ん中を上がっていく。そのせいで、講堂中から注目された。
━━━
「ここならいいかしら」
柳瀬川に連れられて、来たのは先日訪れた『血の池』だった。学校の中でも辺鄙な場所にあるので、通な学生しかない。俺たちは仲良くベンチに座った。ここなら落ち着いて話せるだろう。
「何か用か?」
柳瀬川が何の意味もなく、俺を外に誘うなんてことはありえない。しかも、俺と二人になろうとしていた。何か深刻な悩みでもあるのかもしれない。俺程度ではできることが限られているが最低限のことはしてやろうと思う。
「…お弁当を作ったから一緒に食べたかっただけよ。言わせないで頂戴、ばか…」
もじもじしながら、柳瀬川が俺の方を見てきた。
なんだこの可愛い生き物。
さっきまで何を言われるのだろうと警戒しきっていた俺は見事に絆されてしまった。
そして、柳瀬川は弁当箱を取り出した。ただ、生憎俺は飯を持ってきていない。流石に柳瀬川の滅茶苦茶うまそうな飯を見てるだけなのは俺の空腹をさらに助長させてしまう。
「学食で弁当を買ってくるわ」
「待ちなさい」
俺の袖を掴んできたので、立つことができなかった。
「話をするのはいいんだけど、せめて昼を食わせてくれ。三限で空腹で死ぬ」
「だから、ここにお弁当があるでしょう?」
柳瀬川は自分の太腿に乗せている弁当を見せて来た。
「これ、ヒョウのために作ってきたのよ」
「は?俺?なんで?」
「…気分よ」
フイっと顔をそむけて言ってきた。柳瀬川はあまり意味のないことはしない。特に感情的なことに流されるようなことはほとんどない。となると、この行動にも意味があるのだろう。
すると、俺の素晴らしい頭脳がある結論を導きだした。
柳瀬川は誰か好きな人がいて、この弁当を誰かに食べさせてあげたいのだ。
そのための生贄に俺は選ばれたということだ。柳瀬川は俺を完全に下に見ている。だからこそ、俺を実験台にすることに何のためらいもない。悲しいが俺と柳瀬川の関係なんてそんなものだ。
そうなると、相手が気になる。俺の勘だと嵐山だ。
俺と一緒に居ることが多いのは嵐山が目当てなのだろう。嵐山にこっぴどく振られていた女がいるように、あいつのガードはとてつもなく硬い。けれど、なぜか俺にはべったりである。
そこから導き出されるのは『将を射んとする者はまず馬を射よ』という言葉だ。
別に、嵐山の馬になった気はないよ?
けれど、俺に近付けば合法的に嵐山に近付ける。合理的かつ最短の道のりだ。相変わらず計算高さだと関心してしまう。
となると、俺がやるべきことは柳瀬川にしっかりとした感想を言って、嵐山の胃袋を掴んでもらうことだ。それで二人の仲が進展すれば、俺から二人は離れ、俺は孤独の道を突き進める。
「分かったよ。しっかり感想を言うから次に活かしてくれ」
「次?まぁいいわ。どんと来なさい」
「ああ、って何してんの…?」
「な、何って食べさせてあげるだけよ?」
柳瀬川が真っ赤になってぷるぷると震えながら、卵焼きを箸で掴んで俺に向けて来た。流石の俺も想定外すぎて大変困惑した。
これで「あ~ん♡」なんて言われたら、俺はうっかり柳瀬川に惚れてしまうかもしれない。
「あ、あ~ん♡」
「お約束だったか…」
柳瀬川がより一層赤くなった。真っ白な肌は真っ赤なトマトのようになった。俺もこんなことをしていいのかと思って戸惑う。
時間にして10秒くらいだったが、俺と柳瀬川は永遠にも近い時間、向きあっていたように思えた。
「は、早く食べてくれないかしら…?」
「うっ」
柳瀬川がついにおねだりをしてきたが、俺もめっちゃ恥ずかしい。世のカップルはこんな羞恥心と毎日戦っているのかと戦慄を覚えた。しかも、俺たちはカップルではない。こんなことをする仲でもないのに、一体何をしているのだろうか。
「も、もしかして、恥ずかしいのかしら?」
ん?何か風向きが変わったぞ。
「そんなに顔を真っ赤にして、私のことを意識しちゃってるのかしら?そうだとしたら、ごめんなさいね?」
コイツ…
自分の羞恥心を隠すために、俺を罵倒することにしたようだ。いつも通りを装っているが、全く隠しきれていない。むしろ、さらに真っ赤になっているまである。それを見て、俺の中にも反抗心が芽生えてきた。
「そうだな。柳瀬川の言う通りだよ」
「え?」
「俺、柳瀬川をめっちゃ意識しちゃってるわぁ~!」
「なっ!?」
柳瀬川の棋風は攻め将棋。受けに回るのはご法度。だから、俺も自分の恥を晒して、攻勢に出ることにした。『血の池』を見ると、息を大きく吸い込んだ。
「柳瀬川みたいな美人に「あ~ん」をされるなんて俺はなんて幸せ者なのだろう!」
「ちょっと!」
「いつもは勝気で怜悧な美人がメッチャ可愛いぞ~!」
「周りの人も聞いてるから!」
「恥ずかしがってる柳瀬川可愛いいいいいいい!」
「黙りなさい!」
「萌えの波動を感じるぞおおおお!」
「ぐっ」
ここで黙ったら、柳瀬川にやられる。俺は今の柳瀬川を見て、思ったことを次々に挙げていくことにした。そして、ついに柳瀬川からの制止がなくなった。俺は勝利を確信した。羞恥心を犠牲に柳瀬川に勝ったのだ。
「どうだ、柳瀬川…あれ?」
「もうやめて、お願い…」
「どうしたん?」
「こっちを見ないで。恥ずかしいわ…」
「あ、ごめん」
勝利宣言をしようと柳瀬川の方を見ると、腿の上に置いてある弁当箱を握りながら、下を向いてうつむいてしまった。やり過ぎてしまったかもしれないと罪悪感が湧いてきた。
少しの沈黙。この間は苦手だ。どうしたもんかと何か会話を始める糸口になるもんがないかと探すと、柳瀬川の足元に卵焼きが落ちていた。俺が煽りすぎたばかりに、落としてしまったらしい。
「少し、失礼するぞ」
「え?」
俺は地面に落ちた柳瀬川の卵焼きを拾い上げる。土まみれでもう食えたものではないけれど、俺はそれを口に放り込んだ。
「馬鹿!そんな落ちたものを食べるなんて…」
じゃりじゃりと口の中で嫌な音がするし、何より砂の味がする。卵の味なんてほとんど砂の味でかき消されていた。けれど、食べないわけにはいかなかった。
俯いていたあの時、柳瀬川の手に絆創膏が貼ってあった。柳瀬川は自分の努力を他人に見せない。本人は隠しているつもりだろうけど、見えてしまったからには見ないふりはできない。怪我をしてまで作った弁当だ。たとえ、俺のためではなくても、完食するのが筋ってものだろう。
「美味かった」
「ダウト。顔が歪んでいるわよ?」
そりゃあそうだろうな。俺もその自覚はある。けれど、ここは嘘をつき通すときだ。
「気のせいだな。それより、その弁当もらっていい?せっかく作ってくれたんだからもらうわ」
「え、ええ。どうぞ」
「あ~ん」なんて、あんな恥ずかしいことはもう二度としたくない。だから、俺は柳瀬川から半ば無理やり弁当箱をもらって食べる。
「美味い美味すぎる!」
「大袈裟ね。こんなの誰でも作れるわ」
「そうか?俺なら金を出してでも手に入れるぞ?」
「そ、そう」
お世辞抜きで本当に美味い。箸を動かす手が止まらなくて、一気に平らげてしまった。流石、柳瀬川だ。
「ごちそうさん」
「お粗末様」
これで三限は乗り切れる。昼代も浮いたし、いいことづくめだった。
「柳瀬川のご飯を毎日、食べられる奴は幸せ者だなぁ」
「あ、貴方は、そうやってすぐにそういうことを言うんだから…!」
「事実を言ったまでだぞ?」
「はぁ…もういいわ。ヒョウにデリカシーを期待しても仕方ないものね」
「どういう意味だコラ」
「ふふ、どういう意味でしょうね」
柳瀬川の機嫌は良くなったようだ。ありきたりだが、人は褒められると嬉しい。俺からの賞賛ですら元気になるのだから、その効果はとてつもない。
「そ、それなら、毎日作ってあげましょうか?お弁当」
柳瀬川が指を絡めて、もじもじしていた。そして、俺の方を熱っぽい視線で見てきた。これで理性を保っていられる男子はいるのだろうか。たいていの男はこの柳瀬川を見た瞬間にイチコロだろう。
高校生の頃の俺はそれで勘違いした。
だから、もう二度と間違えるわけにはいかない。
「ははは、それは悪いからいいよ」
俺は笑顔で柳瀬川の夢の提案を断った。すると、さっきまでの熱っぽさは消えて、何か腫物に触れるかのように恐る恐る俺に聞いてきた。
「え、遠慮しなくていいのよ?片手間で作れるから」
「いらない」
「…なぜ?もしかして、本当は美味しくなかったんじゃ…」
「いや、美味かった。俺の言葉に嘘はないよ」
「それじゃあ何で…」
縦前だとしてもなぜここまで俺に食い下がってくるのか分からない。しかも、徐々に不安そうになっている。
ああ、そういうことか!まだ自分の料理に納得できないんだ。
それなら俺がやるべきことは一つだ。
「俺からの太鼓判じゃ足りないかもしれないが、そのレベルなら誰であろうと胃袋は掴めるぞ?」
「え?」
「柳瀬川に必要なのは勇気だけだ。それだけの腕があれば、あら、じゃなくて、好きな人も落とせるさ」
そもそも柳瀬川は超絶美人だ。料理ができなかったとしてもそれすら『ギャップ萌え』に昇華できる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。私は貴方のために作ったのよ?」
「は?俺のため?」
「ええ。ヒョウのためだけに作ったのよ。他に作ってあげたい人なんているわけないでしょう?」
余計に意味が分からない。
「はは、柳瀬川も冗談を言うんだな」
「どういう意味…?」
柳瀬川が何かを恐れて震えていた。
「どういう意味も何も、俺は柳瀬川に嘘告白をさせちまうほど、情けない人間だ。そんなクズのために弁当?実験台にする以外にありえないだろ?」
「…」
「ああ、でも、柳瀬川は優しいもんな。ボッチでいる俺を憐れんで、元気づけるために施してくれたんだろ?何か意図があったにせよ、実際、元気になったし、これで三限も…」
俺の軽口は柳瀬川の表情を見て止まった。そして、『血の池』の方を見ると、俺からは柳瀬川の表情が見えなくなった。
「柳瀬川…?」
「…少しだけ風に当たってから行くわ」
「?ああ」
俺は荷物を整理すると立ち上がる。
「先に行ってるから、すぐに来いよ?」
「ええ…それじゃあまた後で」
「ああ」
いつもは鬱陶しいと思っているのに、なぜか誘わずにはいられなかった。柳瀬川は最後まで俺ではなく、『血の池』を見ていた。俺は後ろ髪を引かれたが、振り払って次の講義の教室に向かった。
結局、柳瀬川が三限に戻ってくることはなかった。
「柳瀬川はどうしたんだ?喧嘩でもしたんか?」
「いや、そういうわけではないと思うんだが…朝霞はわかるか?」
「知るわけないでしょ。あんな女のことは。本当に…」
「そうか」
これ以上興味がないのか朝霞は窓から外を眺めていた。
俺の脳には柳瀬川の最後の表情が焼き付いていた。
あの時の柳瀬川の表情には既視感があった。
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