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学食にはブルーベリーパンの中にチーズが入っているという暴力的に美味しそうな代物があった。後はカレーパン。辛い物と甘い物は常にセットで食べるのが高坂流だ。門下生は俺一人。誰一人として俺の真似をしようとする者はいなかった。それらをすぐに購入すると、食堂で席を探したのだが、どこにも空いてる席がなかった。仕方がないので、移動することに決めたのだが、どこも埋まっている。
サークルの勧誘や一年生同士が仲良くなるために、席を占めてしまっている。外のテラス席も埋まっているし、こんな場所で一人で静かに落ち着いてパンを食べるなんてことはできない。
「困った」
次の授業の教室で食べるのもありかもしれないが、うるさくないわけがない。となれば、俺は別の場所を探さなければならない。丁度、目の前に学校の全体の地図がある。まだ、地理を把握していない俺はそれを見て、いい場所を探す。
「池があるのか」
学校の奥の方に巨大な池があるらしい。『血の池』というらしいが、錦鯉や金魚がいるらしい。校舎から離れるから人もいないだろう。ベンチもあるっぽいし、俺はそこに行くことに決めた。
━━━
「柳井さん、俺と付き合ってくれ!」
『血の池』にはほとんど人がいなかった。いたとしても、俺と同類、つまり、静かな場所を求めてさまよっている陰キャたちだった。俺たちは互いに干渉しないし、言葉を発せずとも他人に迷惑をかけないように努める。
池の目の前に丁度良いベンチが見つかったので、俺はそこを陣取った。すると、錦鯉たちが俺の元に寄ってきた。さては、ここに座った人間に餌付けされてるな?
俺は、カレーパンの端っこの方をむしって、池に投げ込む。すると、とてつもない勢いでパンがかじられた。その必死な姿を見ると、心が洗われる…はずだったのに、俺のすぐ後ろの大きな木の下で告白が行われていた。自分の間の悪さを呪いたくなる。ここってもしかして告白スポットだったりするのかな?
「ごめんなさい」
「理由を聞いてもいいかい?」
「いえ、単に貴方のことを知らないので」
「それなら友達から始めるのは駄目かな?」
「いえ、その」
「柳井さん、俺は本気で君のことを愛しているんだ!頼む!」
「そんなこと言われても困ります!」
は!何も考えずに鯉にパンを分けてあげていたら、半分くらいになってしまった。流石に、これ以上あげると午後の授業に支障をきたす。俺は口にパンを突っ込もうとすると、錦鯉たちの動きが激しくなり、水の跳ねる音が強くなった。
「な、なんだよお前ら!これは俺のパンだぞ!だから、そんな悲しい顔をするなよ!」
パシャパシャと水音を立てて、俺の方を見てくる錦鯉たち。くっ、仕方ない。俺はパンを一欠片池の中央に投げ込んだ。
「なぁ、君」
「も、もうこれは俺のモノだからな!いただきま…おい!今あげたろ!?これ以上は無理だ!」
「お~い」
「分かった、分かったよ!このカレーの付いた美味しい部分をやるからもう来るなよ?絶対だからな!?」
「おい!」
「はい?」
後ろで見知らぬ男がいた。でも、さっきから声だけは聞いていたから分かった。告白していた男だ。雰囲気からおそらく先輩だろう。嵐山にはかなわないが大層なイケメンだ。
「え~と、何か用ですか?」
「何って…聞こえていたろ?俺と柳井さんが結ばれるところなんだ。どこかに消えてくれないか?」
「望みゼロっすよw?あ、もちろん、いい意味で」
「は?」
危なかった。つい本音が出てしまったが、「いい意味で」と言えば大抵なんとかなる。とりあえず、俺が移動する理由はないので、俺は池を見た。
「俺のことは気にせず告白してください。結ばれたら、クラッカーを鳴らしてあげますんで」
「…まぁいいか。それで柳井さん、返事の方は?」
「興味ないです。もう近づかないでください」
「じゃ、じゃあ友達から」
「貴方と関係を築きたくないって言ってるんです!次、絡んできたら警察に訴えますよ?」
「ッ、分かった。でも、気が変わったらいつでも連絡をくれ」
そう言い残すと、男さんがどこかに行ってしまったようだ。良かった。これで、俺の平穏が守られた。それにしても、あのレベルの男をフるなんて女さんは中々強欲なようだ。まぁどうでもいいか。俺はようやくお昼にありつける。
「本当に助かりました」
「うえ?ああああああ!?」
「な、なに!?」
隣に知らない人が座ってきたのでとても驚いた。それだけなら良いのだが、驚いた拍子にブルーベリーチーズパンとカレーパンが池の中に吸い込まれてしまった。錦鯉たちが美味しそうに食べているのを見て、俺は敗北した甲子園球児みたいにベンチで項垂れた。
「あの」
「俺のパンがぁ…昼休憩なしで100分も授業に耐えられるわけがないじゃねぇか…!」
「ねぇ、ちょっと」
「錦鯉共め、パンを食わしてやったんだから、俺がお前らを食ってもいいよな?」
「お~い」
「よし、決まりだ!今からお前らを食ってやる!覚悟しろ」
「いい加減、無視しないでよ!」
「ん?誰ですか?」
「本気で気付いてなかったんだね…」
俺の隣に全く知らない人が座っていた。プラチナブロンドの髪が腰くらいまでかかっており、流行の服を自然に着こなしていた。この慣れた感じは先輩だろう。服に着られている感が全くない。それより、俺は池の錦鯉を食べるというミッションがある。
「あの、すいません。これから池に飛び込むのでできれば俺の前から消えて欲しいんですが」
「そんなことを聞かされたら、止めないわけにはいかないよ!?」
「止めないでください!俺のパンを一つ残らず食べたこいつらには責任をとってもらわなければなりません!」
「お腹空いているの?それならチョコパン食べる?」
「かたじけない」
「土下座!?やめて!めっちゃ恥ずかしいから!」
「いえ、命の恩人です」
まさか俺に優しくしてくれる人がいるなんて思わなかったから、これくらいしないと気が収まらない。
「大袈裟すぎるよ!というか私の方こそ助けてもらったから」
「俺、何かしましたっけ?」
「本当に何も覚えていないんだね…さっきまでそこで告白されてたんだけど、あの人粘着質で何度断っても寄ってくるからさ」
「ああ…」
そういえば声に聞き覚えがある。というかいつの間に隣に座ってるんだこの人。ん?待てよ?俺のパンを投げ込んだ時、隣から声が聞こえてきた。ということは俺が二つのパンを錦鯉に食われたのは完全にこの人のせいじゃねぇか。
チョコパンをくれて喜んだけど、盛大なマッチポンプだ。俺はこのヤバそうな人からすぐに逃げるために、チョコパンを口の中に突っ込む。
「迷惑だったんだよねぇ…しつこいから怖かったし、君がいてくれなきゃ流されていたかもしれない。ありがとね」
「ふ~ん。大変でしたね」もぐもぐ
「ねぇねぇねぇ?君一年生でしょ?もう少し私に興味持ってもいいんじゃない?」
「ご馳走様でした。次、授業なんで失礼しますね」
「話を聞いてよ!」
「あんたのせいで俺のパンが鯉の餌になったので、腹が立ってます」
「ごめんって!お詫びに今度のお昼に好きなパンを買ってあげるから!」
「本当ですか!?ジャムおばさんって呼ばせていただきますね?」
「殺すぞてめぇ?」
「すいましぇん…」
怖いよぉ。そのオーラを出していれば、あの男も近寄ってこなかっただろうに。そもそも俺はこの人に何かしたわけでもないので、ただ絡まれているだけだ。逃げようにも腕を掴まれているので、逃げることができない。万事休すか。
「私、
「そうなんですね。自分、省エネ人間なので、名前とか覚えなくていいですよね?」
「覚えてよ!?なんのために自己紹介したと思ってるの!?それより君の名前は?」
「めんどくせ…あ、高坂氷真です。経済学科の一年です。先輩のことが大好きです。憧れています!」
「前半部分を誤魔化せてないからね?それにしても、今年の一年生は濃いなぁ。エロ本を持ち込んだ猛者が私のゼミの後輩になったらしいんだ」
「俺が持ち込んだのはエロ本だが、少年誌のお色気担当漫画だ。そこを間違えないように」
「まさかの同一人物!?美波先輩の弟って…?」
「!(^^)!」
「お、おう~、こりゃあとんでもねぇ人間と関係を持ってしまったようだね」
「俺と既に関係を持ったつもりなんですか?モテない人はすぐにそうやって解釈しますよね。友達も少なそう…(ボソ」
「モテるしぃ!これでも三桁は告られてるし、むしろ勘違いさせる側の人種だしぃ!それに友達だっていっぱいいるんだから!」
さっきまでの大人しそうな人はどこに行ってしまったのだろうか。おそらく、こっちが素なのだろう。
「そんな大声で言わなくても分かってますよ(^^)」
「その顔やめろよぉ!」
「あ、そろそろ授業なんでいきますね。え~と、ありがとうございました。安野先輩」
俺は手が離れたのをいいことに高速で立ち上がり、次の教室に向かって全力で走った。
「そいつは誰だよ!?私の名前は柳井みずほ…って待ちなさい!」
後ろでギャーギャー騒いでいるが、俺は全力で無視した。これ以上ヤバイ人と関わるのは良くない。危ない人がいたら、すぐに逃げろと小学生の頃から言われているしな。
━━━
次の授業の教室に向かう。経済学科はこの学校で一番のボリューム学科だ。文学部なんて国文、英文、心理、哲学といったように学科が細分化されて、一学科あたりの人数は少ない。それに比べて、経済学科は250人ほどいる。
特に、一年生のうちは一斉に授業を受けることが多いため、一番デカい教室で授業を行うことが多い。俺が今、授業で受けているのは一年生ながら、選べる選択科目だ。それは日本経済史、花園教授の授業だ。学年別の授業じゃないので、二年生から四年生までたくさんいる。
教室に入ると、少しだけピリッとした。怖い教授として知られているだけに、受講する生徒たちも質の高そうだ。俺は当然、一番前の長テーブルに座る。一番前の席には誰も座らないから、隣の席を荷物置き場にできる。心理的なプレッシャーを除けば、メリットしかないのが一番前の席だ。これで静かに授業を受けられ…
「隣…いい?」
「あ、すいません」
なかった。まさか、俺と同じく意識が高い人がいるなんて思わなかった。一体どんな強者だと思って隣を見ると、そこには朝霞がいた。なぜと喉元が言葉がでかかった時、反対側にも誰かが座ったようだ。柳瀬川だった。
思わぬ二人が俺の両サイドを埋めたので、俺は瞳孔がかつてなく開いた。そして、
「ねぇ、氷真。この後遊びにいかない?」「うちの将棋部、結構ガチでやってるから一緒に入らない?」
・
・
・
「「は?」」
ニコニコ笑って俺に声をかけてきた二人は向かい側に座る人間に気が付くと、氷のような冷たい態度をとった。
さて、どう逃げようか?
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