家に帰ると、俺は早速正座をさせられた。被告人、高坂氷真。罪状は自己紹介テロだ。汗をだらだらと流しながら、目の前にいる美人な義姉を見上げる。数々の男を堕としてきたその笑顔が今はとても怖い。


「あの自己紹介は一体なんなのかなぁ?」


高坂美波こうさかみなみさん、俺の血のつながらない姉だ。いつも、ゆるふわなオーラを纏っているため、誰からも愛される天使みたいな存在だ。性格も見た目通りでとても優しい。困ってる人を放っておけない性格から、中学時代に生徒会長になったような人だからな。


さて、俺はそんな天使のような姉さんに閻魔大王のような威圧感を持たせてしまっている。冷や汗が止まらない。


「な、なんのことですかね?」


「とぼけても無駄だよ?エロ本を受験に持ち込んだ猛者がいるって学部ネットワークで有名になってるんだから」


「マジか」


姉さんに一瞬でバレてしまうのは想定外だった。SNSの全盛期とはいえ、なんでもかんでも広めるのは良くないと思う。


すると、姉さんは溜息をつくと、困ったように優しい声で話しかけてきた。


「…なんでこんなことをしたの?」


「学校で人気者になるためですよ」


「柳瀬川さんがいるから?」


姉さんは俺の自虐を無視して、柳瀬川の名前を出してきたので、不意打ちに驚いてしまった。姉さんと俺は高校が違う。それに、姉さんは俺が高校二年になるころにはこのアパートで独り暮らしをしている。二人には直接の面識はないはずなのに、どうして俺の交友関係を知っているのだろう。


「いえ、柳瀬川は関係ないです」


「じゃあ、なんで?」


「なんでって、美波さんに関係ないですよね?」


「ッ」


なぜ姉さんは俺を心配するように見てくるのだろう。あ、そうか。姉さんは俺のせいで評価が落ちるのを気にしているのだ。中学の頃の反省が全く活かされていない。それどころか、再び、やらかしたようだった。


「俺のわがままで姉さんの評価を落としてすいません」


「え」


俺は土下座をした。


「もう余計なことはしません。しばらく噂されてしまうだろうけど、ずっとボッチで生きていくのですぐに噂も消えると思います」


「何を言ってるの…?」


姉さんの声が震えていた。俺は顔を上げて、評判の悪い精一杯の笑顔を姉さんに向けた。


「でも、その間の美波さんの心労を考えると補償しなきゃだと思う。ただ、重ねてごめんなさい。今はお金がないから、それも来月まで待ってほしいんだ。とりあえず今週からバイトを始めようと思うから、それまで待っていただけると」


「うるさい!」


姉さんが俺の言葉に被せてきて、驚いた。姉さんの怒気の孕んだ声は聞いたことがなかった。すると、ハッとなって俺を見た。そして、服の裾を掴むと、苦虫を嚙み潰したような顔をした。


「ごめん、今は部屋に戻って…」


「分かりました」


俺は部屋に入る前に姉さんの表情を見た。最後に手で顔を覆っているのが見えた。俺は再び姉さんを怒らせてしまったらしい。


「はぁ…なんでこうなるかなぁ…」


ベッドに倒れ込むと先ほどの失態を思い出す。俺は大学で可能な限り一人になりたいだけだ。誰かに関わると迷惑をかけてしまうのだから、俺にはそれ以外の選択肢はない。けれど、俺は再び姉さんに迷惑をかけてしまった。


金で解決しようと思ったけど、それは逆に姉さんの逆鱗に触れてしまっただけだった。


「あっ、ゼミを変えるって話をするのを忘れてた」


気が重い。姉さんへの花園教授からの評価を確実に下げてしまうから、この時点でもう嫌になる。けれど、これをやらないと柳瀬川の心労に悪いし、何より、俺の心の平穏が保たれない。


「どっちを選んでも碌なことにならないのは眼に見えているんだよな」


俺にとって二択でどっちかが正解なら、それは素晴らしいものだ。なぜならプラスの選択肢が残されているからだ。けれど、俺の二択は常に誰かに負債を押し付ける。どっちを選んでもマイナスな中で被害が少ない方を選ぶというのが俺の二択だ。


今回で言ったら姉さんの評価を下げるか、柳瀬川に居心地の悪い四年間を与えるかだ。本気で嫌になる。


「早く金を貯めて、どっかに消えよ」


今日は色々なことがあった。もう寝よう。明日のことは明日の俺がなんとかしてくれる。


━━━


「なんであんな考え方になっちゃうかな…」


天を仰ぎながら、さっきの発言を振り返る。二十歳になった私はお酒を嗜むようになった。といっても、私が楽しむのはビールだけだ。おっさんくさいと言われることがあるのがたまに悲しくなるが、それでも、のど越しは人生に潤いを、困難には一時的な思考停止を与えてくれる。


けれど、今日の私は酒に溺れることができない。さっきのヒョウちゃんの言葉、そして、常に申し訳なさそうなあの態度を見ると、私は過去に犯してしまった罪を嫌でも自覚させられる。


「ヒョウちゃんが笑ってるのを最後に見たのはいつだったかな…」


記憶を探るが、すべて幼い時のものだ。ヒョウちゃんが中学に入ってから、本心からの笑顔を向けてくれたことなんて一度もない。家で話しても、常に自虐的な態度をとり、私と会話すること自体が辛いようだった。


だから、私は高校時代、ほとんど関わってこなかった。私が何をしても、ヒョウちゃんは傷つくだけ。そんな言い訳をして、徐々にヒョウちゃんから、離れていき、別の人間に託すことにした。


けれど、それが大失敗だった。近所の幼馴染でヒョウちゃんの彼女だった朝霞美桜は裏切り、親友であった柳瀬川凛音にも捨てられた。その結果、ヒョウちゃんはさらに心に傷を負った。


これは私への罰だ。自分がヒョウちゃんに向き合わず、他人にすべてをゆだねてしまった。けれど、なんの因果かヒョウちゃんは私と同じ大学に進学することになった。ヒョウちゃんの学力だったら、第一志望の国立大学に絶対に受かると思っていたのに、受験ができないというアクシデントが起こり、私と洋子さんが頼み込んで受けさせたうちの大学に進学することになった。


無理やりだけど、同じゼミに入ってもらったから学校のことでも接点はできたし、アパートも一緒。これ以上ない環境だ。私は残りの人生をかけてヒョウちゃんに向き合う。


「しっかりしろ、高坂美波!この程度の拒絶は覚悟していたでしょ…!」


私は最後にビールをグイっと飲み込んだ。

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