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両手に花ということわざがある。昔の日本人は美しい花を女性に例えることがしばしばあった。梅や桜が最たる例であろう。それを同時に手に入れるハーレムクソ野郎のことを両手に花ということわざで表現していた。
俺はそんな男を見たら、ぶん殴ってやろうと思っていた時期もあったのだが、少しだけ反省しようと思う。両手の花に棘があった時のことを全く想定していなかった。女の方に棘があった場合、周りの人間はそれを羨ましいと思って殴りにいくのだろうか。
俺にはそんなことはできない。むしろ同情してしまうまである。つまり、何が言いたいかというと、逃げ道を塞ぎながら、俺を挟んで冷戦をしようとしている彼女たちから俺を逃がしてください、本当にお願いします。
「あんた誰?私の氷真に何か用?」
先陣を切ったのは朝霞だった。聞き捨てならない言葉を吐いていたが、俺は誰かの所有物ではないぞ?
「貴方こそ、私のヒョウになんの用かしら?」
柳瀬川も同様に俺の所有権を争って戦うことにしたらしい。困った。俺には基本的人権が適用されないらしい。朝霞も柳瀬川も美人だから、滅茶苦茶注目される。その上、一番前の席だから、嫌でも見られてしまう。誰だよ、一番前の席にメリットしかないって言ったやつは。デメリットしかねぇじゃねぇか。
「私を巡って争わないで!」
「「うるさい」」
「はい…」
がんばって悲劇のヒロインを演じてみたのに、全く無意味だったようだ。頑張って声も裏声で張り上げたのに、その反応はないよ…
すると、朝霞が何かを思い出したように鞄からハンカチを取り出した。柳瀬川の相手をするのをやめたらしい。
「昨日は助かったわ。ありがとう…」
「返す必要はないっていったのに、律儀なやつだなぁ」
「私とアンタの仲でしょ?親しき中にも礼儀ありって言うじゃない」
朝霞が付き合っていたときと同じような微笑を俺に向けてきた。俺は赤面しそうになったので誤魔化すことにした。
「朝霞の口からことわざを聞けるなんて…『時は金なり』を『時は神なり』って書いていたのに成長したんだな…」
「ッあんたは昔から余計なことばっかり覚えて!今すぐ忘れなさい!」
「え~どうしよっかな~」
朝霞がフシャーと猫のような剣幕で俺にプレッシャーを与えてくるが、俺ごときが朝霞をからかう資格があるわけがない。
うちの学校は私立でそこそこの学力を誇るが、実際にはもっと上の大学を目指していた人間の滑り止めだということだ。入学当初はどこの大学を『目指していた』だの、『受験で失敗した』だの色々聞こえてくた。
そして、そういう奴らこそ、指定校などの推薦を馬鹿にするのだが、同じ大学に入った時点で全員同レベルだって思わないか?というかダサい。
俺は俺の高校三年間でこの大学に入れるぐらいの努力しかしていなくて、朝霞は三年かけて怠惰な俺と同じ大学に入ることができるだけの学力をつけたということだ。単純な偏差値なら20以上上げているだろう。本気で凄いと思う。そして、大学在学中に俺と朝霞は天と地の差で逆転されるのだろう。
ちらっと反対側を見る。
「何よ…」
そういえば、柳瀬川も俺と同様に受験で失敗している組だ。東大に入れるだけの実力があって、俺たちと同じ学校に来るというのだから、人生何があるのか分からない。それもこれも運命だと考えたら、それまでだが、それにしたって柳瀬川は格が違ったのだが、本気で何があったのだろう。
「いや、何も」
「ダウト。嘘や隠し事をする時に視線を動かす癖はやめなさいって何度言ったら分かるのよ。内心を悟らせないようにするのも盤上では必要よ?」
そういえば、そんなことを言われ続けていた気がする。参考書に書かれていることは忘れないのに、人に言われたことってすぐに忘れてしまう。
「いやいや、嘘も隠し事もしてないっすよ?」
「怒らないから言いなさい?」
こうなった柳瀬川は自分が納得するまで俺を詰めてくる。今は逃げ場がないから、俺はお茶を濁すことにした。
「柳瀬川を美人っていう奴がいるんだけど、俺は可愛いと思うんだよね」
「そ、そんなこと知らないわよ!」
「はは、ちょっろ。動揺するとすぐに顔を赤くする癖はなんとかした方がいいぞ?盤上でエロいことを考えてるって勘違いされるからな」
「…」
「無言で叩くのやめて!」
将棋をやっている者がチート能力を授けられたらと言えば、相手の心を読むことができる能力だろう。それだけ相手の思考を読むというのは魅力的な力なのだ。逆に将棋をやっている者が一番嫌なのはそれをやられることだろう。
昔は毎日のようにそれをやられていたので、結構辛かった。今みたいにやり返せたときはそれだけで白飯が進む。
「ねぇ…」
「ん?」
朝霞が俺の袖を引っ張ってくる。なぜか少しむくれている。
「そんな女より、私に構ってよ。彼女でしょ?」
教室に喧騒が巻き起こる。こらこら朝霞さん、大事な『元』が抜けてるぞ?
「え…ヒョウって彼女がいたの…?」
「いないないないない!元カノな。昔説明したろ?」
「元カノ…ああ、ヒョウを見限った幼馴染ね」
あ、ヤバ
「ッ、そういうあんたこそ柳瀬川凛音でしょ?氷真を裏切ったクソ女だって言うのは聞いてるんだから!」
「言ってくれるじゃない…!」
「おい、やめろ!」
二人が親の仇でも見つけたように睨みあっていた。俺としてはなぜここまで、怒っているのか分からない。それと「見限った」「裏切った」というのは彼女たちを悪者にする言葉だ。誰から聞いたのかは分からないがお互いのプロフィールをそんな風に伝えた奴にはオシオキしなければならない。
「俺は「高坂氷真」誰だよ。今、大事な話を…花園教授?」
いつの間に来たのだろうか。花園教授が俺の前で仁王立ちしていた。どう見ても怒っている。朝霞も柳瀬川も花園教授に気が付くと言い合いをやめた。
「私の講義でおしゃべりとはいい度胸だなぁ、ええ?」
「そ、そんな滅相もない。美人で知性溢れる俺たちの憧れの花園教授の講義をないがしろにする気など全くありませぬ!俺は教授の授業を受けるためにこの学校に来たんですよ!」
「…なるほど、美波の言う通りだ。女がいれば無条件に口説き落とそうとするというのは本当だったようだな」
教室に喧騒が走る。よく聞かなくても、ヒソヒソと話しているのが俺の耳に届く。
「風評被害もいいところです!俺がモテたことなんて一生で一度も、いえ、一度しかありません!」
姉さんは一体俺のことをどんな風に説明したのだろうか。俺がヤリチンクズ野郎のように見られるのは心外である。モテたことは一度もないと言おうと思ったが、一時的に好きあっていた時期があるのだから、これくらいの見栄は張らせてほしい。捨てられたけど…
後、両隣の二人がじとっと俺を睨んでいるのだが、なぜだろう。そして、これ見よがしにため息を吐いている。俺が一度しかモテたことがないことを馬鹿にしているのだろうか。毎日がモテ期の君らには勝てないよ、こんちくしょう!
「まぁいい。お前とは一度ゆっくり話さなければならないと思っていた。講義が終わったら、私の研究室に来い」
「すいません。尊敬する花園教授と話せる良い機会なのですが、美波さんがお腹を空かせて待っているので、今日はちょっと…」
「来ないなら、単位は不可ということに「ぜひ、行かせてください。地獄の底まで付いて馳せ参じさせていただきます!」…それでは講義を始める」
単位を人質に取られたら、俺は何もできない。後で姉さんに連絡しておかないと。
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