54.本音と大嫌い

俺は、シュリと歩いた道を、今度はハイドさんに連れられて帰った。

手は逃げられないようにがっつり握られていて、流石に魔法でも使わない限り逃げられそうになかった。


「良かった。本当に見つかって。このまま遠い所に行ってしまったらどうしようかと……」


そう言うハイドさんの手は、何故か震えていた。


「私から逃げたでしょ」

「い、いや……。シュリを送ってただけで……」

「じゃあ、その荷物は何? それに、ダイナンの言葉で言うと、私とラキ君の思考は似ているらしいからね。家の中を見た瞬間、私から逃げたことはすぐにわかったよ」


俺は、ハイドさんから目を逸らす。

思考が似ているかはわからないが、荷物の件に関しては言い逃れができなかった。


家に着くと、ハイドさんは俺を椅子に座らせ俺の目をまっすぐ見た。

きっと、ダイナンさんから色々と聞いたのだろう。

ハイドさんは少し、申し訳ない顔をしていた。


「妻の、日記を見たんだね」


ハイドさんの言葉に、思わずまた目を逸らす。

逃げる逃げない以前の問題に、勝手にハイドさんの机を漁ってしまった罪悪感があった。


「えっと……。勝手に見て、ごめんなさい……」

「それに関しては大丈夫だよ。寧ろ私も、ラキ君との生活で見ないようになったから、片付け忘れてたくらいなんだ。ラキ君が混乱しちゃう事はわかってたのに……。ダイナンにも怒られたよ。ごめんね」


俺は首を振る。


「ハイドさんは悪くない。俺が、勝手に見て、そして勝手に……」


ふと、感情が抑えられなかった先程の記憶が蘇り、震えた。

ローグが生まれ、そしてハイドさんを突き刺した。

あれから、ハイドさんは本当に何も無いだろうか。


「ハイドさん、傷は本当に消えて……」

「大丈夫だよ。ほら、傷一つ無い。ダイナンにも見てもらったけど、健康そのものだったよ」


ハイドさんは、俺にローグ・ディアに刺されたはずのお腹を見せた。

改めて見ても傷一つ無い。

それに、俺は安堵する。


「良かった……。俺、ハイドさんを殺しちゃったのかと思って……」

「でも生きてるでしょ? ラキ君の魔法のおかげかな?」


魔法を使った記憶はなかった。

けれども、魔法以外は考えられなかった。

ただ、ハイドさんが死ぬのは受け入れられなかった。

気付いたら、全て元通りになっていた。


「ラキ君。私に教えてくれないかな。あの時、何を思ってたの? ラキ君の口から聞きたくて、ダイナンからは聞いていないんだ」


俺は口を開こうとして、そして閉じた。

シュリは簡単に言うけれども、やっぱり自分でも我儘だと思ってることを、言うのは怖かった。


「大丈夫だよ。どんな事でも。たとえ、私を恨んでいたとしても」

「恨んでなんかない! ハイドさんは本当に俺に良くしてくれて、大切にしてくれて……。なのに、俺……」


ハイドさんが、いつものように頭を撫でてくれた。

それがどうしようもなく安心して、申し訳なくて、また涙が溢れそうになる。


「大丈夫。何を言っても大丈夫。それだけは、信用して? 絶対に、大丈夫だから」

「あ……」


俺が熱を出した時、ハイドさんが同じように言ってくれた。

その時言った我儘も、ハイドさんは笑顔で聞いてくれた。

嫌じゃないと言ってくれた。


わかってる。

ハイドさんは、なんだかんだ優しいのだ。


「エイルが羨ましくなっちゃったんだ……。血のつながってるエイルが……」


そう口に出すと、やっぱり馬鹿らしくて笑ってしまう。

なんてめちゃくちゃな我儘だろう。


「ダイナンさんはね、ちゃんと教えてくれたんだよ。ハイドさんは俺をちゃんと大切にしてくれてること。でもね、ハイドさんの過去を聞いて、俺が考えることが似てるって言われて、そしたらハイドさんの気持ちが痛い程わかっちゃった。ハイドさんはエイルの事、自分が一緒に痛い気持ちを犠牲にしてまでダイナンさんに託すぐらい、大切な存在なんだよね」


ハイドさんは、一瞬目を見開いた。

そうして、困ったように笑う。


「そうだね。エイルの事は大事だよ。でも……」

「わかってるよ。エイルと同じくらい、ちゃんと俺も大切に思ってくれてること。勝手に羨ましくなっちゃっただけ。敵わないなんて勝手に比較して、そしたら感情が止められなくなって……」


ああまただ。

また感情が止まらなくなる。


「俺もハイドさんの子供に生まれたかったな。無条件に、何があっても愛される安心感が欲しかった。何も頑張らなくても、こんな能力無くても、ハイドさんが側にいてくれるって、心から思いたかった……!」

「ラキ君、聞いて! 私は……」

「ちゃんとわかってるよ! 仕事の合間に俺に会いに来てくれたり、俺のために危険なローグの中飛び込んでくれたり、もっと愛情をくれなんて言うのが我儘なことわかってるくらい、俺の本当のお父さんみたいに愛情をくれてるって……! なのに……!」


俺はハイドさんにしがみ付いた。


「何度も自分に言い聞かせても止まんないんだ! 羨ましい気持ちが! 寂しい気持ちが! 気持ちが止められなくて……! なんでなのかはわからない! 止めなきゃいけないのに止まんないだ! わかってるのに! わかってるのに……! だから……!」


これが俺の本音だった。

紛れもない本音だった。


「そんな事を思ってしまう自分が、大嫌いだ」


一瞬、ハイドさんの俺を撫でる手が止まった。

こんな俺を、きっと大丈夫だと言ってくれるのだろう。

わかっているのに、感情が止められない。


「そうか……」


ハイドさんは、俺をぎゅっと抱きしめた。

その手は何故か、震えていた。


「ラキ君がずっと恨んでいたのは、誰かではなく、自分自身、だったんだね」

「あ……」


別に、誰かを恨んでいるつもりはなかった。

けれども、石に刻まれたディーレの話を見て、俺も無意識に誰かを恨んでいるのかと思っていた。


けど違った。

言われて初めて気づいた。

俺は、ずっと自分を恨んでいた。


「うん……。自分なんか大っ嫌い……。すぐに暗いこと考えちゃうところも、それで勝手に落ち込んで皆に迷惑かけちゃうところも、皆の思いやりすら変な風に考えちゃうとこも、もう俺なんかいなくなっちゃえばいいと思うのに……!」


自分の感情に気付いたら、言葉が止まらなくなっていた。

次から次へと、自分の嫌いなところが出て来た。


「そのくせ死ぬのが怖いことも、全部全部、大嫌い……! なのに、結局ハイドさんがいなくちゃ駄目で、俺なんて死んだ方がいいのに、皆が死んじゃうのは怖くて、それどころか一番に愛されたいなんて思っちゃって、ローグまで生み出して……! そもそもこんな事考えちゃうのがおかしいのに……! 本当に、本当に大嫌い……!」

「そっか……。そうなんだね……。ラキ君は自分の事が、大嫌いだったんだね……」


ハイドさんは俺の言葉を否定しなかった。

大丈夫とか、そんな事言うなとか、そんな言葉は一切無かった。

否定することなく、俺を抱きしめてくれた。

それが、何故か俺の全てが認められた気がして、俺の大嫌いな部分含めて受け入れてくれた気がして、俺はずっと泣いていた。

その間、ハイドさんはずっと俺の傍にいてくれた。




気付いたら、俺はベッドの中にいた。

きっと、泣きつかれて眠ってしまったのを、ハイドさんが運んでくれたのだろうと思った。

ハイドさんも、昨日の服のまま寝ていて、ずっと隣にいてくれたのだろうと思った。


そうだ、と、俺は慌てて寝室の窓を開ける。

昨日あれだけ感情を爆発させてしまったのだ。

街に、ローグが来てしまってはいないだろうか。


そんな心配とは裏腹に、窓から見えた街の風景は平和だった。

遠くから悲鳴もなにも聞こえない。

いつも通りの平和な朝を迎えていた。


久々に、夢を一つも見なかった。

それほどまでに、ぐっすりと眠れた気がする。


と、ハイドさんがもぞもぞと動き出す。

俺がいたところに手を伸ばそうとして空を切ると、ハイドさんは慌てて飛び起きた。

そして、俺と目が合って、安堵の息を漏らした。


「大丈夫。俺、逃げてないよ」

「良かった……。ちょっと、スッキリしたって顔をしてるね」


確かに、少し気持ちはスッキリした。

けれども、あれだけ騒いでしまったのだ。

少し気恥ずかしい気持ちもある。


「昨日の事は本当に気にしなくていい。別に、自分の事を嫌いなことだって、おかしなことじゃないからね」


俺がハイドさんと目を合わせられずにいると、ハイドさんがそう言った。

俺は思わずハイドさんを見る。


「えっと……」

「私もそうだったからね。ラキ君と出会うまでは、ずっと、私の事が嫌いだった。妻の大変な時に傍にいられなかったことも、エイルを育てられなかったことも。自分の思考ですら」

「今は……?」


俺はハイドさんにそう尋ねる。

俺と出会うまでとハイドさんは言った。

なら、今はどうなのだろう。


「今は……、どうかな? たまに、昔の自分を思い出すけど、それどころじゃなくて。でも、今は前ほど嫌いじゃない。ラキ君が、こんなに私を必要としてくれるからね。少し自分を好きになれたのかも」

「俺は……」


俺は、まだ、自分の事は嫌いだった。

いつか、自分の事を好きになれるのだろうか。


もう一つ、街を眺めていて、思ったことがあった。


「ディーレも、自分の事嫌いだったのかな」

「……どうだろうね。もしかしたら、そうかもしれないね」


もしローグを生んだ理由が、ハイドさんへの気持ちではなく、そもそも自分が嫌になったからだったとしたら。

自分の事をちゃんと好きになれたら、ローグはいなくなるだろうか。

街を眺めながら、ぼんやりとそんな事を思った。

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